【第31話:発酵の「納期」 —— 51歳、目に見えない部下に裏切られる】
承知いたしました。第31話のラストから「知性体」の気配を完全に排除し、あくまで田中の**「孤独な腹痛」と「自然の驚異」**、そして「熟成を待つ孤独な一ヶ月」に焦点を絞って描き直します。
51歳のおじさんが、異世界の菌相手に「納期遅延」で敗北し、一人寂しくのたうち回る……。そんな哀愁漂う再スタートです。
『51歳の不純な転生。与えられたスキルは指先の水だけ』
【第31話:発酵の「納期」 —— 51歳、目に見えない現場に裏切られる】
「……ポチ、ええか。物流も醸造も、スピードが命や。……鮮度が落ちる前に、一気に『製品化』まで持っていくんや! これが商売の鉄則やからな」
塩の正体に気づき、岩塩風呂でリフレッシュした田中が次に手を出したのは、悲願の「酒」だった。岩塩の壁を削って作った巨大な石樽。そこへ谷底で獲れた「渋い実」と「魔力120%の温水」、そして天然酵母であろう「甘い匂いの苔」をぶち込んだ。
現役時代の彼なら、「納期は明日までや! 徹夜でライン回せ!」と現場を詰め寄っていた。その理不尽なノウハウを、あろうことか異世界の「菌」に適用しようとしていたのだ。
「……よし。指先の水で、中を絶妙な『発酵温度』に保ち続ける。……これぞ、最新の温水管理システムや。……菌も俺の魔力に当てられて、通常の三倍のスピードで仕事するはずや! いわば『魔力ブースト・シフト』やな!」
田中は一晩中、指先から出る温水の魔法で、石樽の温度をミリ単位で調整し続けた。22歳の強靭な肉体は疲れを知らないが、その精神は「明日の晩酌」への期待でパンパンに膨らんでいた。彼は、自分の魔力さえあれば、自然の摂理すら「短納期」でねじ伏せられると信じて疑わなかったのだ。
翌朝。田中は期待に胸を膨らませ、樽の蓋(石の板)を勢いよく開けた。
「……きたか!? ……きたんか!? ……商社マン田中、異世界での『酒類製造販売業』、第一号や!!」
しかし、樽の中にあったのは、芳醇な琥珀色の酒ではなかった。
……そこにあったのは、ただの「ぬるい、ドロドロとした実の残骸」と、鼻を突くような「生ゴミの一歩手前」の匂いがする、得体の知れない液体だった。
「……っ!? ……なんや、これ。……匂いは……甘酸っぱいような、……いや、ただの『傷みかけのフルーツジュース』やないか。……ポチ、お前、……あ、全力で鼻を背けおったな」
田中は、現実を受け入れられず、木の杓子でその液体を掬い、一口飲んだ。
「……っぶふぅ!! ……酸っっっぱい!! ……ただの『ぬるい酸っぱい汁』や!! アルコールなんか、1ミリも入ってへん!!」
そう、51歳のおじさんは忘れていた。発酵とは、微生物という「生きた現場」の営みである。
どれだけ魔法で温度を最適化したところで、菌が糖分を食べてアルコールを吐き出すには、物理的な「リードタイム」が必要なのだ。最短でも数週間、熟成させるなら数ヶ月。
工場のラインのように、ボタン一つで製品が出てくるわけではない。
「……あかん。……俺、現場を舐めてたわ。……納期を急かしすぎて、菌がストライキ起こしたようなもんや……。……しかも、この酸っぱい汁のせいで、……っ……!! ……っうあああああ!! ……腹が!! 腹が痛いぃぃぃ!!」
22歳の不老の肉体であっても、大量の「未発酵で活きの良い未知の菌」を直に流し込まれれば、消化器官がパニックを起こす。田中は、岩塩の床の上でエビのように丸まり、51歳の尊厳をかなぐり捨てて悶絶した。
「……あかん、……隠居してまで、短納期プロジェクトで自爆するなんて……。ポチ……見るな……今の俺は、ただの『不良在庫』や……」
結局、田中は丸二日、岩穴の奥でうめき声を上げ続けることになった。
「酒」への道のりは、塩の発見よりもはるかに険しい。静まり返った谷底には、ただ田中の情けないうめき声と、失敗した「酸っぱい匂い」だけが虚しく漂っていた。




