【第29話:5年目の「しょっぱい」真実 —— 51歳、己の無知と幸運に震える】
「……ポチ、俺、今すぐこの場で腹切りたい気分やわ。……商社マンとして、……いや、食品衛生責任者の資格(うろ覚え)を持つ者として、致命的な欠陥や、これ……」
谷底生活も5年。田中の拠点である岩穴は、今や「魔石」と「干し肉」に占領されていた。22歳の若く逞しい肉体が、狭い岩穴の中で窮屈そうに身を屈めて動いている。
田中が今、情けなさに震えながら見つめているのは、5年前、この谷底に落ちて最初に掘り抜いた「第1倉庫」の床と、そこに転がっている「ピンク色の岩」だった。
「……なぁ、ポチ。俺、今さら気づいたわ。……なんで今まで、塩も振ってへん肉を干して、腹も壊さんと食えてたんか。……俺は自分の『指先の水(魔力)』が凄いんやと思っとったけど……。……この床! この棚! このピンクの岩!! ……これ、全部『岩塩』やないか!!」
事の起こりは、今朝だ。在庫が増えすぎて狭くなった倉庫を、指先のウォータージェットで掃除していた際、削れた破片がたまたま口に入った。
「……っ!! ……っげほ!! ……しょ、しょっぱ!! ……なんやこれ! ……塩や!! ……俺、5年前からこの『岩塩の塊』を、ただの便利な石のテーブルとして使い倒してたんや……」
そう、田中は5年間、この岩塩の層の上に直接生肉を置き、指先の水で洗っては、そのまま放置して乾かしていたのだ。
無意識のうちに、指先の水が岩塩の表面を絶妙に溶かし、肉に濃厚な塩分を染み込ませていた。さらに、乾燥工程でも、岩塩から立ち上る微量なミネラル成分が、肉の腐敗を防いでいたのである。
「……あかん。……俺、知らん間に自分を『塩漬け』にしてたんやわ。……寝床もこの岩塩の上やったから、寝汗をかくたびに俺自身も『熟成生ハム』みたいになってたわけやな。……道理で、ポチがお前の俺の腕を美味そうに舐めるわけやわ!!」
田中は、情けなさと、それ以上の「安堵」の波に呑み込まれた。
もしこの岩がただの石だったら、彼は5年前に食中毒で死んでいた。不老の肉体が治してくれたかもしれないが、死ぬほど苦しんだはずだ。
「……現役時代の俺なら、取引先から『お前、現場の素材も把握せんとライン回してたんか!』って大目玉食らって、即日左遷コースやわ……。……でもな、ポチ。……理由が分かれば、こっちのもんや。……今日からは『隠れ塩分』やない。……俺の意志で、ガッツリ塩を効かせてやるわ!!」
田中は、指先の水を「超・高圧の針」のように絞り、床の岩塩をミリ単位で削り出した。パラパラと落ちてくるのは、宝石のように輝くピンク色のソルト。田中はそれを、削りたての生肉にこれでもかと擦り付けた。
「……んんん〜〜!! ……美味い!! ……意識して食う塩は、こんなに美味いんか!! ……よっしゃ、今日からこの谷底は『俺の塩田』や!!」
不器用な男が、5年越しに気づいた「足元の財宝」。
塩という最強のブーストを自覚した田中の隠居生活は、ここから一気に「グルメ」と「快楽」の方向へと舵を切っていく。




