【第25話:谷底の「漂流おじさん」 —— 22歳の肉体、51歳の布切れ】
「……あかん。……ついに、これ、布としての機能を失いよったわ」
谷底での生活が三年を数える頃、田中を悩ませていたのは魔物でも空腹でもなく、切実な「衣類」の問題だった。転生時に着ていた、あの馴染みの薄い騎士団の制服は、日々の過酷なDIYと、ポチとの取っ組み合いの末に、今や腰に巻き付けた「辛うじて公序良俗を守るためのボロ布」へと成り果てていた。上半身は完全なる裸。22歳の若々しく、しかし無自覚な魔力強化でバキバキに引き締まった胸筋と腹筋が、剥き出しのまま日光に晒されている。
「……ポチ、お前はええなぁ。自前の毛皮が一生モノやもんな。……俺なんか、これ、もうちょっとで『全裸の不審者』として魔の森の歴史に刻まれてまうぞ。……せめて、このへんに生えてる丈夫そうな蔓と、お前の抜け毛で、なんか『腰蓑』の強化版でも作らなあかんわ」
田中は、指先のウォータージェットを「超低出力のミシン」のように使い、蔓の繊維を叩き、強引に編み合わせていた。だが、元商社マンに裁縫の才能などあるはずもない。出来上がったのは、左右の長さがバラバラで、動くたびにゴワゴワと肌を刺す、お世辞にも服とは呼べない「植物製の何か」だった。
そんな「野生の22歳(中身51歳)」が、この一年、心血を注いでいたのが、シェルターの横に作り上げた「水圧式の巨大なガラクタ」である。
「……よし、今度こそ回れよ。……設計ミスや言うて笑うなよ、ポチ。……この『全自動・洗濯機(ただの巨大な水車)』が動けば、俺のこのボロ布も、少しはマシな匂いになるんやからな!」
田中が、ウォータージェットで「だいたい円形」にぶち抜いた巨大な岩の塊に、指先から全力の放水を浴びせた。ドォォォ、という不器用な衝撃音と共に、重さ数トンはある岩の水車が、軸受けの石と擦れて「キィィィィン!」と耳を劈くような摩擦音を立てながら、ガタガタと回り始めた。軸受けからは摩擦熱で煙が上がり、田中は慌てて指先から「冷却水」をぶっかける。
「……熱い熱い! 潤滑油代わりにポチの脂でも塗っときゃ良かったか!? ……おおお、回ってる! 回ってるけど、これ、いつ止まるんや!? ブレーキ作るん忘れてたわ!!」
それは、精密機械とは程遠い、物理法則と田中の「意地」が正面衝突したような、あまりにも不器用で暴力的な機構だった。水車から繋がった流木のクランクが、不規則なリズムで「ガコン! バコン!」と岩の洗濯桶を揺らし、中のボロ布を叩きつける。その振動で、近くの木からは実が落ち、小鳥たちは驚いて逃げ出していく。51歳の精神は、かつての工場見学で見た「オートメーション化」の夢を、この谷底の資材だけで強引に再現しようとしていたのだ。
夕暮れ時、田中は結局、回転しすぎてボロボロに千切れたボロ布を手に、力なく岩の上に座り込んだ。
「……はは、やりすぎた。……洗濯機やなくて、粉砕機やったわ、これ。……まぁ、ええ。……明日、また新しい蔓を編めばええだけのことや。……時間は、腐るほどあるんやからな」
田中は、指先から出した「適温の炭酸水」を、ボコボコに削れた石のカップで煽った。22歳の不老の肉体は、どれだけ泥にまみれても、ボロ布をまとっていても、夕日に照らされて神々しいまでの野性味を放っている。だが、その口から漏れるのは「あー、腰にくるわ。明日はこの水車の振動を利用して、マッサージ機(叩き専門)に改造したろ」という、どこまでも世俗的で不器用な隠居の独り言だった。
不老の体と、消滅しかけている衣服。そして、谷底を埋め尽くしていく不恰好な「ガラクタ文明」。田中のスローライフは、美しさとは程遠い、泥臭い試行錯誤の連続として刻まれていく。




