【第24話:鏡の中の「22歳」 —— 止まった時間と社畜の焦り】
谷底に漂着し、サバイバル生活を始めてから、季節が三度巡り、四度目の春が訪れようとしていた。田中は今朝も、ウォータージェットの超微細研磨で表面を鏡面仕上げにした自作の「岩鏡」の前で、自分の顔をまじまじと観察していた。51歳の精神を持つ彼にとって、鏡を見る行為は、シミやシワ、白髪の増減を確認する「老いへの生存確認」が長年の習慣だったからだ。
「……なぁ、ポチ。ちょっと見てくれへんか。俺の顔、三年前のあの日から一ミリも変わってへん気がするんやけど。……これ、ひげ剃り跡もツルツルやし、目尻の笑いシワ一つ増えてへんぞ。22歳のピチピチなままや。……若返ったんはええけど、これじゃ『不老』というか、賞味期限の切れへん特売の缶詰みたいで、逆に怖いわ」
田中が深刻な顔で尋ねると、今やかつての威厳を取り戻し、以前よりも一回り巨大化した銀狼——ポチが、欠伸をしながら尻尾で地面を力強く叩いた。ポチ自身も、本来なら老いるはずの年月を経てなお、全盛期の若々しさと神々しさを増し続けている。実は、田中が無自覚に指先から放出し続けている「魔力120%の洗浄水」と、谷底に充満した「高純度エーテル」が、彼らの細胞を常に最適化・修復し続けており、生物学的な『老化』という概念をこの空間から事実上追放していたのだ。
「……あかん。これ、もし外の世界に戻った時に、俺だけずっと22歳のままやったら、指名手配されるか、どっかの怪しい宗教の教祖に祭り上げられてまう。……組織に縛られるんは御免やけど、人間として『年を食う権利』まで奪われるんは、それはそれで不自然や。……せめて、渋みのある30代くらいにはなりたいんやけどなぁ」
田中は、指先から出した冷水で頭を冷やしながら、贅沢すぎる悩みに溜息を漏らした。社畜時代は「若返りたい、時間が止まってほしい」と切実に願っていたはずなのに、いざそれが実現し、永遠に近い時間が手に入ると、今度は「停滞」への恐怖が首をもたげる。51歳の魂は、常に「変化」と「成果」を求めてしまう悲しい性を持っていた。
「……よし、決めたぞポチ。見た目が変わらへんのなら、中身(設備)をアップデートし続けるしかない。……老化せえへん分、俺の『田中商事・谷底支店』の技術力を、世界がひっくり返るレベルまで高めたるわ。……これが、俺の『3年目の事業計画』や!」
田中は、指先に魔力を込め、さらなる精密加工への挑戦を開始した。彼が「ただの退屈しのぎ」として始めた技術革新が、この谷を単なる住処から、魔法と科学が融合した「未知の文明の揺りかご」へと変貌させていく。彼はまだ知らない。自分の肉体が老けないのは、この谷の環境そのものが、彼を「永遠のバカンス中」として世界から切り離してしまっているからだということを。




