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【第20話:谷底の朝礼 —— 自給自足の市場調査】

目が覚めると、視界を覆っていたのは、自ら組み上げた流木のシェルターの隙間から漏れる、薄暗い灰色の光だった。全身を駆け抜けるのは、昨日までの激流下りと転落がもたらした、暴力的なまでの筋肉痛と打撲の痛みだ。22歳の若返った肉体でなければ、今頃は指先一つ動かすことすら叶わず、冷たい土の上で息絶えていただろう。田中は、ぎりぎりと軋む体を無理やり引きずり出し、河原の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


「……痛たた。これ、前の人生で経験したギックリ腰の100倍はキツいわ。……さて、まずは経営状況の確認やな。……現状、手持ちの在庫はゼロ。仕入れ先もなし。……あるのは、この無限に湧き出る『水』という名の、最強のインフラ資産だけか」


田中は震える指先を合わせ、澄んだ水を生み出した。まずは喉を潤し、次に42度の適温に変えて顔を洗う。泥と返り血を洗い落とすと、少しだけ「人間」に戻った気がした。だが、深刻なのは空腹だ。昨日の夕方から何も食べていない。22歳の代謝の良い体は、凄まじい勢いでエネルギーを要求し、胃袋が抗議の声を上げている。


「……商社マンの基本は、足を使った市場調査。……この谷底に、何が落ちてるか、何が食えるか、徹底的に洗わせてもらうわ。……接待の豪華料理より、今は一欠片のパンが欲しいわ、マジで」


田中は、ウォータージェットで先端を鋭利に削り出した「特製・水圧加工の槍」を手に取り、河原の探索を開始した。農家の倅として培った、野草や生き物に対する嗅覚が、極限状態の中で呼び覚まされる。崖の上は魔物の巣窟だが、この谷底は物理的な隔離によって、奇跡的に「平和な未開地」に見えた。


「……おった。……今日の『初任給』は、お前さんに決めたわ」


田中は水面に狙いを定め、指先から極細のウォータージェットを放った。水の屈折を計算に入れ、魚の脳天を一撃で貫く。30年の社畜人生で培った「ここぞという時の集中力」が、異世界の狩りにおいて開花した瞬間だった。獲り上げたのは、20センチほどの丸々と太った岩魚に似た魚。田中はそれを、自ら火を熾し(これには流木をウォータージェットの摩擦熱で強引に焦がすという力技を使った)、じっくりと焼き上げた。


「……う、……旨い。……調味料も何もないのに、……これまでの人生で食ったどの高級フレンチより、五臓六腑に染み渡るわ……」


涙混じりに魚を頬張りながら、田中は確信した。自分はまだ、終わっていない。たとえ世界に突き落とされ、誰にも知られず谷底に沈んだとしても、この指先から水が出る限り、俺の『会社(人生)』は倒産せえへん。焚き火の爆ぜる音だけが響く静寂の中、田中は一人、これからの生存戦略を練り続けた。彼はまだ知らない。自分が今食べている魚が、魔力を蓄えた伝説の怪魚であり、その骨を削り出した槍が、国宝級の魔力を帯び始めていることに。

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