【第16話:絶望の淵の覚醒 —— 超高圧ウォータージェット、社畜の意地を乗せて】
「水の魔導師など、我が帝国の覇道に不要だ。塵となって消えろ」
帝国兵が振り下ろした大剣が、田中の前髪を数ミリの差で掠め、地面の石を激しい火花と共に粉砕した。本陣はすでに生存者の悲鳴すら聞こえない地獄絵図と化し、さっきまで田中の水に感謝し、「戦争が終わったら、旨い店を教えてやる」と笑い合っていた兵士たちが、物言わぬ肉の塊となって泥の中に打ち捨てられている。田中は尻もちをついたまま、迫りくる確実な死の恐怖に歯をガタガタと震わせ、鼻水と涙を垂れ流していた。
(……あかん。またや。また俺は、肝心な時に一人で取り残されて、誰にも助けてもらえへんのか。セレスさんもアリスちゃんも、あんなに遠くに……。51歳のおっさんが、せっかく手に入れた22歳の体に閉じ込められて、こんな異世界の、名前も知らんような泥の中で、ゴミみたいに処理されるんか?)
田中の脳裏には、風俗の領収書を握りしめたまま、キッチンナイフを振りかざした嫁の般若のような形相が、帝国兵の冷酷な兜の奥に重なった。あの夜、自分は何も抗わなかった。抗う気力すら失っていた。「あぁ、これでこの空虚な人生も年貢の納め時か」と諦めるだけだった。だが、今の自分は違う。神から与えられた、あの夜にはなかった「魔力」という名の、あまりにも暴力的な力が、指先の神経一本一本に脈打っているのを、嫌というほど感じていた。
「……ふざけんな。俺は、こんな泥の中で雑に捨てられるために、二度目の人生始めたんとちゃうぞ……。俺は、生きたいんや! もっと旨い酒飲んで、もっとええ景色見て……合コンだってまだ一回もしてへんのやぞ! 社畜の30年、ナメんなよ! 溜まりに溜まったサービス残業代、命の利息をつけて一括で請求したるわーー!!」
極限の絶望と生存本能が交錯した瞬間、田中の指先に、かつてない密度の魔力が集束した。いつもの優しい、飲み水としての「生成」ではない。体内の全魔力を回路が焼き切れるほどに循環させ、それを指先の極小の一点に、分子レベルで針の先ほどにまで、限界を超えて圧縮する。
「食らえ! 社畜の怨念! 超高圧ウォータージェット・スライサー!!」
指先から放たれたのは、透明で、しかし目に見えぬほど細く、鋭く、鋼鉄の防壁すらも紙のように断ち切る超高圧の水流だった。振り下ろされた帝国兵の重厚な剣が、まるで飴細工のように音もなく真っ二つに両断され、その勢いのまま、帝国兵の肩を、そして背後にそびえ立つ樹齢数百年の巨木をも、一瞬で豆腐のように貫通し、向こう側の景色を不気味に露出させた。
「なっ……!? 水の魔法だと!? バカな、今の威力、王宮の超弩級魔導砲並みだぞ! 盾を構えろ! 総員、防御陣形!!」
驚愕し、本能的にたじろぐ帝国兵の精鋭たち。だが、田中はその千載一遇の隙を逃すほど、ビジネスチャンスに疎い男ではなかった。震える足に魔力を流し込み、無理やり立ち上がると、22歳の爆発的な身体能力を全開にして、煙る深い森の深奥へと脱兎のごとく走り出した。背後では本陣が完全に崩壊し、絶望の炎が夜空を、かつての職場の夕焼けのように赤く染めている。
「……セレスさん、アリスちゃん。……俺、もう便利な給湯器はやめるわ。これからは、自分のために、自分の足で、自分の意思で水出すことに決めたわ。さらばや、王都の暮らし!」
涙と鼻水、そして返り血にまみれながら、田中は暗い森の中へ、たった一人で、しかし人生で初めての確かな「自由」をその手に掴み、消えていった。




