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【第14話:再出撃の朝 —— 本社(王宮)からの血も涙もない辞令】

王都での「人間ウォーターサーバー」としての生活は、案外、田中の性分に合っていたのかもしれない。セレスの豪華な私邸で、彼女が目覚める前に白湯を用意し、深夜には自慢の「指先大吟醸」で彼女の張り詰めた心を解きほぐす。22歳の若々しい肉体は、どれだけ魔力を酷使しても、翌朝にはまるで新品の電池に交換したかのようにスッキリと回復している。だが、そんな「早期退職後の再雇用」のような穏やかな隠居生活は、王宮から届いた一通の「赤紙」——緊急徴用指令によって、無残にも粉砕された。帝国の本隊がついに国境の最終防衛線を突破。陥落寸前のアイアン・ゲート砦を救うため、第1魔導師団に対し、一刻の猶予も許さぬ即時出撃の厳命が下ったのだ。


「田中、何を呆けている。10分で私物をまとめろ。余計なものは持っていくな。お前の『水生成能力』がなければ、行軍中の兵士の脱水症状を防げず、軍の進軍速度は確実に3割低下する。これは一兵卒のわがままが通る事案ではない。国家の存搬に関わる決定事項だ。拒否権など、最初から存在しないと思え」


軍装を隙なく着こなし、私邸で見せていた微かな「女」の隙を完全に削ぎ落とした、冷徹な師団長セレスが言い放つ。その瞳は、かつての取引先で無理難題を押し付けてきた「鉄の女」と呼ばれた女性重役そのものだった。田中は重い腰を上げ、22歳の軽やかな体で荷造りをしながら、かつて商社マン時代に経験した、あの忌々しい記憶を思い出していた。

「……師団長、無茶言わんといてくださいよ。俺、まだ有給どころか昼休憩も満足に取ってへんのです。腰も……あ、腰は22歳やから絶好調ですけど、精神こころの腰がもうバキバキなんですわ。せめて危険手当として、日当を銀貨1枚(1万円相当)くらい上乗せしてもらえません? これ、明らかに3K(きつい、汚い、危険)の極致、ブラック企業でも二の足を踏む現場ですよ。労基署があったら即刻営業停止もんですわ」


「お前の命の査定は、この私が戦果をもって行う。死ななければ、相応の報酬と、特別ボーナスを約束しよう。……だが、進軍を遅らせるようなら、その場で私が貴様を処刑する。……返事は?」


セレスの氷点下の瞳に射抜かれ、田中は「……御意。精一杯、御社のために粉骨砕身、命を削って務めさせていただきます」と、反射的に45度の美しい、そして悲しい社畜のお辞儀を繰り出していた。30年間、日本社会という理不尽な荒波で揉まれ、上司の顔色を伺い続けてきた男にとって、権力者による不合理な命令は、抗うことのできない「天災」と同じなのだ。


「田中さま! 今度は私も前線で攻撃魔法をぶっ放します! 田中さまの背中は、このアリスが命に代えても守り抜きますから、安心してくださいね!」

金髪をポニーテールに結び直し、愛用の魔導杖を構えたアリスが元気に駆け寄ってくる。その若さと純粋な眩しさに、田中は目を細めながらも、彼女の肩越しに見える北の空のどんよりとした暗雲に、拭いきれない、胃をキリキリと締め付けるような不安を感じていた。農家の倅として、土の匂いや風の湿り気に敏感だった少年時代の野生の勘が、今回の戦場はこれまでの「小競り合い」とは比較にならないほど、濃厚な血の匂いと硝煙に満ちたものになると、静かに警鐘を鳴らしていた。

「……アリスちゃん、俺を守るより、まずは自分の命を一番に考えや。俺みたいな汚れたおっさんは、最悪、荷物と一緒に捨てて逃げてもええんやからな。俺は化けて出たりせえへんし、恨んだりもせえへん。……頼むから、無事でいてくれや」

冗談めかした、しかし本音を隠しきれない言葉に、アリスは「そんなこと、一生、万に一つもありません! 田中さまを捨てるくらいなら、私は魔導師を辞めます!」と声を荒らげて否定した。その真っ直ぐすぎる情熱と、わずかに潤んだ瞳の重みに、田中は51歳の枯れ果てた心に微かな、しかし痛いほどの熱を覚えつつ、逃げるように軍用馬車の御者台へと飛び乗った。

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