第133話:物流の血栓と空腹の監査
ルミナス中央市場。そこは街の心臓部であるはずだが、送り込まれる物資は極めて細く、逆に市場から吸い上げられる金貨だけが異常な速度で循環していた。サトウは市場の片隅にある「検品所」の列に並びながら、手元の羊皮紙に独自の計算式を書き殴っていた。
(……入庫記録と店頭価格の乖離率、340%。輸送コストの変動を考慮しても、このマージンは異常だ。どこかで『巨大な寄生虫』が、物流という血管を圧迫している……)
サトウは22歳の俊敏な動作で列を詰めながらも、意識の半分は、先ほどからピキピキと小さな警告音を鳴らし続ける「精神的な腰の違和感」に向けられていた。肉体は完璧だ。だが、この不自然な行列に長時間並ばされるという「非生産的な待機時間」そのものが、51歳の田中の精神を激しく摩耗させていく。
■ 監査という名の暴力
「次だ! 荷物を開けろ。検品料として売価の20%を徴収する。……文句があるならギルドへ行け」
検品所に座る太った役人は、サトウの若々しい顔を見るなり、鼻で笑って事務的な強奪を宣告した。サトウは答えず、無造作に一冊の帳簿を役人の机に叩きつけた。
「……主人。その20%という数字の根拠を提示してもらおうか。ギルド規定によれば、生活必需品の検品手数料は最大でも5%のはずだ。……残りの15%は、どの勘定科目に振り分けられている?」
「あ……? んだと、小僧。俺がルールだと言ったらルールなんだよ!」
役人の合図で、周囲の衛兵たちが剣を抜こうとした。だが、サトウは一歩も動かず、ただ横に置いてあった木製の椅子に人差し指を向けた。
「――『水鎌』」
シュンッ、という鋭い音と共に、重厚な椅子が豆腐のように真っ二つに裂け、音を立てて床に転がった。
「……次は、君たちの駆動系(関節)だ。……さて、監査を開始しようか。ゼノ、カイル。入り口を封鎖しろ。これより、ここの入出金記録をすべて強制監査する」
22歳の肉体から放たれる圧倒的な魔法の威力と、51歳の管理職が放つ「有無を言わせぬ査察」のプレッシャー。その二重の暴力に、役人たちは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。サトウは淀みない手つきで裏帳簿を引きずり出し、中抜きされた15%が特定の「物流ギルド」の口座へ、検品を通さずに直接流れている証拠を白日の下に晒した。
「この帳簿の写しを今、市場の全商人に公開する。……不当に徴収された差額分が『返金』されると知れば、彼らは君たちをどう扱うかな?」
事務官が絶望に顔を歪める中、検品所の門は強制的に開放された。不当な足止めを食らっていた物資が、ダムが決壊したかのように市場へと流れ込み、停滞していた街に血の気が戻り始める。
■ 胃袋の限界と「自己紹介」
数時間後。凄まじい事務処理の熱気に当てられ、ゼノたちが呆然とする中、サトウの精神は別の限界を迎えようとしていた。
(……あ、不味い。脳の糖分が完全に枯渇した。……猛烈に、胃に優しくて熱いものが食べたい……)
ふらりと検品所を出たサトウの前に、昨日「経済学」を叩き込んでやったあの白い法衣の少女、エレンが立っていた。彼女はサトウの冷徹な監査の様子を陰から見ていたのか、その瞳は恐怖と、それ以上の「答え」を求める熱に浮かされている。
サトウは彼女の言葉を遮り、ふらつく足取りでその肩をガシッと掴んだ。
「……議論は後だ、貴女。……それよりも、この街に『煮込み麺』を出す店は存在するか? 存在するなら案内しろ。……限界なんだ」
「え……? あ、はい、すぐそこですが……」
案内されたのは市場の端にある、煤けた店構えの麺屋だった。サトウは運ばれてきた「煮込み麺(うどんのような何か)」を無言で啜った。
出汁の味が染み渡る。51歳の精神が、ようやく人心地ついた瞬間だった。サトウは一つ息を吐き、隣で恐る恐る麺を啜っている少女に向き直った。
「……礼を言う、案内助かった。支払いは済ませてある、好きなだけ食べていい。……私はサトウ。リベルタで商会を営んでいる。といっても、ただのしがない『オーナー』だ」
「……あ、私はエレンと言います。神殿で癒術を学んでいますが……」
エレンは箸を止め、サトウをまっすぐに見つめた。
「サトウさん。あなたの言う『経済的な罪』……私が癒術で痛みを消すことが、この街の歪みを助長しているという話、一晩中考えて……怖くなりました。私は良かれと思ってやっていたのに、それは、悪い人たちの手助けをしていただけなんですか?」
「エレン。君の善意自体は否定しない。だが、全体最適を無視した個別最適は、時として毒になる。……だが、それを今悩んでも解決しない。空腹は判断力を狂わせる最大のノイズだ。まずは食べろ」
サトウは、自分の歩行リズムが崩れるたびに「ピキッ」と腰の警告音が脳内に響くのを無視しながら、追加の煮卵をエレンの器に入れた。
「……え、あの、ありがとうございます……」
エレンは戸惑いながらも、サトウから手渡された煮卵を口に運んだ。
彼女にとってサトウは、冷徹に人の心を切り刻む独裁者のようでありながら、時折見せるその「疲れ切ったおじさん」のような眼差しと、妙に手慣れた面倒見の良さが、何よりも不可解で、そして救いのように映っていた。
サトウはエレンの器を見届け、心の底では(……やっぱり、お粥よりは麺だ。煮卵も……よし、今のところ胃腸は受け入れている。……22歳の胃袋なら、替え玉もいけるだろうか……?)という、体は22歳だが精神は51歳の切実な願いで溢れかえっていた




