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第128話:環境改善

リベルタの酒場に流れる時間は、粘りつくような死の静寂に支配されていた。

サトウが差し出した手。その「損切り」という名の救済を、ガストンは震える腕で拒絶した。


「……その手を、引っ込めろ」


ガストンの声は、地底から響くような地鳴りとなって店内に満ちた。だが、サトウの表情には一ミリの動揺もない。それどころか、彼の瞳は目の前の悲劇を、ただの「非効率なデータの集積」として淡々と処理し続けていた。


■ 論理による処刑

「店長。君の感情は理解する。……だが、それは無意味だ」


サトウの声は、氷の楔となってガストンの心に打ち込まれた。


「その個体――ハンスは、本日一日でこの拠点に莫大な損失を発生させた。期待されていた『情報取得』という機能は完全停止し、代わりに『物理的損害』と『法的リスク』という負債を抱え込んだ。維持コストと、将来的な回収可能価値を天秤にかければ、答えは既に出ている。維持は不可能だ」


「こいつは……ハンスは、まだガキだぞ……!」


ガストンが叫ぶ。それは人間としての、あまりにも正当な叫びだった。

だが、サトウはそれを、ゴミを払うような手つきで切り捨てた。


「だから何だ。年齢という変数は、その個体の価値を保証しない。結果を出せない個体は、このシステムにおいて『負債』に他ならない」


「……違うな。お前は『使えるかどうか』でしか世界を見てねえ。……俺は、こいつが『ここにいる理由』を見てるんだ」


ガストンが踏み込む。論理では勝てない男が、己の魂という非定量的な武器を突きつけた瞬間だった。


「じゃあ聞け、サトウ。……こいつが今日、ここで死んだら、それはお前の言う『最適化』なのか?」


一瞬の沈黙。読者の心臓を握り潰すような、空白の時間。

だが、サトウの返答は、残酷なまでに速かった。


「……当然だ。機能しない部品を廃棄し、全体への感染リスクを断つ。それは最適化以外の何物でもない」


■ ソフィアの介入:盤面の破壊

「ねえ、オーナー様」


その凍りついた空気を、鈴を転がすような、だが毒を含んだ声が切り裂いた。

カウンターの隅。返り血の一滴も浴びていないソフィアが、優雅に髪をかき上げながら立ち上がる。


「その『損切り』……少し、気が早いんじゃないかしら?」


サトウの視線が、わずかに移動する。「理由を述べろ」


「この子、失敗したから価値がないんじゃないわ。……『失敗したからこそ価値がある』情報を持っているのよ。守備隊に目をつけられ、暴力を振るわれた子供。その事実、そしてその『傷』そのものが、裏の組織にとっては絶好の『口実エサ』になる。……このまま売るより、別の用途で再利用リサイクルしたほうが、利益は跳ね上がるわよ?」


全員が絶句した。ガストンの守ろうとした「子供の命」を、ソフィアはサトウの言語を用いて、より過酷な「商品」へと定義し直したのだ。


サトウは、わずかに目を細めた。

「……なるほど。二次利用か。確かに、損失補填のスキームとしては検討に値するな」


「てめえ……!! まだ、こいつを……利用する気かよ……!!」


ガストンの理性が、音を立てて崩壊した。

だが、サトウの最後の一言が、その爆発を決定的なものにした。


「当然だ。発生した損失は、あらゆる手段で回収する必要がある。……それが経営だ」


■ 田中という名のデバッグ

「――ふざけんなァッ!!!!」


ガストンの拳が、サトウの顔面を捉えようとした。

だが、サトウは一歩も動かない。ただ、指先をわずかに動かした。


(……うるせえ)


サトウの脳内で、何かが決定的に「ズレ」た。

それは怒りではなかった。五十一歳の「田中」という男の深層にあった忌避感が、魔法というインターフェースを通じて表出した。


「市場が壊れている場合。正しいのは商品ではない。市場マーケットの方だ」


サトウは椅子を掴まない。ただ、ハンスを殴った守備隊員の男に、人差し指を向けた。その指先から、糸のように細い、だが鋼よりも硬い高圧の水流が放たれた。


シュンッ!! という鋭い音と共に、男の肩が弾ける。


「あ、が……ッ!?」


「……これは怒りではない。環境改善デバッグだ」


サトウの動きには、一切の迷いも熱もない。

男が剣を抜こうとするより早く、サトウは指先を振るう。見えない刃となった水流が、正確に男の「手首の腱」を断ち切る。一歩も近づかず、返り血一滴浴びず。ただ「水道の出力を調整する」ような手つきで、店内に残るならず者たちの「駆動系」を次々と破壊していった。


「ぐ、あああぁぁ!! 何なんだ、こいつの魔法は……ッ!!」


「上腕二頭筋、切断。……止血しなければ三分で失血死に至る。この場での攻撃意志の喪失を確認」


サトウは、最後の一人の喉元に、水で形成された鋭利な針を突きつけた。


■ 制御を外れる一瞬

「頸動脈。……この水針の圧力を一段上げれば、君の喉は容易に貫通し、すべてのノイズは消える」


サトウは淡々と告げた。その瞳は、暗い井戸の底のように何も映していない。


指先を動かせば、終わる。


だが、サトウは動かなかった。


サトウの指先が、ほんの一瞬だけ、震えた。


「……やりすぎか?」


小さく、掠れたような声が漏れた。

それは、これまで完璧に設計されてきた「サトウ」というシステムからは、決して発せられるはずのない言葉。田中の、あるいは人間としての欠片が、絶対的な暴力の行使中に一瞬だけ漏れ出した。


ガストンが、息を呑む。ソフィアが、その一瞬の「ズレ」に、獲物を見つけた獣のような瞳を光らせる。


だが、次の瞬間。


「……いや、問題ない。……再発防止セキュリティの方が重要だ。コストは既に支払われている」


サトウは、何事もなかったかのように指を降ろし、魔法を霧散させた。


■ 救いか、恐怖か

サトウは足元に倒れているハンスの元へ歩み寄った。

冷徹な「オーナー」の顔に戻ったサトウが、ハンスを静かに見下ろす。その視線は、もはや「破損した資産」を見定めるものではなく、かといって「救うべき子供」を見る慈愛でもなかった。


ハンスは、朦朧とした意識の中で、自分を見つめるその無機質な瞳を見上げた。


「……オーナー様……?」


その声は、震えていた。

自分を救ってくれた神への問いかけか。あるいは、人間を「環境の一部」としてしか見ていない、得体の知れない怪物への根源的な恐怖か。


サトウは答えなかった。ただ、ハンスを無造作に抱え上げると、ガストンの方を見ることなく言い放った。


「店長。店(系)は壊れたな。……今回の損失は、私が処理する。……その代わり、この後の『清掃』は君の仕事だ。……期待しているよ、店長」


サトウは、ハンスを抱えたまま、リベルタの夜の闇へと消えていった。

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