表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
128/136

第127話:損切りの境界線

リベルタの夜は、泥を煮詰めたような重苦しさに包まれていた。

閉店後の酒場――その店内に、サトウからのハト便という名の「死刑宣告」が舞い降りてから、三時間が経過していた。


カウンターに置かれた、クシャクシャに握りつぶされた一通の指令。

『――ハンスの配置転換を検討せよ。一週間以内に成果が改善されない場合、当該ユニットは損失確定(損切り)対象とする。期待しているよ、店長』


ガストンは、その紙を睨みつけながら、酒ではなく白濁したスープを飲み干した。その指先は怒りで震えている。

「……期待しているよ、だ? ふざけやがって、あの餓鬼……!!」


■ 現場の摩耗

翌日。店は開店と同時に、昨日以上の混沌カオスに叩き込まれた。

サトウのマニュアルが指示する「高効率回転」を維持するためには、客への丁寧な接客は罪悪であり、滞在時間の超過は損失でしかなかった。


「おい、まだ飲み終わってねえぞ! なんだその皿の下げ方は!」

「……申し訳、ございません。次の方をお通しするために……」


ハンスの声は、前日の失敗以来、完全に生気を失っていた。客を「人間」ではなく「回転率という数値」として見るように強いられた十歳の少年の眼窩は、一晩で黒ずみ、視線は泳いでいる。


ハンスは、サトウが設計した「第三テーブル」へと近寄る。そこには、リベルタ守備隊のならず者たちが三人、下卑た笑い声を上げながら居座っていた。ハンスは、サトウに叩き込まれた『情報取得プロトコル』を呪文のように脳内で反芻した。

(……三杯目。ここで誘導質問を……。兵站の動きを……。……バリュー、出さなきゃ……)


「あの……守備隊の皆さん……最近、お忙しいんですか? 装備の補充とか、たくさん……」


■ 暴力の暴発

その瞬間、荒くれ者の一人がハンスの胸ぐらを掴み、カウンターへと叩きつけた。


「――ガキ。昨日からチョロチョロと、何を探ってやがる」


「あぐっ……!」


ハンスの背中が、サトウの設計した「角を削っていない安価なカウンター」に強打される。鈍い音が店内に響き渡った。


「お前、さっきから守備隊の『動き』だの『備蓄』だの、ガキが聞くような話じゃねえな。どこのスパイだ、ああん?」


男の拳が、ハンスの腹部にめり込む。ドォォン!! という、肺から空気が全て漏れ出すような残酷な音。ハンスは白目を剥き、その場に崩れ落ちた。


「ハンス!!」


ガストンが厨房から飛び出す。だが、それよりも早く、客席の空気が「暴力」という共通言語によって爆発的に加熱された。

「おいおい、店長。このガキ、守備隊の情報を探ってたぜ。これは重罪だ。……この店、まるごと『検閲』が必要だな?」


■ ガストンの「非効率」な守護

「……ハンスに触るんじゃねえ」


ガストンの声が、地を這うような重低音で響く。彼はマニュアルを、経営者としての理性を、その瞬間に完全に「損切り」した。

ガストンは、男の腕を万力のような力で掴み、そのまま床へと叩き伏せた。ベキィッ!! という、骨が不自然な方向に曲がる音が、静まり返った店内に木霊する。


「ここは俺の店だ。俺の部下を傷つける奴は、客じゃねえ。……叩き出せ!!」


店は地獄絵図と化した。椅子が飛び、テーブルがひっくり返り、サトウが「一単位金貨三枚」と計算した時間が、怒号と血飛沫によって磨り潰されていく。


■ ソフィアの「0.8%の観測」

騒乱の中、ソフィアだけはカウンターの隅で、微動だにせずその光景を眺めていた。彼女は知っていた。サトウがなぜ「0.8%のズレ」を検知できるのか。かつて帳簿検査の際、数字のリズムの狂いだけで不正を暴いたあの男の横顔を、彼女は忘れていない。


(……派手にやったわね、店長。これで今日の売上はマイナス。ハンスは機能停止。……オーナー様の『理論』からすれば、ここはもう閉鎖一択ね)


ソフィアは騒乱のどさくさに紛れ、ハンスのポケットから「サトウ直伝の質問リスト」を抜き取り、火鉢に投げ入れた。証拠隠滅。それはハンスを守るためではなく、この場所が自身の利権を産む拠点であり続けるための「合理的な処置」だった。


■ 遠隔地のサトウ:サンプル数「1」の確定

数時間後。リベルタの門が開くと同時に、夜通し馬を飛ばし続けた一台の馬車が、滑り込むように酒場の前に停まった。


報告書にある「乱闘による店舗の損壊」「売上の消失」「ハンスの重傷」を、サトウは車内の薄暗がりですでに処理し終えていた。


(……想定を上回る『バグ』だな。ハンスのユニット特性:耐久性不足。秘匿性欠如。店長の行動特性:感情による資産の過保護。……サンプルの蓄積を待つまでもない。一週間の猶予を切り上げる合理的理由が成立した)


サトウは馬車の扉を開け、冷たいリベルタの空気に触れた。


■ 結末:砕かれた希望

リベルタの店内で、ハンスはガストンの膝の上で意識を取り戻した。その目は、もはや何も映していなかった。


「……ガストンさん。僕……出力バリュー、出せなかった……。コストに、見合わなかった、んだ……。僕……いらない、子だ……」


「そんなことねえ! お前は、俺の……!!」


家族だ、という言葉をガストンが吐き出す前に、店の入り口に氷よりも冷たい眼差しを湛えた男――サトウが立っていた。

サトウは店内の惨状を一瞥した。その視線は、血を流し震える少年を見ているのではない。ただ「壊れた資産」を冷徹に検品しているに過ぎなかった。


サトウは最初の一言を放った。


「店長。本日の損失は想定の3.2倍だ。清掃コストの請求書は、君の来月の給与から差し引いておく。……さて、その『不良品』をこちらへ渡せ。損切り(セカンダリー・マーケット)の手配は既に済んでいる」


ガストンの腕の中で、ハンスの身体が、絶望に凍りついたように動かなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ