第114話:人材流出(ヘッドハント)と、王都封鎖のチェックメイト
一人、宿の安ベッドで目覚めた田中の朝は、極めて事務的なルーチンから始まった。
本来なら、この時間にはザック、ニコ、ミアの三名が「おはようございます」と、軍隊じみた規律正しさで整列しているはずだった。だが、目の前にあるのは、手付かずの冷めたスープと、静寂だけである。
「……ふむ。無断欠勤、および連絡途絶。組織運営における最悪のシナリオですな。」
田中は手帳を開き、昨夜の決裂を「一時的なメンタル・ダウンによる現場放棄」と定義した。
だが、彼には悠長に「若者の教育」を論じる余裕はない。この王都には、田中の生存がバレてはならない人物がいる。
かつての主であり、自分を便利な『魔法の蛇口』としか見ていなかった侯爵令嬢、セレスティア。
「万一、彼らがどこかで私の『高純度の水』について吹聴してみなさい。……私は再び、彼女の専用ウォーターサーバーとして、24時間体制の非人道的な労働環境(セレス様の部屋の隅)へ強制配属されることになる。それは、私のキャリアプランにおける絶対的な『倒産』を意味します。」
田中は独り言を呟きながら、一人でギルドへと向かった。作業効率は激減するが、王都内の「情勢調査」を最優先すべきだと判断したのだ。
王都・裏通りのヘッドハンティング
一方、昨夜の勢いで飛び出したザック、ニコ、ミアの三人は、王都の裏通りにある酒場の片隅で、重苦しい空気に包まれていた。
「特にそこの剣士の小僧。……どうだ? あの理屈ばかりこねる気味の悪い若造(田中)とつるむのは、もう御免だろ?」
現れたのは、銀ランクのパーティー『黄金の獅子』。彼らは以前から、田中の影で異常な成長を見せるザックたちの「動き」を、虎視眈々と観察していた。
「あんな自分と同世代の連中を『数字』としか見てねえような冷たい奴の下にいても、お前らはただの道具だ。あいつ、歳は若いくせに中身はどっかの嫌味な役人みたいじゃねえか。うちに来い。……お前たちの『誇り』を、正当に評価してやるよ。」
「評価……誇り……。」
22歳の若さで、自分たちを「資産」や「個体」としか呼ばない田中。その異常な冷徹さに疲れ切っていたザックにとって、銀ランクの「先輩」からの言葉は、猛毒のような甘さを持っていた。
ギルドの宣戦布告:超法規的措置
その頃、ギルドのカウンターに到着した田中は、異様な殺気に足を止めた。
武装した衛兵がロビーを固め、職員たちが血相を変えて走り回っている。
「田中様。……今、この瞬間をもって、王都全域に**『緊急防衛命令』**が発令されました。」
受付嬢エレンが突きつけたのは、赤い封蝋がなされた命令書。
「北より災害級魔物『ランド・ドラゴン』が南下中。王都ギルド規約に基づき、全冒険者の**『強制徴用』**を執行する。拒否はギルドおよび王国への反逆と見なし、全資産没収の上、投獄。逃亡は死罪に処す。」
奥から現れたギルド長が、獲物を追い詰めた猟犬のような目で田中を射抜いた。
「……なるほど。致命的な『カントリー・リスク』が発生しましたね。」
田中の目は、冷徹に光った。22歳の顔立ちに、51歳の老練なリスク回避本能が宿る。
(……ランド・ドラゴン? タイミングが悪すぎますな。これは、私が昇格を断ったことに対する報復も含んだ、法的スキームによる『接収』。……ここで目立って前線で手柄を立てれば、王都に駐留しているセレス様の耳に、私の存在が届いてしまう。それは即ち、一生彼女に新鮮な水を供給し続ける『人間什器』への転落です。)
「田中さん、逃げることは許されませんよ!」
エレンの叫びをよそに、田中は即座に脳内で**「損切り(エグジット)」**のシミュレーションを開始した。
「当然だ。子供たちも既に別ルートで確保に向かわせている。……逃げ場はないぞ、田中。お前がこれまでに見せてきた**『異常な納品ペース』と『解体技術』**……それを国のために、ボロボロになるまで使い潰させてもらう。」
「……了解しました。強制依頼は受諾いたします。市民としての義務ですからな。」
田中は淡々と、しかし懃懃無礼に頭を下げた。
(……ふむ。包囲網は完璧というわけですか。今ここで抵抗するのは非合理的。……まずは『目立たない後方支援』のポジションを確保しつつ、混乱に乗じてザックたちを回収する。その後、防衛戦の最中に『戦死』あるいは『行方不明』を装い、この王都から資産ごとエグジット(脱出)する……。セレス様に私の『蛇口(存在)』を特定される前に、このプロジェクトを解散させる。これが、今回のエマージェンシー・プランですな。)
「ギルド長。現場の配置については、私の『専門性』を考慮したポジションをお願いしますよ。……さて、仕事(隠密逃亡の準備)を始めるとしましょうか。」
51歳の不純な再起。
最強の効率を誇る「ホワイト・アイズ」は、国家の暴走を前に、いかに目立たず「消える」かという、最も困難な極秘任務へと突入した。




