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第111話:回転する資本と、静かに浸透する疑念

「……極めて遺憾ですが、計画を変更します。当初は『一晩の休息』を優先するつもりでしたが、現在の我々の手元供養……失礼、手持ち資金キャッシュでは、今夜の宿代すら計上できません。まさに自転車操業。まずは、この『在庫』を即座に現金化しに、ギルドへ直行します。」


王都の北門を抜け、夕闇が迫る街路を歩きながら、田中は淡々と告げた。

その背後では、ザック、ニコ、ミアの三人が、まるで行軍の後のように……それでいて、奇妙なほどに「清潔な」姿で歩いている。


森で狼の群れを屠り、返り血の舞う惨劇の中にいたはずの彼らだが、その衣服には泥一つ、血の一滴すら付着していない。

理由は単純だ。田中の「超高圧水流」が、狼の喉元や眉間をコンマ数秒で貫き、血が噴き出す暇さえ与えず細胞を焼き切ったからだ。そして、解体という名の「清掃」もまた、田中の指先一つで、外科手術のような精密さで完遂された。


「……なあ、田中。本当にこのまま行くのかよ。俺たち、魔物と戦ってきたはずなのに、新品の服がまだパリッとしてるぜ。これじゃ、散歩帰りだと思われちまうぞ……」


ザックが、自分の袖口を見つめながら不安げに囁く。

今朝まで、彼らは泥と煤にまみれ、強制執行の絶望の中にいた。だが、今は銀貨4枚を叩いて揃えた新品の野営服に身を包んでいる。冒険者の帰還といえば、傷つき、汚れ、疲弊しているのが「信頼」の証。だが、今の彼らは、これからパーティ会場にでも向かうかのような小綺麗さだった。


「ザック。汚れは『コスト』です。衣服の洗浄代、修繕費、そして不衛生による病気のリスク。それらを未然に防ぐのが、一流のマネジメントというものですよ。……ほら、着きました。ギルドです。」


王都ギルド支部、夕刻の換金窓口。

「……次の方、どうぞ。」


対応したのは、ベテラン受付嬢のエレンだった。彼女は、目の前に現れた「小綺麗な四人組」を見て、一瞬、事務的な微笑を浮かべた。

「はい、本日の成果の納品ですね。……ええと、パーティ名は……『ホワイト・アイズ』。鉄級の登録ですね。……それで、討伐対象の部位はどちらに?」


田中は無言で、布に包まれた「塊」をカウンターに置いた。

カチッ、カチッ、と、硬質な石がぶつかり合う、冷ややかな音が響く。


エレンが不思議そうにその布を解いた。

「………………え?」


そこに並んでいたのは、フォレスト・ウルフの魔石。

それも、一つや二つではない。三十個を優に超える数が、まるでお菓子の詰め合わせのように無造作に、しかし完璧な状態で並んでいた。


「……あの、これ、全部フォレスト・ウルフの魔石……ですよね? ……驚きました。これほど大量に、しかも……傷一つない。洗浄まで完璧なんて。」


エレンはルーペを取り出し、その一つを検品する。通常、魔石は魔物の体内で血や組織にまみれている。それを冒険者がナイフで抉り出すため、表面には必ずと言っていいほど細かな傷がつき、取りきれない汚れが残るものだ。

だが、田中の持ち込んだそれは、まるで工場のクリーンルームで製造されたかのように、一点の曇りもなかった。


「……はい、確認いたしました。フォレスト・ウルフの魔石、計32個。……ですが、あの、素材の方は? 狼の毛皮や牙は、別の鞄ですか?」


「ありません。」

田中は、呼吸をするように即答した。


「えっ……? ありませんって、そんな……これだけの数を狩ったのなら、毛皮だけでも銀貨数枚分にはなるはずです。今の時期、需要も高いですし。……持ち帰るのが大変だった、ということでしょうか?」


「いいえ。最初から『採取の対象外』としただけです。……エレン殿、失礼ですが、現在の市場における毛皮の重量あたりの換金率と、運搬に要する人件費、およびその間に発生する機会損失を計算したことはありますか?」


「……は、はい……?」


「あの森から重い毛皮を四人分担ぎ、移動速度を低下させ、他の獲物を狩るチャンスを逃す。その『コスト』を考えれば、体積比で最も価値の高い魔石のみに資源を集中させるのが、合理的な判断というものです。……素材はありません。魔石だけを、速やかに買い取ってください。」


「……。……。わ、わかりました。……ギルドの規定上、魔石のみの納品に問題はありませんので、買い取り手続きを進めます。」


エレンは、困惑を隠せないまま、書類にペンを走らせた。

鉄級のパーティが、無傷で、しかも素材を全て棄てて魔石だけを持ち帰る。

目の前の「22歳の若者」が放つ、老獪な商人のような威圧感。


支払われた銀貨9枚と銅貨60枚を、田中は事務的に確認し、懐に収めた。

「……助かりました。これで、ようやく本日の宿泊費と、まともな食費が計上できます。……では、失礼。明日も同じ時間に伺います。」


その夜。

安宿「青い鳥亭」の食堂で、ホワイト・アイズの三人は、信じられないものを見るような目でテーブルを見つめていた。


「……食え。今日は『福利厚生』の特別予算を承認しました。」


田中の合図と共に、運ばれてきたのは、大皿に盛られた牛の煮込み、焼きたてのパン、そして温かいスープ。

「う、うおおおッ! 肉だ! 本物の肉だッ!!」

ザックが、飢えた獣のように煮込みにかじりつく。ニコもミアも、涙目になりながらパンをスープに浸した。


「……田中、お前、本当に……何なんだよ。あんな、魔石だけ売って、こんな贅沢して……」

「ザック、口を動かす暇があるなら手を動かしなさい。栄養摂取は、明日の稼働効率を最大化するための整備メンテナンスです。……私は、自分のパーティメンバーが栄養失調で倒れるという、低レベルな管理ミスを犯したくないだけですよ。」


田中自身も、上品に、しかし確実に食事を摂っていた。

51歳の精神が、22歳の胃袋を借りて、久々の「まともな食事」を堪能する。

(……やはり、経費で落す食事は美味い。……まあ、自腹ですが。)


満足げに腹を満たした三人が、深い眠りに落ちるのを見届けた後、田中は一人、月明かりの下で手帳にペンを走らせた。

「……明日のノルマは、今日の1.5倍。……ギルドの連中が不審がるのは想定内ですが、少し、速度を上げすぎましたかな。」


翌日。

ホワイト・アイズは、昨日と全く同じ、パリッとした新品同様の姿でギルドに現れた。

そして、昨日よりもさらに多い、45個の「完璧な魔石」をカウンターに並べた。


「……。……本日も、魔石だけ、ですか?」

エレンの顔は、もはや引き攣っていた。

「左様です。……何か、不備でも?」

「いえ……ありません。買い取ります。」


田中たちがギルドを出た直後。

エレンは、預かった魔石をトレイに乗せ、奥の執務室へと駆け込んだ。


「支部長! 失礼します!」

「……エレンか。騒々しいな。……例の『魔石だけ持ち込む新人』のことか?」


執務室の机で書類を整理していた支部長のルッツは、顔を上げずに言った。

「はい! 今日は45個です。……見てください、この輝き。まるで、魔物から『自発的に差し出された』かのように無傷なんです。……それだけじゃありません。」


エレンは、声を潜めた。

「彼ら……昨日も、今日も、全く『汚れていない』んです。森に半日もいたはずなのに、靴の底に泥すらついていない。衣服も新品同様。……こんなの、絶対にあり得ません!」


ルッツは、ようやく顔を上げた。

「……汚れていない、だと?」

「はい。……まるで、戦いすらしていないかのような、清潔さなんです。でも、魔石は本物。……支部長、これ、何か不気味な術を使っているんじゃ……」


ルッツは、エレンが置いた魔石の一つを手に取り、月光に透かした。

「……ふん。昨日、詰所へ行った職員からの報告があった。……あの『田中』という男、昨日の朝まで、衛兵詰所に拘留されていたらしいな。」


「えっ……? 犯罪者なんですか?」


「いや。……職員のカスパルが、身元照会のために詰所まで出向いて引き取ってきた男だ。……例の王都再開発による強制執行。その被害者だよ。家を焼かれ、全裸同然で放り出された、鉄級の被災者だ。」


エレンは目を見開いた。

「え……? 昨日の朝まで、全裸で、家もなくて……? なのに、昨日の夕方には新品の服を着て、32個もの魔石を持ってきたっていうんですか?」


「そうだ。……そして、カスパルの報告によれば、詰所の衛兵隊長も奴に見覚えがあると言っていたらしい。数年前、スラムにいた『奇妙な能力を持つ子供』にな。……点と線が繋がるな。」


ルッツは魔石をトレイに戻した。

「普通なら、そのまま野垂れ死ぬか、スラムの隅で恨み言でも吐いて終わるはずだ。……だが奴は、釈放されたその足で小綺麗に身形を整え、即座に森に入って路銀を稼ぎ出しに来ている。……あの異常な清潔さは、真っ当な狩りの結果とは到底思えん。……どこか別の場所で横流しされた魔石をロンダリングしているか、さもなくば、我々の知らん不気味な方法で魔石だけを抜き取っているかだ。」


「……じゃあ、やはり不正を……?」


「わからん。だが、あの鉄級のガキどもにそんな芸当ができるとも思えん。……もしこれが奴自身の仕業だというなら、それはそれで不気味すぎる。……泳がせておけ。奴がこの街に富をもたらすか、それとも既存の均衡を泥沼に引きずり込むか。……しばらく、注視させてもらうぞ。」


その頃、田中は宿の一室で、手元に積み上がった銀貨を並べ、今後の計画を練っていた。


(……ふむ。二日間の稼働で、強制執行によって失った当面の貯蓄分は概ね補填できましたな。ひとまずは、明日食うに困るような状況は脱したと言っていいでしょう。)


田中は眼鏡を指先で押し上げ、窓の外の夜の王都を見つめた。

今夜も「青い鳥亭」の宿代は支払い済みだ。だが、いつまでも安宿暮らしを続けるのも、中長期的な管理の観点からは不適切だ。


(……さて、次のステップです。このまま宿暮らしを続け、その都度、宿泊代を払い続けるか。あるいは、自前で拠点を構え、生活環境を自分の管理下に置くか……。業務効率を考えれば、やはり専用の場所を確保すべき時期かもしれませんな。)


田中の脳内では、すでに物件の選定と、それに伴う防衛設備の導入費用の試算が始まっていた。

失った「家」の代替ではなく、さらなる効率を生むための「拠点」。

51歳の不純な再起は、着実に、そして冷徹に次のフェーズへと移行しようとしていた

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