第103話:過剰なコンプライアンスと「目に見えない壁」
「……さて。利益も出たし、装備も整った。こういう時こそ『コンプライアンス』、つまり法令遵守とリスク管理の徹底や」
拠点のボロ屋。田中は無表情のまま、脳内のそろばんの珠を弾いた。
(パチ、パチパチ……)
稼ぎすぎた新人は、必ず周囲の妬みを買う。特に、牙イノシシのような「高単価素材」を連日納品していれば、ギルド内で「あいつらは不正をしている」という風評被害が発生しかねない。
「ザック、ニコ、ミア。明日からの業務は『適正なサボり』や」
「……はぁ!? また変なこと言い始めたぞ、このおっさん!」
ザックが、新調した直剣をイライラと叩く。
「『目立ちすぎるのは悪』や。明日からは、ギルドの掲示板の一番隅にある、誰もやりたがらん『下水路の掃除』や『倉庫の整理』の依頼を、週に三日は混ぜる。――これが、周囲のヘイトを逸らすための『隠れ蓑』になる」
田中は事務的に、最も報酬が安く、かつ最も「汚れ仕事」とされる依頼書を三人に手渡した。
王都下水路:効率化された「清掃業務」
数日後。王都の地下を流れる下水路。
普通、鉄ランクにもなった冒険者がやる仕事ではない。ヘドロにまみれ、悪臭に耐え、報酬は角ウサギ一体分にも満たない。
だが、田中一行の動きは、そこでも「異常」だった。
「ニコ、その鼻で詰まりの原因(ヘドロの塊)を特定しろ。ザック、スリングでその塊を狙い撃って砕け。ミア……隙間に逃げ込む害獣を針で処理や。――俺が水流魔法で一気に押し流す」
田中が指先から放つ高圧の水流は、下水路の壁面を削ることなく、汚れだけを完璧に剥ぎ取っていく。
それは「掃除」というより、**「インフラの精密洗浄」**だった。
「……っ。……ふふ」
暗がりの中、汚水にまみれた巨大ネズミの急所を、ミアのニードルが正確に貫く。
生命の灯が消える瞬間の、泥の中での微かな震え。ミアの口角が、暗闇の中で妖しく跳ね上がった。
冒険者ギルド:不可解な「誠実さ」
夕暮れ時。田中一行がギルドへ戻ると、受付の職員は目を剥いた。
「……おい。下水路の清掃依頼、完了報告か? あそこは先月の豪雨で詰まりが酷くて、ベテランでも数日はかかるはずだぞ……」
「……ええ。終わりましたわ。一応、完了箇所の図面と、除去したゴミのリストです」
ザックが、田中に書かされた(代筆させた)**「業務完了報告書」**を無造作に放り出す。
汚れ一つない、正確な地図と清掃状況が記された書類。
田中は後ろで、一切口角を上げず、脳内そろばんで「清掃効率」と「信頼獲得コスト」をパチパチと計算していた。
(……よし。これでギルド側には『真面目に汚れ仕事もこなす便利な新人』という印象が付いたはずや。リスクヘッジ完了やな)
だが、酒場の隅でそれを見ていた**【情報屋】**は、冷や汗を拭った。
(……恐ろしい。あの男、苔や牙といった高利益の商売をあえて抑え、あんな『ドブ板』の仕事まで完璧にこなしてみせた。……あれは謙虚さじゃない。**『この街の地下構造まで把握し、ギルドに貸しを作ろうとしている』**という、底知れない支配欲の表れだ……!)
田中が「よし、これで明日からまた静かに苔が毟れるな」と脳内でハンコを押している間に、ギルドの報告書には、**『要警戒:タナカ。清掃業務を隠れ蓑にした、地下工作の疑いあり』**という、最悪の推測が追記されていた。




