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柔よく剛虎を制す!~呪いの帯で虎の怪物になった元・柔道女子高生は妖を柔道技でねじ伏せる~   作者: 暁季
後半戦

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第十九話 私と友と白き雨


 白陽町(はくようちょう)を覆いつくした巨大な毛壁(もうへき)の「畳」。


 その中央に、千年の厄災である業虎(ごうこ)の巨体が、頭から叩き潰されるように深くめり込んでいた。


『ガ……ァ……ッ……』


 断末魔のような(うめ)き声を漏らし、業虎の肉体を覆っていた禍々しい黒いオーラがジュゥゥと音を立て、急速に蒸発を始めた。


 ビルをも超える山のような巨体がみるみると萎縮し、やがて黒いオーラが完全に消え去ると、巨大な畳も光の粒子となって霧散(むさん)した。


 支えを失い、崩壊した瓦礫のど真ん中へと落ちていったのは──人間とほぼ同じサイズまで縮んだ、一つの小さなシルエットだった。


「……! (らん)ちゃん……ッ!」


 (つむぎ)が叫び、(れん)がすぐさま二人の手を掴み、屋上から跳躍する。


 フワリと瓦礫に着地するや否や、紬と夢愛(ゆあ)は漣の手を放し、もうもうと立ち込める土煙の中へと無我夢中で駆け出した。


「ハァ、ハァ……蘭ちゃんっ!!」

「蘭ッ!!」


 近づくにつれて、二人の足取りが、わずかに乱れる。


 業虎が放っていた禍々しい殺意の気配は、もうない。

 蘭を(むしば)んでいた呪縛は解けたはずだ。


 しかし、町全体を震わせた凄まじい衝撃。

 蘭が無事だという保証もない。


 不安と恐怖を押し殺し、少女たちは必死に土煙を掻き分け、走り続けた。


 やがて、煙が道を指し示すように冷たい秋風に乗って広がり、消えていく。


 山の上まで昇った朝日が照らす、瓦礫の中心。


 そこに倒れていたのは──


「……ぁ……っ」


 紬が、声にならない悲鳴を上げてその場に凍り付いた。

 隣にいた夢愛も、血の気が引いた顔で足が止まる。


 

 うつ伏せでぐったりと倒れていたのは、元の、完全な人間の姿に戻った虎井(とらい) 蘭ではなかった。


 人間の面影を残しながらも、その肌は虎柄の毛皮に覆われている。


 しなやかさでありながら剛健な筋肉が、ボロボロの衣服の隙間から浮かび上がっていた。


 腰には尾。

 頭には獣耳。


それはかつて、漣と白雨(はくう)の術によって見せた、あの「半人半獣の姿」そのままだった。


 業虎は消え去ったはずなのに。一体彼女の身に何が起きたのか。


 完全に人間に戻り切れていない親友の姿に、紬と夢愛は言葉を失い、立ち尽くすしかなかった。



 ──その時。


「……ん、んんっ……」


 倒れた半人半獣の口から、微かな(うめ)き声が漏れた。


 ゆっくりと、重い瞼が開かれる。


「……つむ、ぎ……ゆあ……?」


 たどたどしく紡がれる言葉。

 それは間違いなく、彼女たちが愛してやまない親友の声色だった。


「……おはよ……えへへ……私、勝ったよ……」


 痛む身体を庇うように少しだけ口角を上げ、親友が笑いかけた。


「蘭ちゃぁぁぁぁん!!」

「バカ蘭! 心配かけさせんなしっ!!」


 半獣の中身が間違いなく「蘭」だと確信した瞬間、紬と夢愛の瞳からボロボロと大粒の涙が溢れだした。


 その姿など、どうでもよかった。世界が守られ、蘭が生きて笑いかけてくれた。それだけで充分だった。


 二人は瓦礫につまずきながら駆け寄り、蘭の身体に泣き叫びながらしがみついた。



 ◇ ◇ ◇



 朝日に照らされる、優しく、あたたかい再会の涙。


 ぼんやりとしていた意識が目覚めだし、大妖(たいよう)との記憶が脳裏に蘇る。


 私は──いや、私たちは勝ったんだ。

 あの業虎を、みんなの絆の力と私の柔道で、ねじ伏せたんだ。


 疲労と達成感で全身が緊張から解放される。

 

 私は、重い身体を捻って仰向けになった。

 朝日が勝利を祝福するかのように全身をあたたかく照らしてくれる。


 ふと、涙でぐしゃぐしゃになりながら私にしがみつく紬と夢愛に目をやった時、私は今の自身の変わり果てた姿に気が付いた。


 太く、しなやかな筋肉の詰まった橙色の獣毛に覆われた腕。

 その先に伸びる鋭い鉤爪。

 

「あっ……」


 おそるおそる頭へと手を伸ばした。

 燃えるような橙色(だいだいいろ)のボサボサの髪が節くれだった指を絡めとる。

 そして、頭部に生えた丸い獣耳に指先が触れ、ピクリと小さく跳ねた。


「私……戻れてない……」


「……白雨様」


 瓦礫の向こうから、漣が微かに声を震わせながら私の元へたどり着いた。その肩には白雨が神妙な面持ちで乗りかかっていた。


「業虎は消滅したはずです。なのに何故コイツの身体は元に戻っていないのですか。……早く、元の姿に戻してやってくださいよ……」


『…………』


「白雨様ッ!」


 沈黙する白雨に、漣が焦燥に駆られたように声を荒らげる。

 白雨は目を閉じてゆっくりと首を横に振り、絞り出すように真実を告げた。



『……すまぬ。わしにもどうする事もできぬのじゃ……』

「っな……どういう事ですか!」


『たしかに業虎は完全に沈黙した。しかし、小娘は業虎の強大な力を溢れさせぬよう長期にわたり半獣の姿で力の均衡を保ち続けておった……その結果、極限状態の肉体が生き残るために、大妖の力を「異物」ではなく「自身の力」として完全に同化させてしまったのじゃ……』


「同化……した……?」


 漣の言葉に、白雨が重く頷く。


『左様。今の小娘は人間の力と(あやかし)の力の融合体……つまり、小娘はもう二度と元の人間の姿に戻ることは出来ぬ』



 ──二度と、人間に戻ることは出来ない。


 その残酷な宣告は、朝の静寂に冷たく響き渡った。


「そ、そんな……そんなコトってあるかよっ……」


 夢愛が口元を両手で覆い、信じられないというように首を振る。


「嘘だ……だって蘭ちゃんは、何も悪いことしてないのに……! 私たちの為に必死で闘ってくれてたのに……!」


 紬が、私の虎の腕をギュッと抱きしめ、子どものように声を上げて泣き崩れた。


 漣もまた、血がにじむほど拳を強く握りしめ、己の無力さを呪うように俯いている。



 世界を救った代償。

 それは、私の普通の人間としての未来と、大好きな柔道への復帰というささやかな夢の完全な喪失を意味していた。


 重苦しい絶望の空気に包まれる中、当の私は不思議なほど清々しい気持ちでいた。


「そっか……戻れないのか、私」


 私は鋭い鉤爪のついた手を朝日にかざしながら、ポツリと呟いた。



「呪いの帯」に突如壊された日常。

 はじめは呪いを解いて、元の姿に戻りたい。その一心だった。


 しかし、親友たちと共に妖と闘った日々の中で、いつしかその思いは「大切な人と世界を守りたい」という意志へと変わっていったのだった。


 ──人間に戻りたかったという気持ちも、もちろん本物だ。

 私なりにガッカリはしている。

 

 だが、後悔はしていなかった。

 業虎を倒し、みんながいる。それだけで充分だった。


 私の姿なんて――安い代償だ。


 私は泣きじゃくる紬と夢愛の頭を、大きな手でポンポンと優しく撫でる。


「私は大丈夫だよ。泣かないでよ二人とも……みんなが無事で、本当に良かった」

「だ、だってぇ……! 蘭ちゃんが……蘭ちゃんがっ……!」


「ちょっと毛深くなって、尻尾が生えたくらい……みんなが生きているなら、そんなの大したことじゃないよ」


 私は痛む身体をゆっくりと起こし、二人に優しく微笑みかけた。


 どんな理不尽にも決して屈しない。

 私の「柔道家」としての魂が、その運命を受け入れた。



 ──しかし。


 ふと視線を上げ、瓦礫の山から市街地を見下ろした私の顔から、笑顔がスッと消え失せた。


「町が……こんなに、壊れて……」


 朝の光に照らし出された白陽町は、まるで爆撃を受けたかのように壊滅していた。


 崩れたビル。砕けた道路。潰れた自動車。


 そして、何より私の心を(えぐ)ったのは、崩壊した町のそこかしこに横たわる、無数の「動かない影」だった。


 認識阻害(にんしきそがい)の空間の中で、見えない巨躯(きょく)に踏みつぶされ、命を落とした町の人々。


「……わ……私が……この町を壊した……たくさんの人を、死なせてしまった……!」


 私の瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 震える手でギュッと握りしめた鉤爪が、私自身の(てのひら)に食い込み、血を滲ませる。


「う、うああぁぁぁっ!! ごめんなさい……! ごめんなさい……ッ!!」


 バケモノの姿になろうとも、親友たちが無事だったのならそれでいいと、そう思えていた。


 しかし、私の肉体が奪った無数の命の重さは、決して「安い代償」などで片付けられるものではなかった。


 勝利の光の中で、私は己の罪の意識に打ちのめされ、ただ涙を流して謝り続ける事しか出来なかった。



『……自分を責めるでない、小娘よ』


 泣き崩れる私の背後から、静かで、どこか慈愛に満ちた声が響いた。


 振り返ると、白雨がどこか遠くを見るような、穏やかな眼差しで私たちを見つめていた。


『おぬしはよく闘ってくれた。……ここから先は、神であるわしの最期の仕事じゃ』



「……最期の、仕事……?」


 漣が怪訝(けげん)な顔で白雨を見返す。

 白雨はゆっくりと漣の前へ歩み寄り、その目を真っ直ぐに見据えた。


『漣よ。千年前に業虎を封じた際、おぬしの先祖である葛葉(くずは)一族がどうなったか、伝承で聞いておるか?』


「……強大な封印術の代償として、一族のほとんどが力を使い果たし、命を落とした……そして、その生き残りが、俺たちだと」

『それは半分正解で、半分間違いじゃ』


 白雨が静かに首を振る。


『あの日、葛葉の人間は「全滅」したのじゃ。封印の代償としてな。……わしは、命を賭してこの地を護った彼らを死なせたくはなかった。ゆえに、己の神としての力の全てを使い、一族を「蘇生」させたのじゃよ』


「……なッ」


 漣の目が驚愕に見開かれる。私たちも息を呑んだ。

 千年前の大戦に、そんな真相があったなんて。


『力を使い果たした代償として、わしは石と成り果て千年もの間眠りについていた。……じゃが、後悔はしておらん。神とは人の祈りによって在り、人を護る為に在るものじゃからな』



 白雨の体から、ふわりとあたたかく眩しい「白い光」が溢れだし始めた。

 それは、朝日に溶け込むような、優しく神聖な光だった。


「お、おい……待ってください! まさか白雨様……!」


 漣の顔から血の気が引く。

 白雨の「意図」に気付き、慌てて手を伸ばした。


「ダメです、白雨様! 千年前とは違います! 今のあなたは力を完全に取り戻していない! そんな状態で力を使い果たせば、あなたは……!」


 漣の悲痛な叫びに、私たちはハッとして白雨を見た。


 しかし、神は「歩み」を止めなかった。


 白雨は伸ばされた漣の手を、光を帯びた大きな尾でそっと握り返した。


『案ずるな、若き封印師よ。……わしは千年の間、石の檻の中からずっとこの町を見ておった。人々が笑い、子が育ち、営みが続いていく……その美しい光景こそが、わしにとっての誇りであり、神としての最大の幸福じゃった』


 白雨がふわりと微笑む。

 そして、どこかおどけたように目を細め、言葉を続けた。


『それにじゃ……石から目覚めて短い間じゃったが、おぬしらと過ごした日々、なかなか悪くなかったぞ。……出来る事なら、あの塩の効いた「ふらいどぽてと」をもう一度食っておきたかったのう……』


「やめろって言ってるだろ……! ポテトなら、いくらでもあげますから……ッ! 神様なら、最後まで俺たちの神様でいてくれよッ!!」


 いつもクールで淡々としていた漣の瞳から、大粒の雫が流れ落ちる。


「そうだよッ! ウチ、マッツのポテト山盛り奢るって! だから、行かないでよぉ……!」


 夢愛がボロボロと涙を流しながら、漣の隣で必死に叫ぶ。


「白雨様……嫌です……私たち、まだちゃんとお礼もできてないのに……!」


 紬もまた、あふれる涙を拭おうともせず、光に包まれていく白雨に向かって必死に両手を伸ばした。


 そのあたたかく、純粋な涙を見た白雨は、心底愛おしそうに目を細めた。


『泣くでない、優しい小娘たちよ。おぬしらが見せてくれたこの時代の景色は、千年の孤独を埋めるに余りある程、眩しくてあたたかいものじゃった……』


 白雨の体は、足元から少しずつ透き通るような光の粒子へと変わり始めていた。


『今度はわしが、おぬしらの未来を護る番じゃ。……神は死なぬ。おぬしらがこの地で笑って生きる限り、わしは永遠にそこにおる。』


 白雨が九本の尾を大きく天へと広げた。


 その瞬間、太陽の光よりも眩しく、あたたかな「神力」が()ぜ、やがて白陽町の空全体から白く輝く光の雨が、静かに降り注ぎ始めた。


 それは、どこまでも優しくてあたたかい雨だった。

 無数の光の雫が崩壊した町を包み込む。


 すると、瓦礫の下や路上で息絶えていた無数の人々の身体が、光に包まれながら淡く輝き始めた。


 止まっていた心臓が脈打ち、冷たくなっていた肌に血の気が戻っていく。


「う……ん……?」

「あれ……俺、どうしてこんなところで……?」


 光の雨が過ぎ去った後。

 息絶えていた町の人々が、次々と戸惑いながらも立ち上がり始めた。


 誰も死んでいない。

 町の命が、白雨の奇跡によって完全に蘇ったのだ。



『……見事な一本じゃったぞ、虎井 蘭』


 光の粒子になりかけた白雨が、最後に私の方を向いて、優しく微笑んだ。

 

 その言葉に、私はハッとして顔を上げる。

 そして、溢れる涙を毛皮に覆われた腕で乱暴に拭い、精一杯の笑顔を作ってみせた。

 

「……はいっ! 私の人生で、一番の『一本』でした! ……白雨様、本当に……ありがとう……!」


 涙声を押し殺しながら、私は真っ直ぐに、力強く答えた。

 それを聞いた白雨は、心底満足そうに、何度も深く頷いた。



『我が名は白雨。すなわち、「白き雨」。……この白き雨は、ここでおしまいじゃ』


 白雨の体が、いよいよ風に溶けようとしていく。


『じゃが……雨が上がれば、空には必ず「白き陽」が昇る。わしはこの【白陽町】を照らす天の光となって、この世界を、おぬしらを見守っておるぞ』



『おぬしらの行く末に、幸多からんことを』



 朝の冷たい風が吹き抜ける。


 白雨の姿は、無数の光の欠片となって天高く舞い上がり──

 そして、白陽町を照らす眩しい朝日の中へと、完全に溶けて消え去った。



「白雨様ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 漣の喉を裂くような慟哭(どうこく)が、静かな町に響き渡る。


 私たちは、涙を流しながら――

 優しい光が広がる朝の空を、いつまでも見上げていた。


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