第二十話 少女と少年と新しい明日
吐く息が白く色づき始めた、十一月の下旬。
『──続いてのニュースです。先月、白陽町を中心に発生した局所的な謎の大地震ですが、専門家の調査でも未だ断層のズレなどは確認されておらず……』
リビングのテレビから流れる朝の情報番組の音を聞きながら、私は山盛りに積まれたトーストの五枚目を口に運んだ。
あの日の出来事は、「謎の局所的大地震」として処理されていた。
「蘭、よく食べるのはいいけど……いくらなんでも薄着すぎない? 風邪ひくわよ?」
「平気平気! むしろちょっと暑いくらいだから!」
「信じられないわね……ま、いっぱい食べて元気なのはいい事だけど」
呆れたように笑う母に、私は素直に「ごちそうさま!」と返す。
怪我で柔道が出来なくなり、ずっと家族に当たり散らして険悪だったあの頃が嘘みたいだ。
死の淵を彷徨い、本当に大切なものに気付けた今、私は家族の前でとても素直になれていた。
もちろん、私の身体が完全に「元通り」になったわけじゃない。
今の私は、もう完全な人間ではない。
制服の下には、あの日の「名残」がある。
おまけに、使おうと思えば千年の大妖の戦闘力や再生能力まで引き出せてしまう。
しかし、今の力は完全に「私自身のもの」として馴染んでおり、暴走する危険は微塵もない。
だから呪いのように暴食をする必要もないはずなのだが……なぜか食欲だけは、ずっと増えたままだった。
それに、こんなバケモノみたいな身体でも、日常生活に全く支障が出ていない。
「認識阻害」の能力のおかげで、霊力を持たない一般の人の目には私は「普通の女子高生の虎井 蘭」として映っている。
「それじゃ、行ってきます!」
「はーい、気を付けてね!」
私は上着も持たず、制服のボタンを開けたままの軽装で家を飛び出した。
ひんやりとした初冬の空気を胸いっぱいに吸い込み、いつもの通学路を歩く。
今の私は代謝が非常に高い上に立派な獣毛に覆われているため、冷たい風がむしろ心地よい。
交差点には、見慣れた親友たちの姿があった。
「あ、蘭ちゃんおはよーっ!」
「もうおっそいし! ウチらとっくに待ちくたびれたんだけど~」
コートを着込んだ紬と夢愛が手を振っている。
その後ろには、上着のポケットに手を突っ込み、気だるそうにスマホを弄る漣の姿もあった。
親友たちだけは術のおかげで、私の「半人半獣」の姿がそのまま見えている。
しかし、誰一人としてそれを気にする素振りなどない。
「ごめんごめん! 朝ごはん食べすぎちゃってさ……」
「またぁ? 蘭ちゃん、あれから食欲変わらなかったもんね」
マフラーに顔を埋めながら、紬が呆れたように笑う。
彼女のパンパンに膨らんだバッグの中には、分厚い古文書のコピーが詰め込まれていた。
紬は今も勉強の傍ら、私の身体を人間に戻す方法がないか、過去の文献を漁ってくれているらしい。
私は「もう今のままでも充分幸せなんだけどな」と思っているが、私の為に必死になってくれている優しさが嬉しくて、特に止めたりはしなかった。
「ってゆーか蘭……そのカッコ、見てるこっちが寒くなるんですけど」
「そう? 私は全然ぽかぽかなんだけどなぁ」
夢愛のツッコミに、私は胸を張って答える。
実は最近、夢愛が再開した趣味の動画配信で、「私の爆食い動画」をアップしたところ、とんでもない量を平らげる女子高生フードファイターとしてプチバズりしてしまったのだ。
初めは動画を隠し撮りされていて恥ずかしくてたまらなかったのだが、あれよあれよと増えていく「いいね!」と寄せられる応援コメントに感化され、時々夢愛の動画に出演するようになっていた。
「今日の放課後も新作撮るからね! プリティタイガー蘭の特大ちゃんこ鍋完食チャレンジーッ!」
「よーし任せて~!」
「ハッ、お気楽なこった。俺は今日も山に籠って修行だぜ」
「葛葉くん、最近すごく真面目だよね。……白雨様が見てるから?」
「……うるせえよ、藤宮」
紬の言葉に、漣は少しだけ照れくさそうに顔を背けた。
みんな、それぞれ前を向いて歩いている。
私は、もう柔道の表舞台に復帰するつもりはない。
怪我は業虎の力で完治しているが、普通の人間相手にこの腕力を振るえば、命に関わる大怪我をさせてしまうからだ。
大好きだった柔道の道を諦めた事に、未練がないわけじゃない。
でも──
「ほら、早く行かないと遅刻しちゃうよ!」
「ねー漣! また術で学校まで運んでくんない?」
「バーカ。んなことの為に俺は修行してるんじゃねえんだよ」
他愛のない会話で笑い合う親友たちを見つめながら、私は清々しい冬の始まりの風を深く吸い込んだ。
柔道家としての私は、もういない。
でも、普通に学校に通い、バイトをして、家族と笑い合い、親友たちと遊ぶ。
そんな何気ない日々が、今の私にはとても愛しい。
ふと見上げた空は、雲一つない澄み切った青空だった。
あたたかく、眩しい「白き陽」が、私たちの町を──世界を優しく照らし出している。
『神は死なぬ。おぬしらがこの地で笑って生きる限り、わしは永遠にそこにおる。』
(……見ていてね、白雨様。私、いっぱい笑って生きるから)
私は、ピンと立った耳と尻尾を揺らしながら、親友たちの背中を追いかけた。
私の最高の日常は、これからも続いていく。




