次大夫堀公園
験力で創られた鏡の中に入った途端、全身が痺れ、激しい目眩と吐き気に襲われた。だが、足下には出口と思われる穴があり、その向こうに誰かが横になっている。
一瞬、朱理かと思ったが全くの別人だ。それに横になっているのではない、立っているのだ、空間が歪んでいる。そして、見えているのが敵であることを悠輝は直感した。
「セイ!」
気合いを入れて跳び蹴りの体勢で異空間から飛び出す。蹴りは見事に命中し、相手の身体が吹っ飛ぶ。それと同時に、背後の験力の鏡は消滅した。
「朱理、御堂、大丈夫か?」
二人ともドロだらけだ。悠輝の中に激しい怒りが湧き出した。
「うん……」
朱理の瞳に涙が溢れる。
「おじさん、ありがとう」
「ってが、おぢざん、いばのだに? だにをしたの?」
御堂が血だらけの鼻と腹部を押さえながら尋ねた。
「時空をちょっと歪めただけだ。そのお陰で新幹線より速く着けたし、交通費も節約出来た。
それより、こっちは雨か」
悠輝は雨が降っている事に気付いた。朱理の身が心配なのと、異空間を通った後遺症でかなり気分が悪く気が付くのに時間がかかった。朱理の無事を確かめて安心したのか、気分は大分落ち着いている。
悠輝は手を伸ばし御堂を立たせた。腹部に手を添えて背中を押して直立させる。
「ぶばッ、胃ばよじれるようなおどがぢだ」
痛そうだったが大分楽になったようだ、後は鼻血だ。悠輝はハンカチを差し出したが、御堂は掌で断り、ティッシュをポケットから出して鼻に詰め始めた。
「朱理……」
改めて腫れた右頬と半袖から覗く両腕を見て、悠輝は息を飲んだ。
「こんなにされて……
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ。
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」
応急処置として薬師如来真言を唱える。
「心配かけて、ごめんなさい」
「こっちこそ、遅くなって本当にごめん」
頭をなでようとしたが、また逃げられてしまった。法眼に殴られるより、こっちの方がダメージが大きい。
「あ……」
感情が顔に出たのだろう、朱理が申し訳なさそうにする。姪に気を遣われるとダメージが倍増する。
「女心が解ってないわね。ラノベじゃないんだから、女子は頭をなでられるのを嫌がるのよ。ってか、あたしには回復呪文やってくれないの?」
「別料金だけど」
「ひっどーいッ、叔父さん、カワイイ姪からお金取るのッ?」
「だから、おれはお前の叔父さんじゃないッ。それと……」
と言って、ずぶ濡れになって倒れている女に視線を移した。
「おまえはいつまで死んだフリをしてるんだ?」
悠輝の言葉に反応し、ユラリと女は立ち上がった。
「もう少し霊力を回復したかったのに、せっかちな男は嫌われるわよ」
「最近よく言われる。だから、こう答えてる。
おまえになら、いくら嫌われたって構わない、むしろ絶対好かれたくないってな」
お互い睨み合う。
この女が芦屋満留か……
金で呪詛を行う外法師であり、昨年御堂の仕事を手伝った際に、図らずも彼女の呪詛を破る事になった。
「朱理、御堂と一緒に行け」
「でもッ」
「安心しろ、おれはこんな奴に負けたりしない」
御堂が朱理の手を取った。
「行こう、永遠。叔父さんの邪魔になるわ」
朱理は何度も振り返りながら公園を出て行った。
悠輝は朱理と刹那が充分離れるのを確かめた、何としても二人の安全は確保する。
「鬼多見悠輝、貴方は本当に私の邪魔ばかりするのね」
「ナニ言ってやがる、テメェが邪魔されるような事をしてんだろ」
雨が激しさを増す。
「なるほど、貴方から見ればそうなるわね。でも、私もここまで面子を潰されて引き下がるわけにはいかない。
去年の呪詛返し、結構大変だったの。直ぐに御堂を始末出来ないくらい。
貴方には何倍にもして返してあげる」
「出来るモンならやってみろ、大変な目に遭うのは自業自得だ」
満留が矢継ぎ早に蹴りを出すが、悠輝は紙一重でかわしていく。
隙を見て満留の脚を払おうとするが、彼女も悠輝の動きを読んでいる。
「少しはやるじゃない」
「おまえも本気を出したらどうだ?」
「やれやれ、気付いてたの。じゃ、遠慮なく!」
先ほどとは比べ物にならないスピードで、蹴りが繰り出される。
今度は避けることが出来ず、悠輝は腕で受け始めた。
「どうしたの? 姪っ子と同じ目に遭うわよッ」
「大きなお世話だ」
悠輝は腕を降ろした。
ここぞとばかりに悠輝の横面を満留は蹴りつける。
だが、彼女の脚は当たる直前で空気の壁に阻まれた。
悠輝が念動力で満留の脚を受け止めたのだ。
「うわッ」
振り上げた脚の足首を軸にして、満留の身体が宙に舞う。
悠輝は空中に験力の板を作り出し、踏み台にして満留を追い越す。
両手を握り合わせ、無防備な満留の腹部に叩き込む。
「フゴッ」
彼女は急降下し、水溜まりの水を派手に飛び散らせて地面に激突する。
「き、貴様……」
受け身だけではなく、とっさに呪力を使って衝撃を抑えたのだろう、大した怪我はしていない。
「聞きたいことがある、アークソサエティに、あの呪符を流したのはおまえか?」
「だったら?」
挑むような眼で満留は顔を上げる。
「紫織を拉致するよう仕向けたのも、おまえか?」
「フン、そんな事をして、鬼多見法眼を敵に回すようなバカな真似はしないわ」
悠輝は鼻で嗤った。
「冗談だろ? 朱理をあんなに傷つけて、爺さんが笑って済ませると思ってるのか?」
満留の顔が急に青ざめた。
「あのガキは私を二度も焼いた!」
この女は見た目ほど冷静ではない。恐ろしくプライドが高く、それを傷つけられると自分を見失う。
まぁ、おれも人の事は言えないか。
朱理を傷つけられ、悠輝の腸は煮えくり返っている。
「どうでもいいか。爺さんの前に、おれがおまえをぶちのめす」
「貴様が?」
満留がこれ見よがしに鼻で嗤い返す。
「いい気になるなッ」
焦げた服の胸元に手をかけ引き裂く。そこには、血で呪言が書かれた黒い人形がぶら下がっていた。満留は印を結んだ手を人形に押しつける。
「出でよアメノウズメッ、急急如律令!」
満留を守るように女の幽霊が現れた。恐らく、彼女が御堂が話していた鮎瀬千尋だ。
「オン ア ビ ラ ウン ケン ソワカ!」
悠輝は素早く印を結び祓った。
千尋の姿は霧散するものの、直ぐにまた現れ、今度はその姿が変化しだす。
「なにッ?」
身にまとっていた衣服が消え、頭には榊の髪飾り、ヒカゲノカズラのタスキをして、裳の紐を陰部に垂らしている。そして、茅を巻き付けた鉾を手にしていた。まさに、日本書紀に描かれているアメノウズメの姿だ。
そんな、これは……
「テメェッ、人間を式神にしたのかッ?」
優越感に浸った笑みを満留は浮かべた。
「気が付いた? このアメノウズメは私の最高傑作なの。
魔物を使って独自のアレンジを加えてるけど、きっと貴方も気に入るわ」
式神アメノウズメにされた千尋が、舞うように悠輝に斬りかかる。
振り回される鉾をかわしながら印を結び、金剛夜叉明王真言を唱える。
「オン バサラ ヤキシャ ウン!」
悠輝の験力が炎となりアメノウズメを包む。
が、鉾の一振りでかき消された。
再び鉾が悠輝を襲う、先ほどよりも動きが速くなっている。
悠輝は必死に避けながら、精神を集中させる。
「裂気斬ッ」
手刀に験力を集め刃として放つ。
裂気斬を受け、今度はアメノウズメの姿が消えた。
ところが、喜んだのも束の間、直ぐにまた現れる。
「ぐわッ」
突き出された鉾をかわしきれず、切っ先が左肩を切り裂く。傷は浅いのに、凍り付きそうな痛みが走り、白いシャツに血が滲む。
やっぱり、防弾チョッキは役に立たないか。
呪術的な力が込められた攻撃を防ぐ事は出来ないようだ。痛みによろめいたところに、今度は鉾が振り下ろされる。
紙一重でかわし、鉾の柄を掴む。
「うッ」
手を擦り抜け、痺れるような痛みが走った。悠輝は慌てて、アメノウズメから距離を取る。この化け物と長期戦は不味い。
「ノウマク サラバ タタギャテイ ビヤサルバ モッケイ ビヤサルバ タタラタ センダ マカロシャナ ケン ギャキ ギャキ サルバビキナン ウン タラタ カン マンッ」
不動明王金縛りでアメノウズメの動きを止めると、身を翻して満留に躍りかかる。
「来たれアメノウズメッ、急急如律令!」
背後にあった式神の気配が消えたかと思うと、眼の前に現れ鉾を縦一文字に振り下ろす。
とっさに飛び退いたが間に合わず、額に凍てつくような痛みが走る。
眼に血が入って視界を奪う。
「クッ、裂気二連斬!」
痛みを堪え、気配を頼りに、身体を回転させて右の手刀と右脚から裂気斬を放つ。
手刀の裂気斬は、アメノウズメを切り裂き消滅させる。
わずかに後れた脚の裂気斬は、そのまま進み満留に命中する。
いや、命中していない、直前で消滅した。
「貴方の考える事ぐらい、お見通しよ」
眼に入る血を拭い、満留の足下を見ると、彼女は大きな数珠の輪の中に立っている。
チッ、結界か!
「なるほど、危ない事は式神に任せて、自分は安全な場所から見物か。直接おれと戦ったら、また痛い思いをして、惨めに負けるだけだからな。
大して実力のない三流外法師の戦法だな」
「フフフ……そんな解りやすい手に引っかかると思う? 私を挑発して、結界から出そうってのが見え見えよ」
プライドの高さを利用し、我を忘れさせようとしたが、満留もそこまで単純ではないようだ。
「私の実力が生んだのが、そのアメノウズメよ。たっぷり楽しむといいわ」
式神の攻撃が、さらに激しさを増す。
「ノウマク サラバ タタギャテイ ビヤサルバ モッケイ ビヤサルバ タタラタ センダ マカロシャナ ケン ギャキ ギャキ サルバビキナン ウン タラタ カン マンッ」
再び式神の動きを止める。
だが、すぐに満留が金縛りを解くはずだ。これではいくらやっても切りがない。いや、恐らく先に悠輝の験力が尽きてしまう。満留もそれを計算しているのだ。
どうする……
呪縛を解くには、依頼主か呪いを施した呪術師がその呪物を燃やさなければならない。他者が燃やすなどして無理やり呪縛を解こうとすると、呪詛返しが起こり、依頼主や呪術師に禍が起こる。
どんな禍か予測がつかないが、強力な呪詛であれば命を失う可能性も充分にある。満留がどうなろうと構わない。しかし、悠輝が呪縛を解けば誰かが死ぬ可能性が高い。
でも、迷ってるヒマはねぇ。
ここで止めなければ、アマノウズメを使役する芦屋満留が野に放たれる。彼女が次に狙うのは、朱理と御堂だ。朱理については、法眼を恐れて手を出さない可能性もあるが、御堂は確実に殺される。
千尋を解放すれば、その呪詛返しで満留は無事では済まないはずだ。そうすれば、朱理と御堂が法眼の保護下に入る時間は充分に稼げる。父に頼るのは我慢ならないし、自分の知らない誰かが生命落とすかも知れない。それでも朱理と御堂の生命を秤にかける事は出来ない。
悠輝は覚悟を決めた。
紫織を取り戻すため散々手を血で汚した、これ以上汚れても何も変わらない。脚に仕込んでおいた小さな独鈷杵四本を素早く取り出して、自分を囲むように地面に突き刺す。
「オン サラサラ バザラハラキャラ ウンハッタ」
両手で印を結び簡易的な結界を張る。
「来たれアメノウズメッ、急急如律令!」
式神が姿を一旦消して再び現れると、悠輝に鉾を何度も振り下ろす。しかし、結界により守られているため刃は彼に届かない。
悠輝は右の拳に全験力を集中させる。半端な力ではアメノウズメを祓い、満留の結界を破って人形を破壊することは不可能だ。この拳には悠輝の全ての力を集める必要がある。
式神が激しく結界を斬りつけ続ける。足下の独鈷杵にヒビが入り始めた、もって後数回だろう。だが、それだけあれば充分だ、全験力を、全生命力を集められる。
あと少し……
次の一撃で結界が破られるだろう、そうしたら飛び出す。ところが、最後の一撃をアメノウズメは振り下ろさない。
どうした?
式神の姿が突然消えた。
「私の負けだわ」
お手上げというように両手を挙げ、満留が唐突に言った。
「何のマネだ?」
悠輝は油断せず験力を拳に溜め続ける、雨音がやけに大きく聞こえた。
「わからない? 貴方が命を捨てる覚悟をした時点で私の負けなのよ」
「だったら好都合だろ? どちらにしろ、おれを殺せる」
「そんな事をして何になるの? 言ったでしょ、私は鬼多見法眼を敵に回すほどバカじゃないって」
法眼の名を出され悠輝は苛ついた。
「おれも言ったよな? 朱理を傷つけた時点でお前はアウトだ、だから心配するな」
恐らくこの女は、法眼に泣いて己の死を乞う事になる。
「だから貴方の命を助けるんでしょ。貴方に死なれたら、それこそ法眼は地の果てまで私を追ってくる。
泣いて己の死を乞うなんて御免よ。どうせ殺されるなら、せめてひと思いに殺[ってほしい」
解ってるじゃないか。
プライドを傷つけられると直ぐに自分を見失うが、この女は決して馬鹿ではない。しかし、
「おれを殺そうが殺すまいが関係ない。あいつとは反りが合わない、むしろ殺した方が喜ぶぞ?」
「その言葉に賭けるほど、私はギャンブラーじゃない。
それにプラスにならなくても、マイナスにもならないでしょ。なら、何もしないよりはマシだわ」
そう言うと、満留は首に提げている黒い人形を外した。
「ノウマク サンマンダ バザラダン カン!」
真言を唱えると人形は炎に包まれ、瞬く間に満留の手の中で一握りの灰になった。
「もう敵意の無い証拠よ。じゃあね、貴方は無防備な女の背中を襲ったりしないでしょ?」
「この二日間で、おれが何人殺したと思ってるんだ?」
「それでも貴方を信じるわ。たとえ外法師と言えども、敵意を持たない女を背後から襲ったりしないって」
満留は悠輝に背を向け、次大夫堀公園から出て行った。
彼女の気配が完全に消えるのを確認してから、悠輝は右拳に集めた験力を解放して膝から崩れた。
クソッ、どいつもこいつも、法眼、法眼か……
芦屋満留はこの場にいない法眼を怖れて身を引いた、悠輝の力とは無関係に。
雨はさらに激しさを増し豪雨となった。冷たさにではなく、屈辱に身体が震える。




