牧田診療所 弐
悠輝は二階の部屋に案内された。
ドアをノックして声をかける。
「姉貴、起きているか?」
「寝てる」
不機嫌な声がした。
ドアを開けて部屋の中に入る。六畳ほどの洋間で、遙香が寝かされているベッドの他にも、敷かれたカーペットの上にローテーブルとクッション、勉強机や本棚などが置かれている。部屋を彩る小物やぬいぐるみは、この部屋の主が少女であることを物語っていた。
いや、少女だったか……
この部屋は早美の物だ。牧田夫妻は、未だに娘が使っていた当時のままにしているのだ。
まずいッ、姉貴の前だ。情に流されるとマインドプロテクトが弱まる。
「何を隠してるの? 紫織を取り戻せなかった事じゃないわね?」
思った傍からジャブを打ってくる。部屋に入る前から姉の験力を感じた。嘘も沈黙も認めず、全ての情報を手に入れるつもりだ。
だが、そうは問屋が卸さない。こっちも長年修行して、頭の中を覗き見する奴に対抗する手段を身に着けている。それがマインドプロテクト、験力で精神の壁を創り思考を守る。
「姉貴が知らなくていいことだ」
悠輝は横になっている姉を見下ろした。
「ふ~ん、それって、あんたが人を殺めたってこと?」
悠輝は表情を強ばらせつつ、内心安堵した。もともと嘘が吐けない体質なので、知られたくない別な案件を、遙香が持ち出してくれたのはラッキーだ。人殺しの件は知られたくないが、幻覚で視た姉よりはまだマシだ。
「知る必要はないと言ったはずだ」
それでも怪我人に対し、思わずキツイ口調になってしまった。
「あんたは悪くないわよ」
呟くように姉が言う。
「それに、あんただけ手を汚させはしない」
遙香は身を起こそうとした。
「何してるッ?」
慌ててベッドに押し戻そうとすると、姉が顔を顰めた。
「あッ、ゴメン!」
「これぐらい平気よ。それより、あたしも行く」
ジロリと悠輝を睨みつける。
「どこへ?」
「紫織がいる場所よ。あの子がどこにいるか判らないから、あたしの所に来たんでしょ?」
その通りだ、遙香なら紫織が連れ去れた場所を特定できる。
「さすが姉貴だ、話が早い。教えてくれ、あいつはどこにいる?」
「だから、あたしが案内する」
再び遙香は起き上がろうとする。
「その身体じゃムリだ、おれに任せてくれッ」
「今まで任せてたのに、まだ取り戻せないじゃない」
「たしかに、おれは二度も取り返し損ねた。だが、一回目は姉貴もいた、無傷の状態で」
「あんたシゲちゃんに言ったでしょ、『もう手加減はしない』って。あたしも同じだから」
悠輝は遙香の瞳に冷たい輝きを見た。
「あの女がまた邪魔すれば、今度は躊躇わず殺すってことか?」
遙香は眼を閉じて深呼吸をした。
「必要ならね」
「姉貴、おれ、サキねえちゃんに会った」
さすがに驚いた顔をした遙香は、直ぐに遠くを見るような眼を悠輝に向けた。
「そう、因果なものね。朱理を早紀ちゃんに預けるなんて……」
こういう時、遙香の能力は便利だ、ややこしい説明をしなくて済む。もっとも、知られたくない部分は、しっかりプロテクトをしておく必要がある。
「あの時、何があったか、あんたにまで知られちゃったか」
遙香は視線を逸らした。
「ごめん……」
「なんで謝るの?」
「おれは知ろうとしなかった」
姉のプライベートに踏み込まないと言えば聞こえがいいが、厄介事に首を突っ込みたくなかったのだ。
「あたしだって、あんたに知られたくなかった。もし、あの時点で嗅ぎつけたら、間違いなく記憶を消してたわ。
あんたを巻き込みたくなかった。玲菜との事だけじゃない、験力に関係すること全てに」
「おれだって同じだ、朱理と紫織の験力を否定し続けてきた。でも、現実は変えられない、験力を持って生まれた以上、宿命を変えることは出来ないんだ」
「宿命は変えられなくても、運命は変えらた。あたしが験力を封印したいと思わなければ、あんたを置いて家を出なければ……」
遙香は自分が弟を見捨てたと感じ、罪悪感を抱き続けている。
「最悪だ」
「え?」
「これ以上ないくらい最悪だ、それは」
訳が解らないと言う顔を姉はした。
「当然だろ? 姉貴が験力を封じたって思ってなけりゃ、おれは安心して稲本で暮らせなかった。
家を出てくれなけりゃ、二人も頭の中を覗ける奴がいた。そんな状況だったら、おれの精神は完全に崩壊してたよ」
「あ、あんたね……」
「姉貴には解らないだろうけど、健全な思春期の少年は、実の姉に頭の中を覗かれたりしたら、その場で舌をかんで自決するもんなの!」
悠輝は小さく咳をして、口調を改めた。
「それに郡山にいたら、義兄さんとも出会えてない。つまり、朱理と紫織は生まれなかった。これ以上、最悪なことがあるか?」
遙香はかすかに微笑んだ。
「そうね、あの子たちの母親になれないなんて、ありえないわ……」
「二人のためなら、おれは何でもする、どんな罪でも背負う。由衣ちゃんの死も」
それは悠輝の本心であり、覚悟だ。
「あんただけに背負わせない」
「アークは……」
「アークはあたしの獲物よ」
悠輝は何かを言おうとしたが、遙香は強い口調で遮った。
「かわいい娘が拉致られて、もう一人の娘と従弟、毎日おやつをあげている犬まで傷つけられた、あげくの果てにあたし自身が撃たれたのよ。あたしの獲物じゃなくて、ダレの獲物だって言うの?」
「姉貴はその身体だ……」
悠輝は遙香を止める言葉を探した。
「だったら、あんたが守りなさい」
姉を止める方法が無いことを、彼は悟らざる得なかった。




