野田クリニック
そこは牧田診療所より大きく近代的だった。クリニックの駐車場はキャンピングカーに対応しておらず、駐めても線からはみ出している。幸か不幸か午後一時を過ぎていたため、駐車場を利用している患者はおらず、邪魔になる心配はない。
「さてと、警察は来ていないな」
「紫織の存在も感じない」
悠輝が政宗に眼を向けた。彼が感知できなくても、政宗が紫織の気配を見逃す事はないのだ。
「あとは『ドクター野田』に聞くしかないか」
「ちょっと待て!」
キャンピングカーから降りようとする悠輝を、天城は慌てて止めた。
「なんだ? モタモタしてるヒマはない」
「また、ムチャするつもりだろ?」
「するかッ、ただ験力で頭の中を覗くだけだ」
「だがら、それがムチャなんだって!」
悠輝は、何を言われているか解らないという表情をした。
「それで世羽を廃人にしたんだろ?」
「アイツの場合、自業自得だ。朱理に手を出し、姉貴を始末しようとしたんだからな」
「キミは野田健司も廃人にするつもりかッ?」
「必要なら」
何の迷いもなく悠輝は答えた、本気の言葉なのは間違いない。
「あのな、そんな事をしたら早美さんはどうなる? お子さんもいるんだぞ」
「だったら、尚更直ぐに狂信者から解放しないと」
「待てってッ、早美さんとお子さんの気持ちはどうなるッ?」
「大丈夫だ、姉貴が回復したらマインドコントロールを解除してもらう」
「それじゃヤツらと同じか、それ以下だろッ!」
悠輝の瞳が冷たく輝いた。
「言ったはずだ、もう手加減はしないと。目的のため、おれは『鬼』になった」
まったく……
一歩間違えれば父の復讐のため、自分もこうなっていたのだろうか。嫌でも彼の気持ちは解ってしまうが、その行動を認めるわけには行かない。
「ボクも言ったぞ、キミのブレーキになると。だから、ここはボクに任せろ」
悠輝が不満げな顔をする。
「当然だろ? アーク信者に会うんだぞ、キミが行ったって中に入れてもらえない、通報されるのがオチだ。
昼日中に大騒ぎになれば、タダでさえ面倒な状況なのに、完全に身動きが取れなくなる」
悠輝は大きな溜息を吐いた。
「……わかった、お前にまかせるよ」
不承不承彼は椅子に腰を下ろした。
「名探偵の仕事を見せてやるよ」
天城は運転席から表へ出て、ポケットに入れていたピンバッヂを胸元に着けた。彼女が向かったのは、クリニックの入り口ではなく住居の玄関だ。監視カメラがある位置を確認し、インターフォンを押す。
「はい……」
スピーカーから女性の声がした、恐らく早美だろう。バッヂがカメラのレンズに入るよう、立ち位置を調整する。
「お久しぶりです」
「あ、はい、ただ今、中にお通しします」
数秒後、玄関が開き、女性が姿を現した。野田早美で間違いない。彼女は三十代半ばだが、やつれた姿は十歳上老けて見える。それに、化粧で隠しているが、顔には痣がある。
DVか……
胸くそ悪いが、天城はそんな感情はおくびにも出さず、
「本部の佐藤です、私がここに来た理由は解りますね?」
と、言った。
「は、はい……あの、御子神様のことですね?」
天城のバッヂを見詰めながらオドオドと答える。健司だったら見抜かれたかも知れないが早美で助かった、彼女は高い位の信者ではない。そのためアークソサエティの幹部について把握していないのだ。
天城が着けたバッヂは、アークの大幹部が私服の時、それとなく自分が誰かを他の信者に示すために身に付ける物だ。もちろん偽物だが、下級信者から情報を引き出す時には絶大な威力を発揮する。
「主人が、何か粗相をしたのでしょうか?」
やはりオドオドと尋ねる、彼女はあらゆる物に怯えているようだ。
「ええ、実はまだ本部に着かず、教主様直々に確認するよう仰せつかったのです」
早美はこの世の終わりに直面したような顔をした。言葉も無く、口をパクパクさせている。
「こんな状況です、迂闊に電話も出来ませんし、情報の行き違いがあったのでしょう。ご主人は何か言っていませんでしたか?」
安心させるように出来る限り優しく言った。今までの彼女の反応から、すでに御子神はここにおらず、健司も同伴しているのは間違いない。それなら行き先を突き止めたい。
「あの……私には何も……その……お前は知る必要が無いと……」
自分が悪い事をしたかのように俯く。
「念のため聞きますが、今ここに他の信者は?」
「いいえ……」
「信者以外にも誰かいませんか? 看護師や事務員は?」
「今日はクリニックを休みにして、従業員は来させませんでした。息子は保育園に預けて、今は私だけです……」
情報はこれ以上無いと天城は判断した。
「わかりました、それでは私の方で改めて確認します」
「あの……主人に、連絡した方が良いでしょうか?」
退散しようとすると、早美が呼び止めた。
「いいえ、結構です」
「でも、私なら、警察に盗聴されていても、怪しまれないのではないでしょうか?」
意外に食い下がる。
「いけません、あなたは我々が置かれた状況を甘く見ています。それが原因で、御子神様や教主様に御迷惑がかかったらどうするのです?」
「それは……申し訳ございません!」
彼女は再びオドオドし、深々と頭を下げた。
恐怖に縛られているな。
野田早美は教団を、未麓を、御子神を、幹部を、健司を、暴力を、あらゆる物を怖れているのだ。その恐怖は鎖となり彼女を縛り付け逃がさない。彼女をここに置いておくのは危険だ。無理やりにでも連れだし、子供と一緒に安全なところへ連れて行きたい。だが、今の自分にそんな余裕はあるのか。
答えは否だ。すでに重要参考人として追われる鬼多見悠輝を抱えている。アークを潰すには彼が必要だ。だから、今は耐えて戻るしかない。明日、また来ればいい。今日、アークソサエティは崩壊する。五年前、父がやり遂げられなかった仕事を自分が終わらせるのだ。後ろ髪を引かれながらも、天城は早美を残してキャンピングカーに戻った。




