原町区
福島県南相馬市原町区。
福島県の浜通りに位置するこの地区は、東日本大震災により、津波と東京電力福島第一原子力発電所の爆発で多大な被害を受けた。その町に再び朝が訪れようとしている。午前四時六分、日の出まで一時間も無いが、空が曇っているせいで真夜中のようだ。
雨が降ってきたら厄介だな……
悠輝はバックミラーで、後部座席にいる政宗の様子を伺った。白い毛皮のお陰で暗い車内でもグッタリしているのが判る。悠輝は助手席に置いたスマホのGPSに視線を落とした。シエンタに搭載されているナビは使い方が判らない。
「もうすぐ着くからな」
「ガゥ」
政宗が不満げな声を上げる。
「付いて来たがったのはお前だろ? モンク言うな」
「ウゥ~」
郡山から南相馬に来るまで三時間かかった。真夜中だったので、交通量が少なく人身事故は起こさなかったが、あちこちで擦ったり脱輪したので、既にシエンタはボコボコだ。紫織を取り戻したら三瓶を呼ぶ事に決めた。
これから交通量が増える中、郡山まで運転するのは自殺行為だ、アークと戦うより何十倍も危険だろう。スマホで確認しながら数分クルマを走らせると、目的の建物が見つかった。
「ここか……」
そこには『スーパーシミズ』と色の剥げた看板が出ている。世羽の脳にはここに紫織がいるという記憶があった。それによると、朱理の拉致失敗を耶蘇未麓に報告した際、叱責と共に牧田診療所の襲撃命令と、紫織がこの場所にいるとの情報を与えられている。
「露骨に罠だよな」
政宗は同意するように低く唸った。大体、失敗した奴に重要な情報など教えるものか。暗殺する相手は思考をスキャン出来るのだ、再び失態を犯せば情報が漏れるのは火を見るより明らかだ。
「ハァ、ここまで来たんだ、鬼が出ても蛇が出ても行くしかないか」
ま、鬼はおれだけどな、と付け加えながら、悠輝はシエンタから降りた。政宗も降ろして建物に近付く。当然入り口はシャッターが降りていて、勝手に開けられないようロックがされている。
建物の周りを確認すると裏口が見つかった。ドアノブを回すと、鍵が開いている。
「ここから入って来いって事か……」
思い切ってドアを開け放つ。その途端、政宗が物凄い勢いで中に飛び込んだ。
「待て!」
間違いない、中に紫織が居る。政宗を追い悠輝も中に足を踏み入れた。
「なに……」
中は見覚えのある廊下だった、戌亥寺の庫裡の廊下だ。
幻覚か。
だとすると、紫織だけではなく、御子神もここに居る。
幻覚と判っているのに、悠輝は廊下を進んで行く。早く覚めなくては。だが、再び台所に入り遙香の背中が視えた時、不可解な既視感に襲われた。
幻覚……じゃない……?
遙香が振り返る、子供に戻った悠輝は姉の顔を見上げる。爛々《らん》と輝く瞳で姉が見下ろす、顔が血で汚れていた。
これは……
姉から視線を降ろすと、彼女の背後に誰かが倒れている。
母さん……
不意にその単語が頭に浮かんだ。遺影とは似ても似つかぬ変わり果てた姿で、母は血溜まりの中に倒れていた。
やっぱり……幻覚じゃない……これは……記憶……
次の瞬間、全身に衝撃が走り視界が歪んだ。悠輝は埃の積もったリノリウムの床に倒れた。
「グッ」
全身が痺れている。それでも、意識が闇に飲み込まれそうになるのを何とか堪えた。この痺れ方、忘れたくても忘れられない。何とか顔を動かすと、先行した政宗も倒れているのが見えた。
「折角、お望み通り眼の前に来てあげたのに」
灯りが点く、ここはスーパーのバックヤードだ。この甲高い少年の声も、しっかり覚えている。
「随分、あっけないですね」
御子神だ、その後ろに紫織が立っている。彼女は焦点の定まらない眼で、右腕を正面に突き出している。
「し……お……り……」
幻覚に惑わさた隙に、紫織の電撃を受けたのだ。
くそッ、またか……
去年、悠輝は魔物に取り憑かれた紫織に電撃を浴びせられた。あの時は遙香に助けられたが、ここに彼女はいない。それに紫織は、今回は取り憑かれたのではなく呪縛されている。
「ゲームオーバーです。大切な信者を殺した貴方を、教主は決してお許しにならない」
おれはその教主を絶対に許さねぇ!
そう叫びたかったが、全身が痺れているせいで舌が廻らず呻き声になった。
「紫織、鬼多見悠輝に速やかなる裁きを」
姪の突きだされた掌にバチバチと電光が集まる。相変わらず表情は虚ろなままで、その瞳に叔父の姿は映っていない。さすがにもう一度あれを喰らったら、無事では済まない。悠輝は立ち上がろうと足掻いたが、身体が思うように動かせない。
「クゥン……」
その時、政宗がヨロヨロと立ち上がった。
「まだ生きているとは、しぶとい犬だ。邪魔だから先に片付けて」
「だ……だめ……だ……」
今の紫織は完全に御子神の支配下にある、政宗と言えど容赦なく殺す。
紫織は掌を政宗に向ける。
「クゥン……」
政宗はフラつきながら紫織に近付いていく。
「やめ、ろ……」
掌に政宗の鼻が触れようとした瞬間、集まっていた輝きが消えた。
「え……」
「マサムネくん……」
紫織の頬に涙が伝う。
「何をしているッ、早くその犬を始末しろッ!」
御子神の命令に紫織がビクリッと身体を強ばらせる。
「やめろッ、紫織!」
全身全霊の力を込めて、悠輝は声を絞り出した。彼女の瞳が初めて悠輝を捉える。
「おぢちゃん……」
「チッ」
御子神から異能力のうねりを感じた。
裂気斬!
違和感を覚えたのだろう、御子神は思わず異能力を止めて視線を降ろした。
次の瞬間、右大腿部から鮮血が吹き出し、彼は倒れた。
「ぎゃああああ……ッ、ぎゃああああ……!」
傷口を押さえてのたうち回る。
くそ、これが限界……
店内の方から足音が近付いてくる。
「御子神さま!」
「何と言うこと……」
全身黒ずくめの信者が六人、バックヤードに雪崩れ込んできた。
「痛いッ、いたい~!」
当然だ、骨までは届いていないが、かなり深く切れている。
「早く止血を!」
「わ、わかったッ。誰かクルマの準備をしておけ!」
「病院は開いてないぞ!」
「野田ドクターを呼ぶわッ」
「それより、御子神様をお連れすると伝えろ、その方が早い!」
信者たちは、仲間の医者の所へ御子神を運び込むつもりだ。彼は二人がかりで抱えられ、バックヤードから出ていった。そして、紫織も信者に手を引かれ連れて行かれる。
「紫織……」
もう一度、声を上げたが彼女は虚ろな表情に戻り、振り返らずに出ていった。
政宗は立ち上がったが、力尽きたのか再び倒れた。今、バックヤードに信者はいない。御子神を傷つけられたことで、彼らは激しく動揺し、悠輝たちの始末はもちろん、見張りを付けることさえ忘れた。逃げる絶好のチャンスだが、紫織をまだ取り戻していない。いや、それ以前に、全身の痺れがまだ消えておらず、立ち上がる事もままならない。
それでもジッとしてられず、悠輝は立ち上がろうと動かない手脚に力を込め続ける。微かにクルマのエンジン音が聞こえた。
まずい!
このままでは、また紫織が連れ去られてしまう。それなのに、焦れば焦るほど身体が言うことを聞かない。
エンジン音は直ぐに遠ざかった。
紫織……
打ち拉がれている暇もなく、三人の信者が戻ってきた。当然、紫織を連れてはいない。
「鬼多見悠輝、我らの仲間だけでは飽き足らず、御子神さまにまで手を出すとは」
三人の手には、それぞれ拳銃が握られており、全ての銃口が悠輝に向けられる。
「その罪、貴様の命で償ってもらう」
銃声が未だ目覚めぬ町に響く。




