牧田診療所 参
「おまえ、名前は?」
明人が連れてきた信者に、悠輝はぞんざいに訊いた。
「葉空……」
「それじゃ、葉空、今すぐアイツが漏らしたモノを処分しろ。当然、廊下もピカピカにして、わずかな汚れ、臭いも残すな」
悠輝の背後にいる、世羽とその部下の姿を見た葉空は絶句していた。
「やぁー、やぁー……」
特に、弛緩してぐにゃりと横たわる世羽の姿は、相当ショックに違いない。
「コイツは……世羽?」
半日前と変わり果てた姿に明人も驚いている。
「あぁ、やっちまった、廊下が汚れた」
「そこッ?」
明人が抗議の声を上げた。
「他にあるのか? 先生は姉貴の手術をしてくれただけじゃなく、匿ってもくれている。更に、天城のこの作戦にも付き合ってくれたんだぞ。どれだけお世話になっていると思っているんだ?
それなのにおれは、家の廊下をこんなクズの糞尿で汚しちまった」
悠輝は肩を落とした。
「だからッ」
「知っているだろ? おれは精神系の呪法は得意じゃない、情報を収集しようとすれば、相手の精神にかなり負荷をかける。コイツはそれに耐えられなかった。こうなる一歩手前で、止めるつもりだったのに……」
悔しそうに言う従兄を見て、明人は頭を抱えた。
「おい、ボーッとするなッ。お前の服で、サッサと床を拭け。足りなければ、倒れている奴の服を使え!」
ハッとしたように葉空は悠輝を見上げた。
「い、嫌だと言ったら……?」
声が震えている。
「精神をコントロールするだけだ」
言い終わらぬうちに悠輝は腕を伸ばした。
「やります!」
間髪入れず葉空は応えた。
「あ、そう」
残念そうな口調だ。
「あ、あの……怪我の治療を……」
「安心しろ、牧田先生は名医だ。でも治療は朝の九時以降だ。
先生の眠りを妨げる事はおれが許さん。
それと梵天丸、政宗、コイツが怪しい動きをしたら咬み殺せ」
「コフッ」
梵天丸は荒い鼻息で応えたが、政宗は悠輝の服の裾を咥えた。
「ん? 連れて行けって?」
溜息交じりに聞く、政宗はつぶらな瞳で悠輝を見上げている。
「紫織ちゃんが心配なんだよ。これが朱理ちゃんなら、梵天丸が同じことをするだろうね」
明人が犬たちの気持ちを代弁した。そう言えば、朱理が魔物に連れ去られた時、梵天丸が彼女の所へ導いてくれた。彼は怪我を負いながらも命がけで朱理を助けた。
「そうだな……
おい、葉空、クルマのキーを出せ」
「あの……壊さないで……」
恐る恐るキーを差し出す。
「あぁッ?」
悠輝が露骨に不機嫌な声を上げた。
「いえ……何でもありません……」
葉空が身を竦める。
「それじゃ、念のため保険だ」
葉空の額に触れる。
「オン アビラ ウン ケン ソワカ。
これでおかしな事をすれば、梵天丸に噛まれるだけでなく、精神はコイツと同じになる」
と、世羽を見下ろす。そんな器用な真似が出来れば、もう少し世羽から情報を引き出せた。しかし、葉空にそれを教えてやる必要は無い。
「政宗、行くぞ」
悠輝の言葉に嬉しそうに尾を振り着いてくる。ドアを開けようとして、ある事に思い当たった。
「そうだ、クルマのライトって、どうやったら点くんだ?」
葉空は青ざめた顔を向けた。




