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『出来損ないの四男は、魔法を仕組みに変える』 ―― 辺境伯家の四男による異世界魔導革命  作者: トトト
◆ 第一部 辺境の灯火 / 第四章 辺境防衛戦

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23/41

第020話 隣領の侵攻

すみません更新が遅くなってしまいました。。

フェルゼン領の軍勢は国境を越え、

まっすぐに辺境の中心へと進軍してきた。

その数、およそ500。

訓練された正規の兵。

そしてその中核には――焔を操るフェルゼン家の高位魔法使いたちがいた。

対するファルケンハイト家がすぐに動かせる兵は200に満たない。

数でも質でもまともにぶつかれば、勝ち目は薄かった。


「なぜ、フェルゼンは、今なのだ」


広間に集められた家中の主だった者たちの前で父・ヴォルフラムが低く唸った。


「長年、睨み合いはあれど、大きな戦は、避けてきた仲だ。それが、なぜ」


「……我が領が、豊かになったからでしょう」


答えたのは俺だった。

1同の視線が末席の四男へと集まる。


「ここ最近我が領の産物が外へ流れ始めました。飢えていた辺境が実りを得て交易で潤い始めた。

……フェルゼンから見れば、それは2つの意味を持ちます。

1つは、"奪う価値のある獲物"になったということ。もう1つは――」


俺は少し間を置いた。


「――"放っておけばいずれ、自分たちを脅かす存在"になるということです。

平民が力を持ち、痩せた辺境が力をつける。

それはフェルゼンのような旧いやり方の領地にとって、我が家の富以上に恐ろしい脅威なのかもしれません」


盗賊による交易路の封鎖。

あれはこの侵攻の地ならしだった。

経済的に弱らせ、干上がらせ、そして機が熟したところで一気に呑み込む。

……フェルゼン領主ゲルハルト。

噂に聞くその男の頭は切れる。

俺はその周到さに内心で舌を巻いていた。

だがと俺は思う。

あの男を本当に動かしているのは富への欲だけではないのかもしれない。

平民が力を持ち血のいらぬ力が広まること――それ自体をあの手の旧い領主は世界の秩序を蝕む"異端"として、

心底恐れ、憎む。

だとすればこれはただの領地争いではない。

俺の"力の配り方"そのものを根こそぎ焼き払おうとする戦だ。

血統か、仕組みか。

2つの世界のありようがこの辺境で初めて正面からぶつかろうとしていた。

斥候が持ち帰った泥には細い麦藁が混じっていた。

東の領境に麦畑はない。

フェルゼン軍が南の収穫路を通り、民間の荷車を伴っている証拠だった。

テオは地図へ敵の位置を置く。

最初の200はすでに境石を越えた。

後続は2つ。

北の林道に100。

南の街道に兵糧車を含むおよそ200。

合計500。


「宣戦の使者は」


ヴォルフラムが問う。


「来ておりません」


ヴェルナが答える。

代わりに届いたのはフェルゼン領主ゲルハルトの名で出された布告だった。

ファルケンハイト領内で製造される危険な魔法具が領境の安寧を乱している。

盗賊を匿いフェルゼン領民を扇動した疑いがある。

秩序回復のため工房と街道を一時管理下に置く。


事実を反転させた大義だった。

盗賊を使った側が盗賊を匿ったと責める。

工房を奪う側が危険物を管理すると言う。


「よく出来ている」


ルクスの言葉に家臣たちの視線が集まった。


「感心している場合か」


ディークが吐き捨てる。


「敵の言い分が強いか弱いかを見ています。全部が嘘ではない。魔法具は作った。盗賊を捕らえた。領外へ育土杭を売った。それを別の順番に並べている」


王都へ訴えた時、完全な嘘なら崩せる。

半分の事実は反証に時間がかかる。

その時間で工房を占領し、証拠を作り、既成事実を積むつもりだ。


「返書を出します」


ルクスは言った。


「侵入の停止、第三者の立会い、捕虜にした盗賊の証言提出を提案する。

拒まれてもいい。こちらが争いを避けようとした記録を残します」


ディークが机を叩いた。


「敵はもう境を越えた! 紙で兵が止まるか!」


「止まりません。でも、戦の後に王都が動く。勝っても逆賊とされたら領地は残らない」


「戦う前から負けた後の言い訳か」


「戦いながらその後を守る話です」


ヴォルフラムが手を上げ2人を止めた。


「返書は出せ。使者は白旗を持たせ、護衛をつけろ。写しを3通。教会、商人ギルド、王都へ送る」


父は戦場しか知らない武人ではない。

20年乏しい領地を守ってきた当主だ。

剣の外にある戦も理解している。


「同時に、村を退避させます」


ヴェルナが続けた。

東の3村は敵の進路に近い。

荷車は老人と子どもへ。

歩ける者は食料を背負う。

井戸へ毒は入れない。

穀物は運べるだけ運び、残りは燃やさず隠す。


「敵に食わせるのか」


家臣が問う。


「焼けば戻った領民も食えません」


ルクスは答える。


「橋を落とす場所、残す場所を分ける。退く時にすべて壊せば自分たちの足もなくなる」


防衛とは地図から村を消すことではない。

人が戻れる形で土地を渡し取り返すことだ。

テオが退避表を作る。

村名。

人口。

荷車。

歩けない者。

備蓄。

受け入れ先。


以前の魔物襲撃で使った避難名簿がそのまま土台になった。

平時の記録は戦時に命の位置を教える。

その一方でディークは敵の先鋒を赤い駒で囲んでいた。


「先に出た200は本隊から離れている。今叩けば残りが揃う前に数を減らせる」


正しい部分もある。

500を一度に受けるより分かれた敵を叩くべきだ。

問題はなぜ敵が都合よく200だけ前へ出ているのか。


「誘いです」


ルクスが言う。


「偵察を増やして北林と南の丘を確認するまで待つべきです」


「待てば敵が村を踏む」


「半日です」


「半日あれば敵は柵を2つ越える」


ディークは父へ向き直る。


「私に焔隊を。正面から先鋒を押し戻す。敵が伏せていようと焼き払えばよい」


兄は功を急いでいる。

商談を潰そうとして父の前で退けられた傷が判断へ混じっている。

だがそれを指摘すればさらに退けなくなる。

ルクスは別の形で止めようとした。


「兄上が出るなら、魔導銃を側面警戒へ6丁つけます。斥候が戻るまで追撃は1里以内。

狼煙が2本上がったら即時撤退」


「要らん」


「兄上を疑っているのではありません。敵が何を隠しているか分からないからです」


「平民の筒に守られて勝ったと、誰に言わせる気だ」


その言葉でルクスは理解した。

兄は敵だけを見ていない。

帰還した時に誰の勝利と呼ばれるかを見ている。

ヴォルフラムは長く沈黙した。

やがて命じる。


「ディーク。先鋒を押し戻せ。ただし追撃は1里まで。ヴェルナの斥候2隊を従え合図があれば退け」


「はっ」


「ルクス。お前の銃は見せるな。まだ敵に知られていない牙は必要な時まで隠せ」


父の判断にも理がある。

切り札を小競り合いで晒さない。

ルクスは従うしかなかった。

ただ、嫌な感覚は消えない。


敵の駒があまりにもディークの望む場所へ置かれていた。


---


「――ならば、話は簡単だ」


そう言って立ち上がったのは長兄・ディークだった。


「敵が我が領の富を狙って来るなら。その鼻先をへし折ってやればいい。

私が焔の隊を率いて正面から迎え撃つ」


ディークは誇らしげに剣の柄を握った。


「フェルゼンの魔法使いなど恐るるに足りん。ファルケンハイトの焔が格の違いを思い知らせてやる」


勇ましい。

だが――俺にはそれが危うい賭けにしか見えなかった。


「兄上」


俺は口を挟んだ。


「お待ちください。数で2倍以上。敵にも高位の魔法使いがいます。正面からの決戦はあまりに――」


「黙れ、ルクス」


ディークが鋭く遮った。


「これは貴族の武の戦だ。商人の帳簿や平民の玩具の出る幕ではない。

……貴様は引っ込んでいろ。工房で鍬でも作っていればいい」


彼の目には俺への明確な敵意があった。

ここで俺に活躍を許せば家中での俺の立場は決定的なものになる。

……この戦を彼は俺を退けるための機会とも見ている。

政争は戦場にまで持ち込まれていた。

父は腕を組み目を閉じて2人のどちらにもすぐには与しなかった。


---


その日の午後ディークは焔の隊と集めうる限りの兵を率いて勇ましく出陣していった。


ディークの部隊は正午前に東門を出た。

焔隊40。

槍兵80。

弓兵20。

斥候10。

領内で一度に動かせる精鋭の大半だった。


街道の両側には刈り入れ前の草地と低い丘が続く。

敵先鋒は古い料金所の前で盾列を組んでいた。

その後ろに槍。

旗は少ない。

ディークには怯えて縮こまっているように見えた。


「ファルケンハイトの地から失せろ!」


返答の代わりに敵の使者が布告を掲げる。

危険な工房の接収。

領民保護。

秩序回復。

ディークの焔が紙ごと使者の前の土を焼いた。


「我が家の秩序を他家が語るな!」


焔隊が進む。

40人が同時に術式を展開すると空気が歪んだ。

火の帯が草地を走り敵の盾列へぶつかる。

濡れ革を張った盾が煙を上げる。

耐えきれず先頭の兵が下がった。


2射目。

盾列が割れる。

ディークは剣を掲げた。


「押せ!」


槍兵が突撃する。

最初の衝突でフェルゼン兵は崩れた。

あまりにも早く。


彼らは武器を捨てず列を保ったまま後退した。

敗走ではない。

決めた歩数で下がっている。

斥候の1人が気づきディークへ馬を寄せた。


「敵は誘っています。追撃1里の限界です!」


「今崩せば、先鋒を消せる!」


「北丘に反射光!」


2本目の警告が届く前に北の林から赤い光が上がった。

味方の狼煙ではない。

フェルゼンの合図。

丘の裏に伏せていた魔術師たちが立ち上がる。

杖が一斉に向けられた。

焔ではなかった。

圧縮された風の刃。

火に強いファルケンハイトの焔隊が対策していない属性。

最初の斉射で隊列の右側が倒れた。

鎧の隙間を裂かれ馬が悲鳴を上げる。


「盾を右へ!」


ディークが叫ぶ。

その瞬間、後退していた正面の敵が反転した。

盾列が開き長弓兵が現れる。

右へ向けた盾の反対から矢が降る。

2つの攻撃に挟まれた。

ルクスの読み通りだった。


しかし読みが正しかったことは戦場で何の救いにもならない。

ディークは焔の壁を立て矢を焼いた。

高位の血統魔法。

彼1人の周囲だけは赤い光に守られる。

だが40歩離れた兵には届かない。

1人の強さが広がった隊列すべてを覆うことはできない。


「退け! 料金所まで退け!」


ようやく命令が変わる。

だが来た道の南側からも敵兵が現れた。

兵糧車に隠れて進んでいた別働隊。

完全な包囲ではない。

わざと西側だけが開いている。

逃げ道を残し、そこへ敵を集中させる。

密集したところを魔術で撃つためだ。

斥候隊長が狼煙筒へ火をつけた。

1本。

敵伏兵。

2本。

至急撤退。

3本目を上げる前に風刃が胸を裂いた。

遠くの監視台が2本を見て、

次の台へ送る。


戦場の声は届かなくても失敗の情報は屋敷へ走った。

ディークは残った焔隊を集め火の壁を半円に広げた。


「負傷者を先に! 動ける者は槍を捨てるな!」


誇りだけの男ではない。

負けを認めるのが遅くても退くと決めた後は自分が最後尾に立った。

鎧を風に裂かれ左腕を矢が掠めても焔を維持する。


兵たちは西の隙間から退いた。

敵は深追いしなかった。

目的は殲滅ではない。


ファルケンハイトの精鋭を削り恐怖と負傷者を城へ持ち帰らせること。

そして長男の焔が通用しなかったという事実を家中へ見せること。

ゲルハルトの狙いは戦場の外にまで届いていた。

そして――夕刻。

戻ってきたのは半数以下に打ち減らされた兵たちだった。


「敵は……巧妙でした」


担架で運ばれてきた負傷した騎士が呻いた。


「正面で焔隊とぶつかると見せかけ……側面から伏せていた魔法使いの一斉射撃を。

ディーク様は辛くも退かれましたが……焔の隊は、壊滅同然に……」


負傷者が戻る前に狼煙は屋敷へ届いていた。

テオは2本の煙を見て名簿を開いた。

診療所、工房、教会へ伝令を走らせる。


「担架20。止血布。湯。門前を空ける」


魔物襲撃で作った負傷分類の札を再び出す。

赤は直ちに処置。

黄は待てる。

黒はもう助けられない。

誰も黒い札を使いたがらない。


だが1人へ全員がかかり、助かる3人を失うよりはましだと以前に学んだ。

ティナは育土杭の荷台から板を外し、即席の担架へ変える。

工房の若者は鎚を置き、湯と布を運ぶ。

村の女たちは指示を待たず教会の床へ藁を敷いた。

戦える者の数だけが防衛力ではない。

傷ついた者を戻し、食べさせ、次の日まで生かす仕組みもまた軍の力だ。

最初の兵が門をくぐった。

顔に煤。

鎧に血。

槍を杖にして歩く者。


「隊列を崩すな! 赤札は右、歩ける者は左!」


ヴェルナの声が飛ぶ。

彼女は名前を1人ずつ確認した。

返事のない名には印をつける。

行方不明か、戦死か、捕虜か。

分からないものを勝手に死者へしない。

ディークは最後に戻った。

馬を降りようとして膝をつく。

左腕の傷より顔の方がひどかった。

彼は門前に並ぶ平民たちを見た。

自分が工房の玩具と呼んだ道具で作られた担架。

帳簿をつけるだけと侮ったテオが混乱する兵を名簿で分ける姿。

血統魔法を持たない者たちが焔隊の命を繋いでいる。


ディークは何も言わなかった。

言える言葉がなかった。

診療所でルクスは戦況を聞いた。

敵先鋒の後退距離。

伏兵の位置。

使われた魔法の属性。

追撃がどこで止まったか。

負傷者へ敗因を問うのは酷に見える。


しかし記憶は時間と共に変わる。

恥や怒りが見たものを別の形にする前に集めなければならない。


「北丘の魔術師は12」


「いや、10だ」


「杖の光は3列だった」


証言が食い違う。

テオは多数決で消さず全部を書いた。

確定。

推定。

不明。

分からないものを分かったふりで埋めない。

ルクスは地図へ斜線を引いた。


敵は火への対策を持ち風術を集中運用する。

正面の先鋒は囮。

退路を完全には塞がず、恐怖を持ち帰らせた。

ゲルハルトは勝ち急いでいない。

こちらが誤った次の手を選ぶのを待っている。


「追ってきません」


ヴェルナが言う。


「今なら兵を休ませられます」


「違う」


ルクスは首を振る。


「追わないことでこちらに時間があると思わせる。後続はその間に合流する。明朝には500が揃う」


「なら、今夜動く?」


「こちらから攻めない。村の退避を終え橋と道を準備する。敵が500で動けば食料と指示が必要になる。大きくなった分、遅くなる」


数が多いことは強さだ。

同時に食べさせ、伝え、曲がらせる負担でもある。

ルクスが使うのは人数の少なさを勇気で補う戦ではない。

敵の大きさを敵自身の重さへ変える戦だ。

その考えを持って広間へ戻った。


広間が凍りついた。

ファルケンハイトのいちばんの誇りである、

焔の隊。

それが初戦で砕かれた。

ディーク自身も傷を負い青ざめた顔で床几に崩れ落ちている。

彼の


「格の違い」


は――より狡猾で、より組織された敵の前に通用しなかった。


フェルゼンの軍はその勢いのまま進軍を続けている。

あと2日もすれば――俺たちのあの村に到達する。

テオのティナのようやく笑い始めた、あの人々の村に。

もう、猶予はなかった。


---


「……ルクス」


床几に崩れたまま、ディークが俺を呼んだ。

屈辱に掠れた声だった。

誇り高い長兄がその弟に助けを求める。

それがどれほどの屈辱か。


「貴様の……玩具とやらで。……本当に、あれを止められるのか」


俺は父を見た。

ヴォルフラムが静かに目を開け、俺をまっすぐに見据えていた。

そして重く口を開いた。


「ルクス。……お前に辺境の防衛の指揮を預ける」


父の声はこれまでのどの言葉より重かった。


「見せてみよ。お前の言う、"仕組み"とやらが。血統の焔が砕かれたこの戦を――お前の"数"が、覆せるのかを」


家中でいちばん俺を認めなかった父から託された、防衛の全権。

皮肉にもそれは長兄の敗北という最悪の形で転がり込んできた。

俺は深く一礼した。

恐れはなかった。

ずっとこの日のために積み上げてきたのだ。

テオがいる。

ティナがいる。

ヴェルナがいる。

工房がある。

魔導銃がある。

何より――自分の村を守りたいと願う、

無数の"普通の人々"がいる。


「……お引き受けします」


俺は言った。


「血統の魔法に体系化された数と仕組みが通用するかどうか。――この戦で証明してみせます」


痩せた辺境の四男坊が初めて、と国の戦の盤上に立った。

辺境の命運を懸けた最大の戦いの幕が今、切って落とされる。

俺の"数の魔法"の本当の初陣が――始まろうとしていた。

全権を受けたルクスが最初にしたのは魔導銃を配ることではなかった。


広間の机を3つに分けた。

人。

物。

時間。


人の机には兵、村人、職人、負傷者、伝令。

誰が何をでき、いつ休むか。

物の机には食料、矢、火種盤、魔導銃、荷車、縄、油、薬。

時間の机には敵が到着するまで村の退避完了まで橋の準備、狼煙の往復。


「全員を同じ場所へ集めません」


ルクスは家臣たちへ告げた。


「正面の砦には、敵が攻める価値があると思うだけの兵を置く。主力は分ける。伝令路を2本。食料庫も3か所。ひとつ落ちても終わらない形にします」


老騎士が眉をひそめる。


「兵を分ければ各個に潰される」


「互いに助けられない距離へは置きません。狼煙1つで位置を変えられる範囲。敵には散って見え、こちらには繋がっている配置です」


「魔導銃は」


ヴォルフラムが問う。


「6丁。射手6名。敵の前列へは撃ちません」


「なぜだ」


「前列の槍兵を6人倒しても、500は止まらない。指揮官か、風術師。敵の仕組みを動かす者へ使います。それまでは隠す」


ディークが床几から顔を上げた。


「私を囮にする気か」


包帯の巻かれた腕。

声にはまだ棘がある。


「兄上の焔は敵が最も警戒しています。出ていただければ、敵の魔術師を引きつけられる」


「やはり囮ではないか」


「はい」


広間が静まった。

誤魔化さない答えだった。


「ただし、見捨てる囮にはしません。退路を2本作り、魔導銃班と盾兵を伏せる。兄上が敵の風術師を引き出した時、こちらが撃つ」


ディークは弟を睨んだ。

以前の彼なら侮辱と受け取っただろう。

今日彼は自分の焔だけでは部隊を覆えないと知った。


「……私に、逃げろと言うのか」


「生きて戻って、もう一度焔を使ってください」


勝つために死ぬ英雄ではなく、何度も役割を果たす1人として扱う。

ディークにはそれも屈辱だったかもしれない。

だが父が言った。


「従え。今日お前は命令より誇りを選んだ。次は家を選べ」


長兄は目を閉じた。

やがて短く答える。


「承知しました」


完全な和解ではない。

ただ、同じ地図の上へ初めて兄弟の駒が並んだ。

テオが伝令表を配る。

ティナは工房へ戻り火種盤と銃の数を確かめる。

ヴェルナは斥候の交代を決める。

ヴォルフラムは王都宛ての急使へ家印を渡す。

命令が人から人へ流れ準備が動き始めた。

ルクスは最後に東の地図へ1本の線を引いた。

敵が通ると思っている最短路。


その両側には細い水路、採土場、放棄された炭焼き小屋がある。

平時には価値のない地形。

だが時間差で煙を上げ、道を泥へ変え、側面へ人を隠すならすべてが武器になる。


血統の焔は1人の内側から生まれる。

ルクスの戦は土地と人と時刻の間から生まれる。

外では避難する荷車の列が西へ進んでいた。

泣く子ども。

家を振り返る老人。

鍋を抱えた女。

守るべきものは地図の駒ではない。

その1人ひとりが帰る場所だった。

東の夜空にフェルゼン軍の野営火が並ぶ。

500の火。

対する辺境の灯は小さく、

離れている。


だが狼煙台、工房、村、砦を結ぶ線は消えていない。

ルクスは深く息を吸った。


「始めよう」


誰に聞かせるでもなく言う。

戦場を選ぶのは敵ではない。

明日、そのことをゲルハルトに教える。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

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