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第10話 閑話:波間に消えた鎖

第10話 閑話:波間に消えた鎖

【これは、名もなき開拓者が神によって消去される前に抱えていた、遠い世界の記憶の残滓である。】

どこまでも青い空と、照りつける強烈な太陽。

湿気を帯びた潮風が吹き抜け、どこか遠くで三線のゆったりとした音色が響いている。

南方の島国特有の、のんびりとした時間が流れているように見えるその場所で、彼の一族は深い泥沼の中に沈み込んでいた。

父親は、六男一女という大家族の末っ子に近い六男だった。

兄弟が多いということは、それだけ血のしがらみも、トラブルの種も多いということだ。

物語の始まりは、彼がまだ物心つく前の、ある海の上の出来事だった。

長男は、彼が生まれた頃、赤いチャンチャンコをプレゼントしてくれた優しいおじだったという。写真にはその笑顔が残っている。

しかし、その長男は漁の手伝いで船に乗った際、ある港に寄港したのを最後に、忽然と姿を消した。四男に「本島に帰るけど乗っていくか?」と声をかけたが、飛行機があるからと断られた直後のこと。三男もその場にいたという。

船は、乗組員全員を乗せたまま、浮き輪や浮遊物といった痕跡すら一切残さず、海の藻屑と消えた。

いや、消えたというのは正確ではないかもしれない。三十年という途方もない歳月が流れた後、北朝鮮から当時の船長や乗組員の手紙が届いたのだ。拉致の可能性。国家間の闇に飲み込まれた真実。

残された長男の妻は、耐えきれずに長女を置いて実家へと逃げ帰った。母親を失い、父親を行方不明のままタライ回しにされたその長女――彼にとっての「本当のお姉ちゃん」とも呼べるいとこは、親族たちの間をたらい回しにされ、深い心の傷を負った。

悲劇は連鎖する。

次男は、原因不明の病で両足を切断し、車椅子での生活の末に亡くなった。

残された次男の妻はアメリカ人と再婚し、子供たち(彼から見ればいとこ)を残して単身アメリカへと渡ってしまった。残された子供たちは、一時的に彼の父親が引き取って面倒を見ていたという。

三男はさらに複雑だった。

一度、婿養子に入って実家の籍を抜けたものの、再び別の女性と結婚した。相手は連れ子のある女性。

この地域には、「一度籍を抜けた人間には、実家の仏壇を見せてはならない(継がせてはならない)」という、呪いのように古く厳しい風習があった。長男が行方不明、次男が死亡している以上、生きていれば三男が実質的な長男であるにもかかわらず、その風習のせいで彼は実家を継ぐ権利を失っていた。連れ子たちと、彼自身が新たに設けた子供たち。もはや誰が長女で誰が次女なのか、家系図は複雑に絡み合い、解読不能なパズルと化していた。

一人の女性である長女(叔母)の家庭も、平穏とは程遠かった。

歳の離れた夫は前妻との間に複数の子供がおり、その結婚が不倫の末のものだったのか、正式な離縁の後だったのかすら、親族の誰も正確には知らなかった。ただ一つ確かなのは、その叔父が亡くなった時、前妻の子供たちと叔母との間で、骨肉の遺産相続争いが勃発したということだ。

そして、一族の中で最も厄介な「問題児」が、四男だった。

彼は最初の結婚をしている最中から浮気を繰り返し、別の家庭を築いていた。最初の妻は二人の息子を連れて関西へと去った。余談だが、その周囲には在日外国人やスパイらしき影がちらついており、長男の不可解な失踪と何か関わりがあるのではないかという黒い噂すら流れていた。

四男はその後も籍を抜いてくれない最初の妻をよそに、別の姓を名乗る女性と事実婚状態になり、そこにも連れ子と新しい子供を作った。しかしそこも破綻し、五十歳を過ぎてから三番目の女性と結婚。そこにも連れ子がいた。何人と不倫をし、いくつの家庭を壊し、どれだけの「いとこ」や「腹違いの兄弟」を生み出したのか、もはや誰にも把握できていなかった。

五男に至っては、家族を持ちながらもほとんど家に寄り付かず、別居に近い状態で何をしているのかすら不透明だった。

そんな混沌とした親族の中で、彼の父親(六男)だけが、唯一まともな家庭を築いていると彼は信じていた。

しかし、その幻想も脆くも崩れ去った。

転勤族だった父親の仕事の都合で、彼は十八歳で東京へと出た。その後、父親の会社が倒産。

生活の歯車が狂い始めた。妹が大学進学のために県外へ出ると、過保護な母親はそれについて行き、実質的な別居状態となった。

さらに決定的な亀裂は、些細なことから生じた。下の妹がファッションで髪を青く染めたことに対し、古い考えを持つ父親が激怒し、「こんな風にグレたのは母親の育て方が悪いせいだ」とヒステリックに騒ぎ立て、離婚を突きつけたのだ。

遠く離れた地から電話で必死になだめ、その場は有耶無耶にしたものの、両親はその後、父親が亡くなるまで完全に別居したままだった。親戚の冠婚葬祭にだけは揃って顔を出すという、冷え切った仮面夫婦。

結婚。家族。血の繋がり。

彼にとって、それらの言葉は希望ではなく、ただひたすらに重く苦しい「呪い」でしかなかった。

地域特有の、「長男は必ず仏壇と墓を守らなければならない」という風習。

どれだけ親族が散り散りになろうとも、どれだけ愛憎が渦巻いていようとも、血縁という目に見えない鎖は、容赦なく彼を縛り付けようとした。

「こんなものを、自分の子供に背負わせるわけにはいかない」

彼はそう固く決意した。結婚もしない。子供も作らない。自分が死ねば、墓も仏壇もすべて無縁仏にして終わらせればいい。母親の供養だけは妹たちに頼むとしても、もう家系という呪縛は自分の代で完全に断ち切る。

だからこそ、彼は神に願ったのだ。

地球での科学やモノづくりの知識、趣味の記憶は残してほしい。

だが、「自分の名前」と「家族・親族に関するすべての事柄」を、記憶の奥底から完全に消し去ってほしい、と。

【……この記憶はすでに彼の魂から切り離され、虚空へと溶けて消えた。

今の彼は、無名の開拓者。

しがらみのない新たな世界で、巨大な狼と共に海を眺め、自らの手で創り上げた世界でただ静かに笑っている。

波間に消えた重い鎖は、もう二度と彼を縛ることはない。】

ここまでお読みいただきありがとうございます!少しでも面白いと感じたら、画面下から【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価をいただけると、執筆の大きなモチベーションになります!

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