↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
noteの小部屋  作者: 小椋夏己
20260903(木)「小さな手」からはじめるnote・シロクマ文芸部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
76/78

エッセイ「初めてのフライパン」

 小さな手に小さなフライパンを持ち、丸い石油ストーブの上でソーセージか目玉焼きを焼く、それが私の料理初めだったと思います。


 多分幼稚園の頃のことじゃないのかな。少なくとも小学校に入るよりは前でしたが、幼稚園に入るより前ではなかったかも、そのぐらいではないかと思います。


 それは鉄のフライパンで、長らく実家にありましたし、もしかしたら今もどこかにあるのかも知れません。大人の手のひらに乗るぐらいのサイズで、私はよくそのフライパンを使い、ストーブの上でかしゃかしゃと自分が食べる物を焼いていました。


 なぜかというと、あまりにも偏食がひどかったからです。肉嫌い、野菜嫌い、魚嫌い。中には食べられる物もあったと思いますが、大部分の物が嫌いでした。お好み焼きをすると肉をはがして生地だけ食べる、子どもが好きなカレーも大嫌い。お鍋はすき焼きだと「麩」だけは食べられるけど、水炊きなどは全く食べられる物がない。


 お菓子もそうで、クッキーやチョコ、ケーキは好きでしたが、いわゆるスナックや駄菓子はほとんどだめ。「やめられないとまらない」と子どもが大好きの代表格のエビのスナック菓子など見るだけで嫌。一度、ご近所のおばさんに「◯◯ちゃん(私のこと)はお菓子をあげようと言っても断る、そんなにうちのお菓子が気にいらないのか」と母が文句を言われたようですが、その家がどうとかじゃなく単に食べられなかっただけです。


 当時の私が食べられた数少ないものがラーメンとソーセージと卵だったんですが、なぜか子どもが嫌う野菜のトップであるピーマンとニンジンは好きでした。へそ曲がりな偏食ですね。


 小学校の3年生だと思いますが、初めて父の実家であるいなかに行き、そこで出された色々な物をなぜか口にする気になって食べたらおいしくて、


「物が食べられないと損である」  ということに気がつき、その頃から色々と食べるようになって、今では大部分の人よりも好き嫌いがないぐらいになりました。


 どうせなら小学校の給食のある頃になんでも食べられればよかったんですが、毎日給食の時間は苦痛だったなあ。食べられないと残されて最後まで食べさせられてたので、いつも昼休みいっぱい給食と格闘する日々だったなあ。


 そんなこんなでなんでも食べるようになった頃から料理もするようになり、小学校5年の家庭科実習の時には、もうそんなものとっくに作れるようになってました。


 元々うちの家は外食より家庭で作って食べることの方が多く、普通はあまり家で作らないと言われるような物も家で作ってたもので、大抵の物は見様見真似でもそれらしく作るようになってますが、そもそもそれは母を見て真似てのことです。家で握り寿司や御赤飯なんかも作ると聞いて驚かれることもありますが、それが普通だったので今もなんやかんやと作ってます。


 ですが私の料理の第一歩は、まだ幼い頃にあの小さな手で握った小さな鉄のフライパン。もしかしたら母が自分で作ったら食べるんじゃないかと作らせたのかも知れませんが、そこから始まっているように思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。