短編小説「カバンの飴ちゃん」
小さな手が目の前に差し出され、すっと開くとそこには飴が一つ乗っていた。
「どうじょ」
まだ幼い子、3歳か4歳だろうか。着ている服は黄色なのでその色から男女の区別もつかないが、かわいらしいその子は私に飴をくれようとした。
「こら、何してるの。すみません、ごめいわくを」
その子の母が急いで飛んできて子どもをたしなめるが、
「おじしゃん、いたいいたい?」
と差し出す手を引こうとはしなかった。
ぎゅっと握っていたからだろうか、飴は包み紙に少しくっついている。ちょっとだけ溶けているのかも知れない。だが私の様子を見て、自分が大切にしていた飴を持ってきてくれたその気持ちが痛いほど染みてきた。
「ありがとうね。あの、いただいても?」
私が母親にそう言うと、母親はちょっと柔らかくなっていそうな飴を見て困ったような顔になり、
「ごめんなさい、ご迷惑ですよね」
と、さらに子どもを止めようとしたが、
「いえ、よろしければいただければ」
と言うと、何度も頭を下げながら子どもが私に飴を渡すのを見守った。
「ありがとうね」
私がにっこり笑って言うと、
「どーいたまして」
子どもは満足そうにそう言って、思わず顔がほころびる。いつも大人が言っているのを聞いて覚えたのだろう。
親子が離れて行ってまた一人で公園のベンチ。
多分あの子はじっと座り続ける私から何かを感じ、慰めてあげたいとせいいっぱい思いついたのが、自分が大切にしてる飴をくれることだったんだろう。もしかしたら自分がいつもやってもらっていることなのかも知れないな。
小さな手から年を経てゴワゴワになった手に移された飴を見る。やっぱり包み紙のビニールに少しくっついている。中身を出そうとしてちょっとだけ苦労したが、それをなんとかはがして口に放り込んだ。甘い。当然だ、飴なんだから。
そしてふいっと思い出した。
「そういえば、いつもバッグに飴ちゃんを入れてたなあ」
妻のことだ。三十年以上を共にしたが、三月前に亡くなった。ほんの短い患いで、家族の手をあまり煩わせることなく逝ってしまった。
「お母さんたら、最後の最後までせっかちだったわね、さすがに関西人」
と娘が泣き笑いしていたが、関東に嫁いできてからもずっとよく言われるような関西のおばちゃんだった。普段はあまり関西弁を出さず東京の人のような顔をしているが、いざとなったら関西弁が飛び出す。
その妻がずっと変わらずしていたこと、それがカバンの中の飴ちゃんだ。
「はいこれ、飴ちゃんあげる」
よくそう言って知らない人にもバッグから出した飴を差し出していた。中には戸惑う顔をしている人もあったが、大抵の人はありがとうと受け取ってくれて、妻も笑顔になっていた。
「関西のおばちゃんのカバンには飴ちゃんが入っているもの」
テレビでそんな話題を見て、まさしくそれだなと笑ったこともあった。
妻が亡くなってから気持ちを張って過ごしてきたが、急に体中の力が抜けたようになってしまった。体調不良を理由にして会社を早退したが、駅に近いこの公園まで来て力尽きたようになり、ベンチに一人座っていた。時計を見たらすでに1時間以上が経っていた、全くそんな意識すらなかったが。
あの子はじっと座り続けている私を見て、力づけてあげたいと、自分の大切な飴を持ってきてくれたのだろうか。
口の中に広がる甘さが消えるまで私は飴を舐め続け、舐め終わったらやっと立ち上がることができた。そして思い出した。あの時、あの差し出された小さな手が、なぜかふっくらとした肉付きがいい妻の手のように見えたのだった。
おそらく、妻があの子に頼んであの飴ちゃんを持ってきてくれたんだろう。いつも誰に対してもやっていたように、元気出しての一言を伝言に。
私は駅まで移動すると売店で飴の袋を買って通勤カバンに入れた。これから力が抜けそうになったら、これを一つ口に入れることにしよう。きっとそれは妻がくれた飴ちゃんだから。




