短編小説「指先の真実」
洗面所の上の壁一面、ちょっと不似合いなぐらい大きな鏡の下の部分に何気なく指を当てて、
(あ、これヤバいやつだ)
と思った。
何も気がつかなかった振りをして、鼻歌を歌いながら髪を直す。そしてそのまま何もなかった顔で洗面所を出て自分の個室へと戻った。さらに何もない顔でチェアに座り、スマホを取り出す。
ここはとあるネットカフェ。友人の恵里菜と遊んでいて終電を逃し、酷暑続きの熱帯夜を耐えきれず、目についたここに飛び込んだ。
平日の夜なのに運悪く人気アーティストのライブと重なり、泊まれそうなビジネスホテルに空き室はない。女二人でラブホもちょっとと、「シャワーあり」の表記にここに決めたのだ。
入ったもののちょっとなんだか雰囲気がよろしくない感じはあった。受付にいたのはあまりお知り合いになりたくない、はっきり言うとちょっとキモいおっさん。店内はまあきれいでも汚くもなく、経年劣化を感じるぐらい。 客層は、うん、あんまりよろしくはない。値段が安いとやっぱりこういう人が来るのかなという感じ。一人だと多分その段階で真夏の夜の街に回れ右して出て行っただろうけど、恵里菜と二人だし大丈夫じゃないかと入ることにした。
部屋は恵里菜と隣の個人ブース。飲み物とつまみはフリーだけど、カップ麺とかは買って自分でお湯を入れるタイプ。シャワーは30分100円だったので、順番に入ってさっぱりするかと先に行くことにしたのだが、そこでこの鏡に出会ってしまった。
部屋に戻りスマホで恵里菜に事情を説明、一度店の外に出ることにした。
「あれ、どうしたの」
受付の例のおっさんがいぶかしそうに見るが、言い訳はちゃんと考えてある。
「うん、この近くに青いコンビニあるでしょ」
「ああ、あるね」
「ちょっと行ってきたいので、一度出ていいかな。部屋押さえててほしいんだけど」「ああ、戻って来るのね。でもなんで?」
おっさん、ちょっと納得したような顔になってるが、もう一押ししておかないと。
「ちょうど深夜帯の荷物が入るころだと思うの。今、増量キャンペーンやってるでしょ」
「ああ」
おっさん、今度こそ納得したようだった。
「今までどこ行っても売り切れでさ、あのクリームたっぷりのシュークリーム、チャンスじゃないかってなって」
「なるほどなるほど。じゃあ部屋、二つとも置いてていいのね?」
「うん、ちょっと荷物も置いてるけど、盗られないように気をつけててくれる?」
「おっけー、気をつけてね」
「じゃ行ってくる、急がないとなくなるかも!」
恵里菜の手を引っ張り、大急ぎでネカフェを出て、そのまま走って目的の場所へと向かった。
「すみません、助けてください!」
駆け込んだのは近くの交番。ちょうどおまわりさんがいてくれてよかった。私は落ち着いて説明をした。
「ということは、そのネカフェでは盗撮をしていると」
「間違いないです、洗面所の大きな鏡がマジックミラーでした」
いつの頃からかの私のくせ、知らない場所の鏡には一度指を当ててみる。普通の鏡なら自分の指と鏡の中の指の間に隙間ができるが、マジックミラーの場合は隙間ができない。
長年やってきたことだが、こんなことになったのは今回初めてだった。まさかと思いながら、あっちから見られてることも考えながら、バレないように気をつけてまた指を当ててみたけど間違いない。 ついでに部屋の電気を消してから鏡を見てみたけど、向こうに誰かがいた気配がした。
恵里菜にメッセージで説明したけど、すぐには信じてくれなくて、それでも頼むからと一緒に出てきてもらったのだ。
もしかしたらおまわりさんも信じてくれないかなと思ったけど、意外なことに一度奥の部屋に戻って同僚の方と一緒に出てきて、あちらこちらに何か連絡をしていた。
「あの……」
どうしていいのか困って声をかけたらしばらくここで待機するようにと言われ、
「実は他にも同じような届け出があってね」
と、驚くようなことを言われた。
あそこの洗面所はシャワールームの更衣室も兼ねている造りだったけど、その時の写真がネットに出回ったという届け出と、もっと大変なことをされたという告発が届いているのだそうだ。
「よく気がついて出てきたね、危なかったかも知れないよ」
と言われて心底ぞっとする。
そして結果的には私が見破った通りにあの鏡はマジックミラーで、そこから盗撮をしていたようだ。あのおっさん始め何人かの関係者が逮捕され、後日マスコミでも取り上げられた。
「あんたが気がついてくれなかったら一体どうなってたんだろう」
恵里菜が身震いしてそう言ったが、私だって全身震えるぐらい怖かったよ。
そして私たち二人はこれ以降、決して終電には乗り遅れないようにするか、もしくは前もって安心できる宿を確保してから遊ぶようになった。
そしてよく知らない場所の大きな鏡は、これからも疑っていこうと思う。指先一つ、その先の真実を見定めて。




