短編小説「乾いた大地の果ての雲」
水を飲む。ただそれだけのことを求め、無数の命がはるか遠くを目指して歩み続ける。
サバンナの乾季は厳しい。雨季には大地を潤し命を育む雨が今はない。ひび割れ乾いた砂をいくらかいても、一滴の水も出てくることはない。
今年は特に乾季が来るのが早かった。まだ成長し切っていない子どもたちを連れ、親たちは移動を決意する。
目指すのは遠く遠く、うっすらと雲が見える世界の果てのようなあの場所だ。到着するまでに一体何日かかるのか。それでも行くしかない。このままここに居続けるということは、干からびて乾いた砂の一部になることだ。
何日も何日もひたすら雲を目指して歩き続ける。雲の下には水があるということを、学ばずとも野生の命たちは知っている。あそこにたどり着くことさえできれば水を飲むことができる。
弱い命は途中で力尽きそこの砂になる。必死で追いかけても次第次第に遅れ、やがてがっくりと膝をつき、雲を目指す仲間たち家族たちの後ろ姿を見つめながら、砂をまき上げその身を横たえ呼吸を止める。
残酷なようだがこれが自然、野生だ。
やがて雲の下に入ることができたものたちは、あれほど焦がれた水を目にする。一目散に駆け寄るとぐいぐいと水を吸い込み乾きを癒す。
いつもは狩るものと狩られるものが、ほんの少しの距離を開け、互いを多少は意識しながらもひたすら水を飲む。何よりも今欲するのは水だ。
多くのものが頭を突っ込み、中には深く踏み入ってごろごろと全身を水に転がすものもある。かき混ぜられ湧き上がった水は泥を含み、透き通りきらめくきれいな水ではない。ほぼ泥を飲むような形になっても、命たちはただひたすら水を飲む。
手の届く場所にいる格好の獲物。だが今は牙を立てるより牙を潤す方が先だ。自らを乾きから救済する方が先、飢えを解消するよりも乾きを解消する方が優先だ。
牙を立てられるものも同じくそれを本能で理解している。今は狩られることはない、だがやがて来るその時のためにも、できる限り水を飲んでおき、いつでも動けるように自らを整える。
乾きが生み出す今だけの平穏。命の瀬戸際にある時だけに生まれる短いが平和な時。
必要なだけの作業を終えると、各々が各々の次の作業へと移る。
乾きの次は飢えをと手近な獲物に牙を立てるもの、その牙をかわして遠くへ走るもの、捉えられ強きものの糧となるもの。また新たな生命のやり取りが始まる。
今のところの危機は去ったが、次の雨が降らなければやがてここの水も尽きる。次の雨季が来なければ、小さな雲もやがて消えてなくなってしまう。
命たちはまた動き始める。それは乾きひび割れた故郷へか、それとも新たな雲の下へか。
もう一度雨が大地を潤しわずかばかりの緑が顔を出すまでは、果てしない旅は続くのだろう。




