予期せぬ闖入者
高さ十メートルを超える巨大なドワーフの扉。その傍らに佇む無骨な石の壁には、人間の腕ほどもある古い金属製のレバーが取り付けられていた。
「あのレバーを引いて」
「はっ……!」
私に命じられた護衛兵士が、両手でレバーを握り締め、全身の体重をかけて下へと押し下げる。
ガコンッ! という重厚な駆動音が響き渡り、壁の奥で巨大な歯車が噛み合う音が鳴り響いた。数百年の眠りから覚めた重い扉が、地響きとともにゆっくりと観音開きに開いていく。
暗闇の奥から吹き抜けてきたのは、どこか懐かしく、そして澄み渡った冷気だった。
「私一人で奥へ行きます。あなたたちはここで待機し、決して誰も中に入れないように見張っていて」
「ロザリア様、ですが中は何があるかも分からぬ危険な場所です! お供を――」
「いいえ、これは私一人でやらなければならないことなの。頼んだわよ」
私の毅然とした態度に、護衛たちは少し困惑したような表情を浮かべた。けれど、普段の我が儘な令嬢の命令ではなく、真摯な拒絶であることを感じ取ったのか、それ以上は何も言わずに深く頭を下げてくれた。
私は、重い箱に繋がれた頑丈な鉄の鎖を握り締めた。
ズルズルと重い音を立てて箱を引きずりながら、私は一人、扉の先の暗闇へと足を踏み入れた。
松明の炎が照らし出す玄室の奥には、想像を遥かに超える光景が広がっていた。
整然と並べられた、見たこともない機械装置や金属製の棚。
どれも長い年月を経て埃を被り、表面には経年劣化の跡が見られる。けれど、その構造はいまだに強固そのものだ。
ドワーフが作った遺物は、異常なほどの耐久性と精度を誇ることで有名だ。
事実、歴史上幾度となく発見されてきたドワーフの遺構や技術は、この世界に様々な技術革新をもたらしてきた。それがこの世界の常識であり、歴史そのものなのだ。
(どこにあるかしら……古代の『冷却ポッド』……!)
ズルズルとガタガタと音を立てて、箱を引きずりながら慎重に奥へと進んでいく。
そして、部屋の奥の方に鎮座する巨大な円筒形の装置を目にした瞬間、私の息が止まった。
金属の表面に、目を見張るほど精密で大きな【雪の結晶】の紋様が深く刻み込まれていたのだ。周囲の空気が、そこだけわずかに凍てついている。
間違いない。解読した古文書に書かれていた通りだ! しかも分かりやすいマークで助かるわ。デザインより利便性って最高よね。
「ついにあったわ!」
思わず歓喜の声を上げた、その時だった。
「――何があったんだ?」
背後から、低く落ち着いた、けれど聞き覚えのありすぎる声が響いた。
「え……!?」
勢いよく振り返った私の視線の先に立っていたのは――戦鎧に身を包んだ、私の婚約者であるアルベルト王子だった。
「あ……アルベルト様!? な、なぜ、なぜここにいらっしゃるのですか!?」
パニックを起こして動揺し、困惑する私。
しかしアルベルト様は私の混乱など全て無視するように、冷ややかな、しかしどこか観察するような瞳で私を見つめると、ゆっくりと身をかがめた。
そして、私が握っていた鎖の先――重い箱を、その両手で掴んだのだ。
「……よほど、大切なものが入っているようだな」
じっと見定めるように、アルベルト様は箱と私の顔を交互に見比べる。その眼光の鋭さに、私は背中に冷や汗が流れるのを感じた。
「……あ、改めてお聞きしますわ。どうしてアルベルト様がこんな場所にいるのですか? 王都にいらっしゃるはずでしょう!?」
「君が急に『静養』と称して早馬車で飛び出していったと聞けば、追いかけるのは当然だろう。……私はこの国の王子であり、君の婚約者だ。国の行く末に関わる事態かもしれぬし。それに、君の身に何が起きていて、君がここで何をしているのかを知る義務が私にはある。」
アルベルト様は静かに、けれど逃れられない威圧感をもって私を見下ろした。
「答えてもらうぞ、ロザリア。ここのドワーフの遺物を使って、一体何を探していて、何をするつもりなんだ?」
(まずいわ……! ここでアルベルト様を巻き込むわけにはいかない……!)
私は必死に頭を回転させ、悪役令嬢として徹して、シラを切ろうと決意した。
「ふ、ふん! 殿下には関係のないことですわ! 今まで私のことなんか興味なかったでしょうに。何を今さら婚約者などと。これは単なる私の個人的な興味の追求ですの。……さあ、離してくださいませ!」
私は鎖を強く引っ張り、箱を手繰り寄せようとした。
けれど、アルベルト様は両手でしっかりと箱を掴んだまま、ぴくりとも動かない。
「離してくださいと言っているでしょうに!」
「いいや、離さない」
「なっ……! お離しなさいったら!」
「君が真実を話すまで、絶対に離さん」
私とアルベルト様は、意地になって箱を挟んで鎖を引っ張り合った。
ギチギチと嫌な音が響く。
その時だった。
バリィンッ……!!
箱が、まるで脆い焼き物のように唐突に粉々に砕け散った。
中に納められていた『アパシーコロッサスの牙』の強力な魔力侵食を受け続けていた箱は、すでに限界を迎えていたのだ。
「きゃっ……!?」
引き合っていた力が急に抜け、私はそのまま勢いよく尻もちをついてしまった。
「ロザリア! 大丈夫か!?」
先ほどまでの強硬な姿勢が嘘のように、アルベルト様はすぐさま私のもとへ駆け寄り、心配そうに顔を覗き込んできた。
「ええ、平気ですわ……」と照れくさそうに差し出された手を借りて、私は立ち上がる。
その時、アルベルト様の視線が、砕けた箱の破片の間に転がった【アレ】に留まった。
不気味な黒ずんだ光を放ち、周囲の空気を微かに歪ませている異質な牙。
「……あれは何だ?」
アルベルト様が不審そうに目を細め、確認するために拾いに行こうとしていた。
「触れてはダメです!!」
私は咄嗟に叫び、彼の腕を全力で制止した。あまりの剣幕に、アルベルト様がピタリと手を止める。
「……なぜダメなんだ? なぜ触れてはいけないのか理由を言わなければ、私はあれを拾うぞ」
アルベルト様の真剣な眼差しが私を射抜く。逃げ場は、もうどこにもなかった。
「そ、それは……っ」
言葉が詰まる。けれど、彼のまっすぐな瞳を見て、私は悟った。この人は、誤魔化しや嘘で引き下がるような人ではない。
私は覚悟を決め、重い口を開いた。
「……すべて、お話ししますわ」
私は、ありのままを打ち明けた。
自分が前世の記憶を持っていること。ここが前世でプレイしていた『乙女ゲーム』の世界に酷似していること。自分が主人公を苛める『悪役令嬢』という役割であり、破滅の運命が待っていること。それを回避するために求めたこと。
そして、あの転がっている牙が壊滅的な災厄を引き起こす『アパシーコロッサス』のものであり、今まさに魔力の侵食によって風化し、自分のせいで、国自体を脅かそうとしていること――。
(……きっと、狂ったと思われるわ。あるいは、恐れをなして離れていくかもしれない……)
一通り話し終えた私は、心臓を早鐘のように鳴らしながら、恐る恐るアルベルト様の顔を見上げた。
前世やゲーム、悪役令嬢などという話、常識で考えれば理解できるはずがないのだ。つい、混乱してベラベラと喋ってしまった。
────
アルベルト様は、深く指を顎に当て、しばし沈黙していた。
その静寂が、私には何時間にも感じられた。
やがて、アルベルト様はゆっくりと口を開いた。
「……なるほど。君の言いたいことは理解できた」
「え?……本当ですか!?」
アルベルト様は極めて冷静な声で淡々と言葉を紡ぎ出した。
「君が言った前世やゲームという概念の詳細は私には到底理解できんし、君が自分を『悪役』と称する理由も到底承服しかねる。……だが、提示された問題の本質は明確だ」
彼は地面の牙を指さした。
「あの牙は放置すれば大災厄を引き起こす非常に危険な代物であり、現在それが猛威を奮っている。そして、その侵食を安全に抑制・制御するには、目の前にあるこのドワーフの古代遺物を使うしかない――ということだな?」
「っ……! ええ、まさにその通りですわ!」
私は目を見張った。
前世やゲームという荒唐無稽な言葉に惑わされることなく、彼は自らの理解できる範囲で的確に情報を噛み砕き、今すぐ解決すべき「真の問題」だけを完璧に抽出してみせたのだ。
余計な部分はあえて深く追及せず、目の前の危機と本質だけを正しく理解してくれた。その頭脳の明晰さと冷静さに、私は鳥肌が立つほどの衝撃を受けていた。
アルベルト様はフッと短く息を吐くと、私に向かって頷いた。
「分かった」
そして、何事もなかったかのように袖を捲り上げると、迷いのない声で告げた。
「――早速、やろう」
「へ……? あ、今……なんとおっしゃいました……?」
あまりの冷静さと解釈の早さ、そして、私を信じる一切の謎の躊躇のなさに、私はただただ呆然と王子を見つめ返すことしかできなかった。




