果樹園の底に眠る物
自邸の書物庫にこもり、散々本や古い記録を読み漁っていた時のことだ。私はある古い土地の権利書と収支記録に目を留めた。
そこは、王都から早馬車を丸一週間走らせてようやく辿り着くような、グランツ王国の最東端にある土地だった。
幼い頃から見てきた父の姿が思い返される。父は事あるごとに、その土地のことで頭を抱えていたものだ。
『あの土地は、我が家の祖先が昔、投資に失敗して買い取ってしまった無価値な土地なのだ。今では果樹園にして林檎などを植えさせてはいるが、土質も悪く、利益などほとんど出ん。毎年、維持費と相殺でトントンが関の山だよ』
父は完全に「先代の愚行」として諦めきっていた。
だが――たくさんの書物を読み解き、様々な知識を得た今の私には、到底そうは思えなかった。
代々の公爵家を繁栄させてきたあの聡明な祖先が、何の意味もなくそんな無駄な土地を買い取るはずがない。父は失敗だと思っているようだが、絶対にここには何か「隠された理由」があるはずだと確信していた。
私は困惑する父に「静養を兼ねて領地を視察してきます」と有無を言わせず伝え、すぐさま早馬車を仕立てて東へと向かった。
一週間の過酷な移動の果てに到着したのは、緩やかな傾斜地にどこまでも整然と樹木が並ぶ、静かな果樹園だった。なんとか取っ替え引っ替えでここまで浸食が保った。
山からの冷たい風が吹き抜ける中、緑の葉を揺らす木々の間では、数人の農夫たちが忙しなく作業をしていた。
「あ……あの、公爵家のお嬢様が……!?」
「本物だ……どうしてこんな場所に……!」
「みなさん、作業中にごめんなさいね。お邪魔いたしますわ」
私から声をかけ、気さくに挨拶を交わすと、農夫たちは「え……?」と驚いて呆然としていた。悲鳴を上げられたり理不尽に怒鳴られたりすると思っていた彼らにとって、私のあまりにも普通な対応は拍子抜けだったのだろう。
豪華な公爵家の紋章が入った馬車から私が降り立つと、農夫たちは青ざめ、手に持っていた剪定バサミや籠をポロポロと落とした。
王都で流れる「高慢で残忍な令嬢」という私の悪名は、こんな遠く離れた領地の末端にまで届いていたらしい。彼らは今にも首を跳ねられるのではないかと、ガタガタと震え上がっている。
護衛に指示を出して、アパシーコロッサスの牙が入った箱を降ろさせる。この箱が旅前に用意した最後の箱だ。
道中の箱は、サラサラと、街道に撒かれた後だ。
そこへ、遠くから息を切らせて駆けつけてきた男がいた。この果樹園の責任者を任されている管理主の男だ。
額に油汗をびっしりと浮かべ、膝をガクガクと震わせながら、地面に擦り付けんばかりの深々としたお辞儀をしてくる。
「お、お初にお目にかかります、お嬢様! まさかこのような辺場所までお越しになるとは……! い、一体どのようなご用件でしょうか……!?」
深く頭を下げながらも、責任者は尋常ではないほど動揺していた。
私は横柄な態度は取らず、あくまで落ち着いた態度でごく普通に応対する。
「気にしないで。少し園内を見て回りたかっただけよ。……そうね、まずはあの倉庫を見せていただけるかしら?」
私が指さしたのは、敷地の隅にポツンと佇む古びた木造の倉庫だった。
噂通りの高慢な悪役令嬢ではなく、ごく普通に丁寧なやり取りをする私に、責任者は「いつもの噂と違う……」と言わんばかりに戸惑いながらも、慌てて倉庫へと案内を始めた。
「あ、あちらは単なる苗木や農機具を保管する古倉庫でございます! ロザリア様のような高貴なお方が足を踏み入れるような場所では……!」
「構わないわ。案内しなさい」
重厚な鍵がかかった扉の前で、同行させていた私の直属の護衛である女性兵士に目配せをする。彼女は責任者から手渡された鍵を受け取り、スムーズに鍵穴に差し込んで扉を開けた。
倉庫の中は薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。土と乾いた木材の匂いが鼻を突く。
整然と並べられた苗木の鉢や、古い農機具。だが、私の目はそれらを通り越し、建物の構造そのものに向けられていた。
「随分と、古い倉庫ね」
私の呟きに、責任者は焦ったように言葉を捲し立てた。
「は、はい! この倉庫は……先代の時代から立つものでして! 『この倉庫は絶対に解体・取り壊しをしてはならない。補強のみを行って維持せよ』という強い命が下されていたため、我々は代々、補強のみを行って参りました!」
(なるほど……先代がそこまでして残そうとした倉庫……)
責任者の様子を観察しながら、私は察していた。彼がここまで動揺しているのは、突然やってきた私が「自分の不正や管理体制の査察」に来たと思い込んでいるからだと悟った。
相手の弱みや嫌な空気感を瞬時に見抜いてしまう――ある意味、この体(悪役令嬢)が今まで培ってきた数少ない「才能」が役に立っていると思うと、少し皮肉な心地がした。
私は倉庫の中を探るように見回しながら、壁の頑丈な柱を撫でた。
「これ……元々は極上のチーク材で作られているわね。腐食にも強くて頑丈な素材だわ。これほどの木材なら、本来なら補強の必要なんてほとんどなかったはずでしょう?」
「え……? あ、いや、そ、それは……」
私は周囲を観察し続けながら、何気ない風を装って責任者に言葉を投げかけた。
「毎年、公爵邸に上がってくる維持費報告書……『古倉庫の木材補強費』として、結構な金額が計上されていた記憶があるのだけれど。補強の必要がほとんどないはずの場所で、一体何にお金を使っていたのかしら? まさか……補強費を水増しして、自分のポケットに入れていたわけではないわよね?」
カマをかけてみると、案の定、責任者の顔から一瞬で血の気が引き、灰色に変わった。
「め、滅相もございませんっ! 水増しなどとんでもない、決してそのようなことは……っ!」
必死に否定する責任者だったが、しどろもどろになって言葉を詰まらせ、必死に否定する責任者。私は彼の言い訳を聞き流しながら、静かに視線を足元へと落とした。
責任者の小悪党な不正などどうでもよかった。重要なのは、この倉庫の違和感だ。そして――中央あたりの床板を踏みしめた時、わずかな感触の違いに気づいた。
私はカツン、カツンと靴音を響かせながら、倉庫の中央へと歩いた。
そして、ある一箇所で足を止める。
(……ここだわ。この部分だけ、ほんの少し浮いている)
「ここを開けて」
私は傍らの兵士に指示を出した。兵士が短剣の刃を床板の隙間に差し込み、テコの原理で持ち上げると、バリリッと大きな音が鳴って床板の一部が外れた。
「な、何をお召しに……!?」
責任者の悲鳴を無視して床板の下を覗き込むと、そこには頑丈な【鉄の跳ね上げドア】が隠されていた。
「そのドアを」
「は!」
兵士が鉄の環を掴み、力を込めて引き上げる。
ギギギ……と重い音を立ててドアが開くと、その先には吸い込まれそうなほど真っ暗な、地下へ続く階段が伸びていた。
────
暗闇の底から、ひんやりとした不気味な冷気が吹き上がってくる。
責任者は階段を目にした途端、膝から崩れ落ちて頭を抱えた。
「ひいぃっ……! し、知りません! 私は何も知りません! 先代様の言い伝えを守っていただけで……っ!」
私は動揺する責任者を見下ろし、冷然と言い放った。
「静かに。今すぐ外へ出て警備の者たちを集めなさい。そして、ここを封鎖して誰も入れないようにするの。私が戻るまで、誰一人としてこの倉庫に近づけないように。分かったわね?」
「は、はいっ! ただちに封鎖いたしますっ!」
責任者は蜘蛛の子を散らすような勢いで、慌てて警備を集めに出て行った。
これで地上側の安全と秘密は確保された。
私は倉庫の壁に掛けられていた哨戒用の油松明を一本手に取った。兵士が素早く火打石で火を点けると、橙色の炎が暗闇を仄かに照らし出す。
「一緒について来てちょうだい」
「ロザリア様、危険です。まずは私が偵察して参ります」
「いいえ、一緒に行くわ。来て」
「はい、お供いたします」
私は松明をしっかりと握り締め、意を決して地下へ踏み出した。
カン、カン、と靴音が虚無の暗闇に響く。
十段、五十段、百段――。
降りても、降りても、終わりが見えない。長い、本当に長い階段だ。まるで世界の腹の中へと直接引きずり込まれていくような深さだった。周りの壁面は、地上の古い木造建築とは全く異なり、寸分の狂いもなく切り出された巨大な黒御影石で覆われている。継ぎ目には特殊な金属が流し込まれ、数千年の時が経った今でも崩落の兆候すら見られない。
(間違いなく……ドワーフの建築技術だわ)
一歩降りるごとに、空気は研ぎ澄まされ、独特な緊張感が肌を刺す。
松明の火を頼りに、長い時間をかけてひたすら石段を下り続けた。
そしてついに――階段が途切れ、足元が平らな地下の玄室へと辿り着いた。
「ロザリア様……あれを……」
兵士の息を呑む声に押されるように、私は松明の炎をかざした。
その先、地下空間の最奥に鎮座していたのは――息を呑むほど巨大で、重厚な金属の扉だった。
見上げるほどの高さを誇り、表面にはびっしりと未知の意匠や彫刻が刻まれている。
あまりの威容と圧倒的な存在感を前に、私はただ言葉を失い、その扉を見上げるしかなかった。




