第9話 取り返しのつかない失敗
●レックス視点
「ここがゴブリンの巣か。思ったより立派じゃねえか」
俺は洞窟を見上げながら、剣の柄を軽く叩いた。岩壁にぽっかりと開いた入口は大人が何人も並んで入れそうなほど広く、周囲には大きな爪痕が残されている。普通のゴブリンが掘った巣にしては妙に大きい気もするが、まあ、そこまで気にする必要もないだろう。
魔物の巣なんて、実際に中を見てみなければわからないものだ。俺たちはSランク冒険者パーティー『黒い太陽』。
ゴブリンの巣を1つ潰すくらい、造作もない仕事だ。
「おう! こいつは入口をぶっ壊すだけで終わりそうだな!」
大剣を担いだヴォルクスが、楽しそうに笑った。
「待て。まずは周囲を確認しろ。足跡も爪痕も大きすぎる。ゴブリン以外の魔物が住みついている可能性もある」
黒いローブをまとった魔法使いのオラクルが、慎重な声で告げる。
「何をそんなに警戒してるんだ? ゴブリンの巣だぞ。多少数が多かろうが、俺たちならどうにでもなる」
「そうだぜ。さっさと入口を吹き飛ばして、まとめて片づけちまおう」
ヴォルクスも俺の意見に賛同した。
確かに、オラクルの言うことにも一理ある。だが、危険を恐れて時間ばかりかけていたら、冒険者なんてやっていられない。俺たちはこれまで数々の依頼をこなしてきたSランク冒険者だ。ゴブリン程度の相手に慎重になりすぎるほうが馬鹿らしい。
「……本当に大丈夫かしら」
治癒術師のメルシーが、洞窟の周囲を見回しながら不安そうにつぶやいた。
「大丈夫に決まってるだろ。お前は俺たちの後ろで回復だけしていればいい」
「そういう問題じゃなくて……」
「心配性だな。何かあったら俺がどうにかしてやるよ」
俺は笑って言い切った。メルシーはまだ何か言いたそうだったが、結局それ以上は口を開かなかった。
さて、さっさと終わらせるか。
「オラクル、入口を吹き飛ばせ。中のゴブリンをあぶり出すぞ」
「だから、もう少し周囲を確認してからにしろと言っているだろう」
「しつこいな。さっさとやれ。早く帰って酒が飲みてえんだよ!」
俺が強く言うと、オラクルは不満そうに眉をひそめた。それでも、最終的には杖を構え、洞窟の入口へ狙いを定めた。
そのときだった。
「あら? これ、看板じゃない?」
メルシーが洞窟の脇に立っていた古い看板を見つけた。
雨風にさらされて傷んでおり、文字もところどころかすれている。何か警告らしきものが書かれているようだったが、少し離れた場所からではよく読めなかった。
「何だよ、めんどくせえ……」
俺は近づいて看板を眺めた。確かに何か書いてある。だが、古びた文字を1つずつ読み解くのは面倒だし、そもそもこんな森の奥にある看板だ。ずいぶん昔に立てられたものだろう。
「注意書きみたいよ?」
「危険な場所なら、ギルドが依頼を出す前に教えてくれるはずだ。俺たちはその説明を受けて、ここまで来たんだからな」
実際、出発前にギルドの職員から何か説明を受けた覚えはある。森の地形がどうとか、魔物の生息域がどうとか、そんな話だった気がする。だが、細かいことまでは覚えていなかった。ゴブリンの巣を1つ潰すだけなのに、いちいち説明を真面目に聞く必要もないと思っていたからだ。
それに、今さら引き返すわけにもいかない。
「よし、準備はいいな?」
俺が声をかけると、ヴォルクスは大剣を肩から下ろし、メルシーは杖を握り直した。オラクルだけは最後まで納得していない様子だったが、俺の命令に従って魔力を集中させている。
「撃て!」
俺の声と同時に、オラクルが攻撃魔法を放った。
轟音が森に響き渡った。洞窟の入口を覆っていた岩が粉々に砕け、崩れた石が地面を転がっていく。土煙が舞い上がり、視界が一瞬、灰色に染まった。
「ははっ! これで中のゴブリンも逃げられねえな!」
ヴォルクスが豪快に笑った。
「よし、さっさと中に入って片づけるぞ」
俺も剣を抜き、洞窟へ足を踏み出そうとした。
だが、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴッ!
地面が大きく揺れた。
「な、なんだ!?」
俺は思わず足を止めた。最初は岩が崩れたせいで地盤が揺れているのかと思った。だが、違う。地面の揺れは収まるどころか、少しずつ強くなっていた。
洞窟の奥から、低い音が響いてくる。
ゴブリンの鳴き声ではない。何か巨大なものが、地面を踏みしめながら近づいてくるような音だった。
「おい、オラクル。今のは何だ?」
「魔力の反応が……。いや、待て。これは……」
オラクルの顔から血の気が引いていく。
そのとき、崩れた岩の向こうから、黒光りする巨大な頭部が姿を現した。
「……は?」
俺は間の抜けた声を漏らした。
頭部を覆う硬そうな装甲。鋭い牙。光る瞳。そして、洞窟の入口を埋め尽くすほどの巨体。
俺が呆然としている間にも、巨大な魔物はゆっくりと外へ這い出してきた。硬い装甲が岩壁にこすれ、耳障りな音を立てる。その背後にも、さらに大きな影が見えた。
1匹だけではない。2匹、3匹と、次々に巨大な魔物が姿を現していく。
「な……何だよ、あれ……」
ヴォルクスの声が震えていた。
「レックス! あれ、まさか……!」
メルシーが俺の服をつかんだ。だが、俺には答えられなかった。目の前で起きていることが、まるで理解できなかったからだ。
ゴブリンの巣を破壊しただけのはずだ。なのに、どうしてこんな化け物が出てくる?
そのとき、オラクルが震える声でつぶやいた。
「アーマードドラゴン……」
アーマードドラゴン。全身を硬い装甲に覆われた危険な竜種だ。冒険者が1匹を相手にするだけでも、命懸けの戦いになる。群れで行動することもあり、その巣を刺激すれば、複数の個体が一斉に襲いかかってくるという。
そんな話を、どこかで聞いたことがある。
……どこで?
考えようとした瞬間、頭の中にギルド職員の声がよみがえった。
『森の北東部には、アーマードドラゴンの巣が確認されています。ゴブリンの巣と間違えないよう、十分に注意してください。アーマードドラゴンの巣は絶対に破壊しないでください。巣を刺激すれば、複数の個体が一斉に動き出す危険があります』
そうだ。
確かに、そんな説明を受けた。
だが、俺たちは……。
俺はゆっくりと洞窟を振り返った。崩れた入口。砕け散った岩。俺たちが放った魔法の跡。そして、目の前にいる巨大な魔物たち。
「ま、まさか……」
喉がひきつった。俺たちは、ゴブリンの巣だと思い込んで、アーマードドラゴンの巣を破壊してしまったのか?
嘘だろ。そんな馬鹿なことがあるか。
俺たちはSランク冒険者だぞ。どうしてこんなことになる?
考えている暇はなかった。
アーマードドラゴンの群れが、一斉に動き出したのだ。入口をふさいでいた岩が崩れたことで、巣の奥にいた個体まで外へ出られるようになっていた。硬い装甲が岩壁を砕き、巨大な翼が木々をなぎ倒す。
その光景を見た瞬間、俺の頭からあらゆる考えが吹き飛んだ。
「逃げろおおおおおっ!」
誰よりも先に叫んだのは、俺だった。
俺たちは一目散に逃げ出した。Sランク冒険者としての誇りも、依頼の成功も、そんなものはどうでもよかった。ただ生きて帰りたかった。
背後から咆哮が響く。地面が揺れる。木々が倒れる音が聞こえる。
振り返る余裕なんてなかった。どれだけの数が追ってきているのか、どこまで逃げれば安全なのか、そんなことを考える余裕すらなかった。
とにかく走った。
足がもつれそうになっても走った。息が苦しくても走った。仲間が何か叫んでいた気がするが、何を言っていたのかは覚えていない。
ただ俺たちは、とんでもない失敗をやらかした。




