第7話 ラブラブな朝食、崩れ始めたSランク
「ノーラン、あーん」
目の前にスプーンが差し出された。湯気の立つスープをすくったそれを見て、僕は思わず動きを止めてしまう。スプーンを持っているのは、ついさっき恋人になったばかりのブレンダだった。銀色の髪を揺らしながら、彼女は当然のように僕の口元へスプーンを近づけてくる。
「えっ、あ、あの……ブレンダ、自分で食べられるよ?」
「知っている。けれど、私が食べさせたいんだ。ほら、あーん」
赤い瞳がまっすぐ僕を見つめていた。断られるなんて少しも思っていないような顔だったけれど、その奥には、僕の返事を待つ不安もわずかに見えた。昨夜までの彼女は、誰にも弱いところを見せられず、傷ついても1人で耐え続けていた。だから、こうして甘えてくれること自体は嬉しい。
「……」
観念して口を開けると、温かいスープが舌に広がった。野菜の甘みと肉のうまみが溶け込んだ、宿屋の食堂で出されるごく普通のスープだ。それなのに、ブレンダが僕のためにすくってくれたというだけで、いつもよりずっとおいしく感じられた。
「おいしいか?」
「う、うん。おいしいよ」
「そうか。よかった」
ブレンダは嬉しそうに微笑むと、もう1度スープをすくった。今度は自分の口へ運ぶのかと思ったら、やっぱり僕のほうへ差し出してくる。
結局、僕は差し出されるたびに口を開けることになった。食堂にはほかの宿泊客もいる。視線を感じるたびに顔が熱くなったけれど、ブレンダはまったく気にしていない様子だった。それどころか、僕が恥ずかしがっているのを見て、少しだけ楽しそうに目を細めている。
「今度はノーランが私に食べさせてくれ」
「ぼ、僕が?」
「ああ。私ばかりでは不公平だろう?」
そう言って、ブレンダは僕の手元にあるスプーンを指さした。僕はスープをすくい、彼女の口元へ運ぶ。ところが、いざ食べさせようとすると、昨夜あれほど近くにいた相手なのに、急に意識してしまった。スプーンを持つ手が落ち着かず、こぼさないようにと慎重になるあまり、なかなか彼女の口まで届かない。
「ノーラン?」
「ご、ごめん! 今、食べさせるから!」
「ふふっ。そんなに緊張しなくてもいい」
ブレンダは小さく笑い、素直に口を開けてくれた。スプーンを傾けると、彼女は温かいスープをゆっくり飲み込む。それから、満足そうに頷いた。
「おいしいぞ。ノーランに食べさせてもらったからな」
「そ、そう? よかった……」
食事を終えるまで、ブレンダは僕の隣から離れようとせず、椅子を寄せたまま肩をくっつけていた。
「この後はどうする?」
「冒険者ギルドに行こうかなって。仕事を探さないと、宿代も食事代も払えなくなっちゃうから」
「そうだったな。私もほとんど貯金がない。よければノーラン、一緒にパーティーを組まないか?」
「……うん!」
ブレンダと一緒なら、きっと大丈夫。そんな気持ちが胸の奥に芽生えていた。
●レックス視点
俺たちが受けようとしているのは、報酬のいい討伐依頼だ。Sランクパーティーの俺たちなら、普段は迷うような仕事じゃない。ところが、依頼を受けると決めてから、さっぱり準備が進まなかった。
「レックス、現地までの道順はどうする?」
声をかけてきたのは、戦士のヴォルクスだった。大剣を背負った大柄な男で、魔物との正面戦闘では頼りになる。だが、戦い以外のことにはあまり頭が回らない。
「道順だと? 地図を見れば分かるだろ」
「いや、そうじゃなくてさ。途中に出る魔物とか、野営できる場所とか、そういう情報だよ。いつもノーランが調べてただろ?」
その名前を聞いた途端、俺は顔をしかめた。
「だから何だ? あんな雑用、誰にでもできるだろうが」
「だったら、誰がやるんだよ?」
ヴォルクスが不満そうに聞き返してくる。俺は舌打ちをこらえた。
「お前らの誰かに決まってるだろ」
「俺は魔物の生息域や地形の調査までは専門外だ」
会話に割って入ったのは、魔法使いのオラクルだった。黒いローブをまとった男で、攻撃魔法の威力には定評がある。その反面、魔法の研究以外にはあまり関心がなく、身の回りの管理も大雑把だった。
「地図を読むくらいならできる。だが、討伐対象の行動範囲や出現する魔物まで調べるとなると、時間がかかるぞ」
「時間がかかるなら、さっさと調べろよ」
「それを今から俺がやるのか? ノーランがいた頃は、必要な情報が最初からまとまっていたんだがな」
オラクルは淡々と言った。まるで、俺たちがノーランに頼り切っていたとでも言いたげな口ぶりだった。
「レックス、回復薬も確認しておきたいわ」
今度は僧侶のメルシーが声をかけてきた。柔らかな金髪を編み込んだ彼女は、回復魔法と治療術に優れている。戦闘中に仲間を治療する能力は確かだが、薬品や包帯などの管理は、これまでノーランに任せきりだった。
「何だよ、今度は」
「回復薬が残り少ないの。それに、包帯も補充したほうがいいと思う。今回の依頼でどれくらい必要になるか、計算しておかないと」
「必要な分だけ買えばいいだろ」
「その必要な分が分からないから、困っているのよ。ノーランはいつも依頼の内容に合わせて、必要な数を計算してくれていたでしょう?」
「……チッ」
俺は思わず舌打ちした。
どうして、どいつもこいつもノーランの名前を出すんだ。
あんな無能、追い出して正解だった。剣もろくに振れず、魔法の才能もない。戦闘で役に立たないくせに、俺たちと同じパーティーに居座っていた男だ。Sランクにふさわしくない奴を切り捨てた。それだけの話だろうが。
それなのに、道順の確認から薬品の管理まで、何をするにもあいつの名前が出てくる。
「いいから、道具屋に行くぞ。必要なものはそこで買い揃えればいい」
俺がそう告げると、3人はそれ以上何も言わずに歩き出した。
道具屋に着いてからも、面倒なことが続いた。
「回復薬は何本買う?」
「今回の討伐対象なら、少なくとも全員分は必要だろうな」
ヴォルクスの問いに、オラクルが答える。
「全員分って、具体的には何本だ?」
「それは戦闘がどれくらい長引くかによる。負傷の程度も分からないのに、正確な数など出せるわけがない」
「だったら、多めに買えばいいじゃないか」
ヴォルクスが適当に言うと、メルシーが困ったように眉を下げた。
「予算にも限りがあるのよ。必要以上に買っても、ほかの消耗品を揃えられなくなるわ」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
3人のやり取りを聞いているうちに、俺の苛立ちはどんどん膨らんでいった。
以前なら、こんなやり取りをする必要はなかった。ノーランが依頼内容を確認し、魔物の情報を調べ、必要な回復薬や解毒薬の数を計算していた。食料の量から野営の準備まで、すべてあいつが整えていたからだ。
俺たちは、その準備がどれほどのことか、考えたこともなかった。いや、考える必要などなかったのだ。雑用係が雑用をこなす。それは当たり前のことだろう。
「……あの野郎」
気づけば、俺は小さく呟いていた。
だが、すぐに頭を振る。
何を考えているんだ。あんな無能がいなくなった程度で、俺たちが困るはずがない。少し手間が増えただけだ。慣れればどうにでもなる。
「もういい。さっさと回復薬を買え。食料も多めに用意しておけ」
「解毒薬はどうする?」
オラクルに尋ねられ、俺は依頼書を思い出した。討伐対象について、毒を使う可能性があると書かれていたはずだ。
「……それも買っておけ」
「何本だ?」
「必要な分だよ!」
声を荒らげると、オラクルは呆れたように肩をすくめた。
「だから、その必要な分を決めるために情報がいるんだがな」
結局、俺たちは適当な数の回復薬と解毒薬、携帯食料を買い込んだ。会計を済ませて店を出たところで、メルシーが袋の中身を確認し、顔をしかめた。
「レックス、包帯を買い忘れているわ」
「はあ?」
「さっき話したでしょう? 包帯も残り少ないって」
「だったら今から買いに戻れ!」
俺が怒鳴ると、ヴォルクスがうんざりしたように頭をかいた。
「最初からノーランに任せておけば、こんなことにはならなかったのにな」
「その名前を出すな!」
怒鳴り声が通りに響いた。周囲の冒険者たちがこちらを振り返る。俺は睨み返して黙らせた。
「いいか、俺たちはSランクだ。ノーランみたいな役立たずがいなくなったところで、何も変わらねえ。むしろ、足手まといが消えた分だけ動きやすくなったはずだろうが!」
ヴォルクスは口を閉じ、オラクルは興味を失ったように視線をそらした。メルシーだけは何か言いたそうに俺を見ていたが、やがて諦めたように目を伏せた。
その態度が、余計に腹立たしかった。
「行くぞ。こんな簡単な依頼、今日中に片づけてやる」
俺は3人を引き連れ、街の門へと向かった。
あの無能がいなくなったおかげで、ようやくまともなパーティーになったんだ。これからは俺たちだけで、今まで以上の成果を上げてやる。
ノーランがいなくても何も変わらない。むしろ、あいつが足を引っ張っていた分、これからはもっと上手くいくはずだ。




