第4話 初夜
「今夜だけでいい。そばにいてくれないか」
「……え!?」
思わず声が裏返った。ブレンダさんは僕の袖をつまんだまま、じっとこちらを見つめている。赤い瞳には先ほどまでの鋭さがなく、見捨てられることを恐れる子供のような不安が浮かんでいた。
「えっと……、僕もこれ以上は大したことはできませんけど……」
「何もしてくれなくていい。ただ、そばにいてほしいんだ」
その声を聞いて、僕は返事に困った。元騎士団副団長といえば、きっと大勢の部下を従え、誰からも頼りにされていた人だ。そんな人が、出会ったばかりの僕にここまで頼み込むなんて思わなかった。
けれど、先ほどの彼女の姿を思い出すと、断る気にはなれなかった。3人の男たちに囲まれ、何度殴られても立ち上がろうとしていた彼女。僕をかばったときの声も、今にも消えそうなほど弱々しかった。
「……分かりました。僕でよければ、ここにいます」
そう答えると、ブレンダさんの指から少しずつ力が抜けた。
「すまない。ここは君の部屋だったな。迷惑をかける」
「気にしないでください」
本当は疲れていた。殴られた頬は痛むし、体を動かすたびにあちこちがうずく。できることなら、今すぐベッドに倒れ込んで眠りたかった。それでも、彼女を1人にして部屋を出る気にはなれなかった。
僕は椅子をベッドのそばに寄せ、腰を下ろした。
「よければ、一緒に寝てほしいんだが……」
「……えぇぇえええええっ!?」
思わず大声を上げてしまった。ブレンダさんは顔を赤くしながらも、真剣な顔で僕を見つめている。冗談を言っているわけではなさそうだった。
「い、いや、あの……。一緒にっていうのは、つまり……」
「同じベッドで眠ってほしい。駄目だろうか」
「駄目というか、その……僕たち、今日会ったばかりですよね?」
「だめか?」
彼女は僕の袖をつかみ訴えている。
「……すまない。1人になると、どうしても落ち着かないんだ。目を閉じると、あのときのことを思い出してしまう」
そう言って、ブレンダさんは目を伏せた。さっきまでのやり取りで、彼女がどれほど追い詰められているのかは分かっていた。ここで断ったら、また1人で苦しむことになるのかもしれない。
「……分かりました」
ブレンダさんは、ようやく少しだけ表情を和らげた。
というわけで、僕はブレンダさんと触れ合う距離で一緒の布団に入った。
「…………」
近い。とにかく近い。
横になった僕のすぐ隣に、銀色の髪が広がっている。彼女が呼吸するたびに、胸がゆっくりと上下するのが分かった。女性と同じ部屋で過ごすだけでも緊張するのに、まさか同じ布団で眠ることになるなんて、今朝の僕に教えても絶対に信じないだろう。
目を閉じてみるけれど、眠れる気がしない。
隣から伝わってくる体温が気になって仕方がない。少しでも動けば触れてしまいそうで、寝返りを打つことすらできなかった。僕は体を硬くしたまま、天井を見つめ続けた。
一方、ブレンダさんはすぐに眠りについたようだった。先ほどまで不安げに僕の袖をつかんでいた指も、今は布団の上に置かれている。ようやく安心して眠れたのなら、それはよかったと思う。僕が眠れないくらい、どうということはない。
そう自分に言い聞かせながら、どれほど時間が経っただろうか。
「上からの命令だ……」
隣から苦しそうな声が聞こえた。
僕は慌てて顔を向けた。ブレンダさんは目を閉じたまま、シーツを強く握りしめている。額には汗が浮かび、呼吸も乱れていた。眠っているはずなのに、何かから逃れようとするように体をこわばらせている。
「ブレンダさん?」
呼びかけても返事はない。
「違う……! これ以上、死人を出したくない……!」
彼女の唇が震えた。必死に何かを訴えている。きっと戦場の夢を見ているのだろう。撤退を命じたときのこと。自分の判断で仲間を失ったと思い込んでいること。彼女が背負ってきた苦しみが、眠っている間も心を縛りつけているのかもしれない。
「ブレンダさん、起きてください。ここは戦場じゃありません」
僕は肩にそっと手を置いた。けれど、彼女の体は震えたままだった。
「もう大丈夫ですよ。あの男たちもいません。ここには僕しかいませんから!」
声をかけると、ブレンダさんの目が勢いよく開いた。赤い瞳が不安げに揺れ、僕の顔を見つけるなり、彼女は荒い息を繰り返しながら手首をつかんだ。
「……ノーラン?」
「はい。僕です」
「そう、か……。夢……」
彼女はようやく息を吐いた。それでも、手は僕の手首をつかんだままだった。少ししてから慌てて手を離した。
「すまない。起こしてしまったな」
「謝らなくていいですよ。怖い夢を見たんでしょう?」
「……ああ」
ブレンダさんは顔を背けた。僕から表情を隠すようにして、唇をかみしめている。
「あれは夢ではない。私が実際に経験したことだ。仲間たちが倒れていく姿も、私が撤退を命じたことも、すべて現実だった」
彼女の声は静かだった。けれど、布団を握る指には力がこもっている。
「私は、生き残ってしまった」
その言葉を口にした途端、彼女の頬を涙が伝った。
「私が死んでいれば、みんな納得したのだろうか。私があの場に残っていれば、仲間を救えたのだろうか。何度考えても答えは出ない……」
僕には、彼女の苦しみを完全に理解することはできない。大切な仲間を失ったことも、命令を下す立場に立ったこともない。あの戦場にいたわけでもない僕が、無責任に「あなたは悪くない」と言い切ることはできなかった。
それでも、1つだけ伝えたいことがあった。
「ブレンダさん。あなたが生きていてくれて、僕はよかったと思います」
彼女の動きが止まった。
「僕には、戦場で何が起きたのか、詳しいことは分かりません。ブレンダさんの判断が正しかったのか、僕が決めることもできません。でもブレンダさんが死んでいたら、僕は今日、あなたと会って、こうやって話すこともできなかった」
僕は彼女の手を見つめた。細かな傷が残るその手は、きっと大勢の人を守るために剣を握ってきたのだろう。今は剣を握る力さえ残っていないように見えるけれど、それでも、彼女は僕を守ろうとしてくれた。
「僕は、あなたが生きていてくれてよかったです。僕も、追放されたその日に1人でいるのはつらかったので。ブレンダさんがそばにいてくれて、救われてます」
本心だった。今日、僕はすべてを失った。帰る場所も、お金も、仲間もなくなり、自分には何の価値もないのだと思い知らされた。それでも、今こうしてブレンダさんと話していると、少なくとも僕たちは互いに1人ではないのだと思えた。
彼女の指が、そっと僕の手のひらに触れた。
「……ノーラン」
ブレンダさんは僕の顔を確かめるように見つめた。何かを言いたそうに唇を動かしたものの、うまく言葉にならなかったらしい。やがて彼女は、小さく「ありがとう」とつぶやいた。
次の瞬間、ブレンダさんの頭が僕の胸元に寄せられた。
「えっ、ブブブブ、ブレンダさん!?」




