第21話 愛されるほど苦しくなる
●ブレンダ視点
「あれ? お客様ですか?」
不意に、明るい声が響いた。
廊下の向こうから姿を現したのは、ノーランだった。私たちを見つけると、彼は少し驚いたように目を丸くした。
「ユリウス団長、いらっしゃっていたんですね。すみません、お迎えに上がるのが遅くなってしまって」
「いやいや、構わないとも。こちらこそ、突然押しかけてしまって申し訳ない」
ユリウスは、先ほどまでの冷たい表情が嘘だったかのように、穏やかな笑みを浮かべた。その変わり身の早さに、私は思わず息をのんだ。
「ブレンダとは何を話していたんですか?」
「少し懐かしい話をしていただけだよ」
「そうだったんですね」
ノーランは疑うことなくうなずいた。しかし、すぐに私の顔を見て、心配そうに眉を下げた。
「ブレンダ、顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」
「……え? ああ」
「無理せず部屋で休んでいてください」
ノーランはそう言って、安心させるように微笑んだ。
ここを離れれば、もう団長の嫌味を聞かずに済む。ノーランに余計な心配をかけることもない。けれど、団長が私の言葉をさえぎった。
「待ちたまえ、ブレンダ君。君にも聞いてもらいたい話があるのだ。なに、君にとっても大切な話だ。すぐに終わる」
ユリウスはノーランに向き直ると、いかにも親切そうな口調で続けた。
「ノーラン殿。あなたはまだお若い。これから貴族社会でも、冒険者の世界でも、ますます活躍されることでしょう。だからこそ、身近に置く人間は慎重に選ぶべきだと思うのです」
「何の話ですか?」
「礼儀作法に優れ、教養もあり、あなたを公私ともに支えられる貴族令嬢は大勢いるという話です」
団長はそこで、ちらりと私に目を向けた。
「それに比べて、ブレンダ君は……」
「……」
「剣の腕こそ優れているかもしれませんが、気が強く、他人に合わせることが苦手な女性です。騎士団にいたころから、周囲との衝突が絶えませんでした。あなたのような立場になった方を支えるには、少々力不足ではありませんか?」
耳の奥で、嫌な音がした。聞きたくなかった。これ以上、聞いていたくなかった。
「もちろん、彼女があなたに感謝していることは分かります。しかし、感謝と愛情は別物です。あなたの厚意を受けるばかりで、何も返せない女性を、いつまでもそばに置いておく必要はないでしょう」
「……ユリウス団長」
ノーランの声が、少しだけ低くなった。
「彼女はあなたの力にすがることでしか生きていけない。ですが、あなたほどの方が、そのような関係に縛られる必要はないのです」
「もう結構です」
ノーランの言葉に、団長が口を閉じた。彼は、いつもの穏やかな笑顔を浮かべていなかった。
「……何とおっしゃいましたか?」
「もう結構です、と言いました」
ノーランは私の前に立った。
その背中を見た瞬間、私は息をするのも忘れてしまった。
彼が、私をかばってくれている。
「ブレンダがどんな人なのか、僕は知っています。彼女がどんな思いをして騎士団を去ったのか、どれだけ傷ついてきたのか、僕は全部を知っているわけではありません。でも、少なくとも、あなたが今おっしゃったような人ではありません」
「ノーラン殿。私はあなたを心配しているのです。彼女の過去を知れば、考えも変わるでしょう」
「僕の心配をしてくださるのなら、僕が誰を大切に思っているのかも尊重してください」
静かな声だった。けれど、その言葉には、はっきりとした怒りがこもっていた。
「ブレンダは、僕にとって大切な人です。彼女が何をできるか、何を返してくれるかで、そばにいてほしいと思っているわけではありません」
「しかし、彼女はあなたの役に立っていないではありませんか?」
「それを決めるのは、あなたではありません」
ノーランは一歩も引かなかった。
「僕は、ブレンダと一緒にいたいんです。そもそも、僕は彼女を役に立つかどうかで見たことなんてありません」
胸が熱くなった。嬉しかった。こんなにも、私を大切に思ってくれている。私がずっと恐れていたことを、彼は何のためらいもなく否定してくれた。
それなのに、どうしてだろう。
彼の言葉を聞けば聞くほど、自分が情けなくなっていく。
私は彼に守られている。
私が傷つけられれば、彼が怒ってくれる。私が苦しんでいれば、彼が心配してくれる。私が何もできなくても、彼は私を大切だと言ってくれる。
でも、私は?
私は、彼のために何ができるのだろう。ただ一緒にいるだけでいいなんて、とても思えなかった。私は根本的に、自分に自信がないのだ。
「……随分と、彼女に入れ込んでいらっしゃるようだ」
ユリウスは、わずかに顔をこわばらせた。
「ですが、いつか後悔されますよ。彼女はあなたの隣に立つには、あまりにも――」
「お帰りください」
ノーランが、はっきりと言い切った。
「これ以上、僕の大切な人を侮辱するのなら、あなたとはお話しできません。今日はお引き取りください」
「私は、あなたのためを思って……」
「僕のためを思ってくださるのなら、どうかこれ以上、ブレンダを傷つけないでください」
ノーランの表情は、真剣そのものだった。
「彼女が僕にとってどれほど大切な人なのか、あなたに理解していただく必要はありません。ただ、僕の屋敷で彼女を侮辱することは許しません」
団長はしばらくノーランをにらんでいたが、やがて小さく舌打ちをした。
「……分かりました。今日は失礼させていただきましょう」
「玄関までお送りします」
「必要ありません」
団長は吐き捨てるように言い、足早に廊下を去っていった。
その背中が見えなくなってから、ノーランはようやく私の方を振り返った。
「ブレンダ……、大丈夫ですか?」
私は、何も答えられなかった。
「すみません。僕がもっと早く来ていれば、あんなことを言わせずに済んだのに」
「違う……。ノーランは、何も悪くない」
「でも、嫌な思いをさせてしまいましたよね」
ノーランは私の手を取った。温かい手だった。私が何度も救われてきた、大好きな手。
「ブレンダ。あの人が何と言おうと、僕の気持ちは変わりません。あなたは僕にとって、大切な人です。だから、どうか自分を責めないでください」
「……ああ」
「何かあったら、いつでも僕に話してくださいね。1人で抱え込まないでください」
私はうなずいた。
彼の手を握り返したかった。大好きだと伝えたかった。あなたのそばにいたいと、今すぐにでも言いたかった。
けれど、できなかった。
ノーランは、私が何もできないことを気にしなくていいと言ってくれる。
私が何も返せなくても、そばにいていいと言ってくれる。
それは、きっと彼の本心なのだろう。
でも、いつまで?
彼がもっと多くの人に認められ、もっと立派な貴族になって、それでも私を必要としてくれる保証はあるのだろうか。
彼が今の私を大切に思ってくれていることと、これから先も私を選び続けてくれることは、同じではない。
私は、彼に嫌われたくない。
彼を失いたくない。
だからこそ、怖かった。
彼の隣にいる限り、いつか彼にふさわしくない自分を思い知らされる日が来るのではないか。彼が私を必要としなくなる日が来るのではないか。
そんな未来が来るくらいなら。
そんな未来を、この目で見届けなければならないのなら。
いっそ、彼が私を嫌いになる前に。
「……ブレンダ?」
ノーランが心配そうに顔をのぞき込んできた。
私は慌てて笑顔を作った。
「何でもない。少し、疲れただけだ」
「そうですか……。それなら、今日はゆっくり休みましょう。僕も一緒にいますから」
「……ああ。ありがとう、ノーラン」
彼は安心したように微笑み、私の頭を優しくなでた。
私は、彼の胸に顔をうずめた。
もう少しだけ、この温もりを覚えていたかった。
もう少しだけ、彼のそばにいたかった。




