第19話 あなたに守られるだけの私
●ブレンダ視点
ノーランの役に立ちたい。
その思いは、日を追うごとに強くなっていった。でも屋敷には使用人がいて、身の回りのことは何でも彼らが引き受けてくれる。私が何かをしなくても、生活に困ることはない。むしろ、私が余計なことをすれば、彼らの仕事を増やしてしまうのかもしれなかった。
それでも、何もしないままでいることには耐えられなかった。
ノーランは私に居場所をくれた。騎士団を追われ、誰からも必要とされていないと思っていた私を受け入れてくれた。だからこそ、今度は私が彼を支えたかった。
彼が困ったときには力になりたい。
疲れているときには、私が支えてあげたい。
そう思っているのに、何をすればいいのか分からなかった。
「ブレンダ様、こちらの帳簿の確認は私どもがいたしますので、どうぞお気になさらず」
執事にそう言われたのは、屋敷の管理について教えてもらおうとしていたときだった。
「だが、私にも手伝えることがあるだろう?」
「お気持ちはありがたく存じます。しかし、屋敷の管理は私どもの仕事です。ブレンダ様が無理に覚えられる必要はございませんよ」
「それでは、私は何をすればいい?」
思わず口にしてから、私は自分の言葉に恥ずかしくなった。執事は困ったような顔をすることもなく、穏やかに答えてくれた。
「ノーラン様のおそばにいて差し上げればよろしいのではないでしょうか。あの方も、ブレンダ様と過ごされる時間を何より大切にしておられますから」
「……そうか」
彼は気を遣ってくれたのだろう。私が何もできないことを責めるつもりなどない。むしろ、私が気負わないように言葉を選んでくれたのだと思う。それなのに、私は素直に喜ぶことができなかった。
ノーランのそばにいる。それだけでいいのだろうか。
彼が私を好きだと言ってくれたことは知っている。一緒に暮らしたいと言ってくれたことも、毎日のように手を握ってくれることも、私を大切にしてくれている証拠だ。
けれど、彼がこれから築いていく人生を考えると、それだけでいいとは思えなかった。
彼には、これから多くの人との付き合いが待っている。貴族たちとの交流も増える。もしさらに出世して領地を治める立場になれば、私の知らない仕事も増えていくはずだ。そのとき、私に何ができるのだろう。
騎士だったころの私は、剣を振るうことで自分の価値を示してきた。騎士団は男社会。女性だからという理由で、最初から私を認めようとしない者もいた。剣の腕を疑われ、判断力を疑われ、実績を積み重ねても、陰では女だから特別扱いされているのだとささやかれた。
それでも、私は実力で黙らせてきた。誰よりも鍛え、誰よりも戦い、与えられた任務で結果を出す。いつか団長になり、自分を認めなかった者たちにも、私の実力を認めさせる。かつての私は、本気でそう考えていた。
けれど、今の私はどうだろう。
剣を振るう場所さえ失い、何の役にも立てず、誰かに守ってもらうことばかり。
「……私は、何をしているのだろうな」
小さくつぶやいた言葉は、誰にも届かなかった。
その日の午後、私は庭でノーランと過ごしていた。彼は書類仕事の合間に時間を作ってくれたらしい。私が部屋にこもっていることを気にして、気分転換に誘ってくれたのだ。
「少し歩きませんか。ずっと屋敷の中にいると、息が詰まるでしょう?」
「そうだな。ありがとう」
彼と一緒に庭を歩く時間は好きだった。肩が触れそうな距離で並び、ときどき目が合うと、彼は嬉しそうに笑ってくれる。私も笑い返す。その瞬間だけは、自分が何もできない人間だということを忘れられた。
庭の片隅には、手入れを待っている木箱や道具がまとめて置かれていた。庭師が作業のために運び出したものらしい。私は通路をふさがないよう箱を動かそうとした。
「ブレンダ、それは僕がやりますよ」
「これくらい、私にもできる」
騎士だったころは、重い武具を運ぶことなど日常だった。箱の1つくらい、どうということはない。そう思って手をかけたのだが、下に置かれていた木箱が不安定だった。持ち上げた拍子に、上に積まれていた道具箱が傾いた。
「危ない!」
ノーランが私の肩を引いた。
次の瞬間、崩れた道具箱が彼の腕にぶつかった。鋭い金具が皮膚を裂き、彼の袖に赤い染みが広がっていく。
「ノーラン!」
私は息をのんだ。彼の腕から血が流れていた。
「すまない! 私が、余計なことをしたせいで……!」
「大丈夫です。ブレンダが怪我をしなくてよかった」
ノーランは自分の腕を押さえながら、私を安心させるように笑った。
その顔を見た瞬間、胸が締めつけられた。
彼は私をかばったのだ。私が勝手に箱を動かさなければ、こんなことにはならなかった。役に立ちたいと思ってしたことが、結局は彼を傷つけてしまった。
「すぐに手当てを……!」
「落ち着いてください。大した怪我じゃありません」
「しかし!」
ノーランの手が傷口に触れた。すると、彼の身体から淡い光が広がった。温かな光が腕を包み込んだかと思うと、裂けた皮膚が目の前で閉じていく。流れていた血も消え、破れた袖だけが、先ほどまでの出来事を物語るように残っていた。
「……治ったのか?」
「はい。もう大丈夫ですよ」
ノーランは腕を動かしてみせた。痛みも残っていないらしい。彼は本当に何事もなかったように笑っていた。
「よかった……」
そう答えたものの、声が震えてしまった。
「ブレンダ、そんなに気にしないでください。僕が勝手にかばっただけですから」
「だが、私が箱を動かさなければ、お前は怪我をしなかった」
「それはそうかもしれません。でも、ブレンダが怪我をするほうが嫌でした」
彼は、何でもないことのようにそう言った。
私は何も返せなかった。
彼は私を守ってくれた。私のために怪我をして、それを自分の能力で治して、さらに私が気に病まないように気遣ってくれている。
私は、何をしているのだ……。
役に立ちたかった。少しでも彼を支えたかった。なのに、私がすることは、彼に余計な心配をかけ、怪我までさせることだった。
「……すまない」
「もう謝らなくていいですよ」
ノーランは私の手を取った。いつもと変わらない温かさだった。その手に触れた途端、涙が出そうになった。
彼は怒らない。責めない。私が失敗しても、何もできなくても、いつだって優しくしてくれる。
その優しさが苦しかった。
もし彼が怒ってくれたなら、私のせいだと責めてくれたなら、少しは気持ちを整理できたかもしれない。けれど彼は私を責めるどころか、自分が怪我をしたことさえ気にしていなかった。
私が彼を傷つけたという事実だけが、私の中に残っていた。




