第15話 俺の欲しかったもの全てを……
●レックス視点
死にたくない……。
死にたくない、死にたくない、死にたくない!
目の前に迫るアーマードドラゴンを見上げながら、俺は地面を這いずって後ずさった。足に力が入らない。剣を握ろうとしても、指先が震えて柄をつかめなかった。
「く、来るな……! 来るなぁっ!」
竜が大きく口を開いた。喉の奥で炎が渦巻き、灼熱の光が俺の顔を照らす。
ああ、死ぬ。俺はここで死ぬんだ。
Sランク冒険者として名を上げ、誰もが俺を称賛し、女も金も思いのままに手に入れる。そんな未来がすぐそこまで来ていたのに、こんなところで終わるのか。
「嫌だ……。俺は、まだ……!」
炎が放たれた。
俺は反射的に顔を覆った。熱風が肌を焼き、死を覚悟した、その瞬間。
金色の光が目の前に広がり、竜の炎を完全に遮断した。
「……え?」
何が起きたのか分からなかった。
炎は消えていた。俺たちを焼き尽くすはずだった攻撃が、最初から存在しなかったかのように消え去っていた。
そして、俺たちと竜の間に、1人の男が降り立った。
純白の翼。金色の光。その姿を見た瞬間、俺の思考が止まった。
「もう大丈夫です」
穏やかな声だった。
竜が怒り狂ったように咆哮を上げ、男へ爪を振り下ろす。だが、攻撃が届くことはなかった。金色の光が竜の巨体を包み込み、あっという間に宙へ持ち上げる。そのまま街の外へ吹き飛ばし、森の奥へと追い払ってしまった。
信じられなかった。
あのアーマードドラゴンを。俺たちが総がかりで戦っても傷1つつけられず、命からがら逃げ回るしかなかった怪物を。
こいつは、まるで子どもを追い払うかのように、簡単に退けてしまった。
男が振り返る。
「みなさん、怪我はありませんか?」
その顔を見た瞬間、俺の喉から声が漏れた。
「……ノーラン?」
あり得ない。そんなはずがない。目の前にいるのは、あのノーランだった。
俺が無能と罵り、役立たずと笑い、パーティーから追い出した男。戦闘では何の役にも立たず、荷物持ちや薬の管理くらいしかできなかった、あのノーラン。
どうして、こいつがここにいる?
どうして、こんな力を持っている?
どうして、俺たちを助ける?
「……ノーラン、なのか?」
「はい。お久しぶりです、レックス」
ノーランは、穏やかに答えた。何事もなかったかのように。俺に追放されたことなど、どうでもいいことだったかのように。
「な、なんで……お前が……」
声が震えた。悔しさからなのか、恐怖からなのか、自分でも分からなかった。
「お前、戦えなかったはずだろ……? 魔法だって使えなかったじゃないか……!」
「……そうですね」
ノーランはあっさりとうなずいた。その言い方が、俺の神経を逆なでした。今の自分は俺の知っているノーランとは別人だとでも言いたげだった。
「でも、今は大切な人たちを守るための力があります」
「大切な人……?」
俺は思わず聞き返した。
俺に追い出されたくせに。俺に無能と罵られ、金まで奪われたくせに。俺がいなくなれば何もできないと思っていた男が、今では誰かを守るための力を手に入れたというのか。
「ふ、ふざけるな……」
気づけば、そんな言葉が口からこぼれていた。
「おい、レックス……。こいつ、本当にノーランなのか?」
ヴォルクスが傷ついた腕を押さえながら、信じられないものを見るようにノーランを見つめていた。オラクルも、メルシーも、何も言わない。あいつらも分かっているのだ。目の前の男が、俺たちを救ったのだと。
俺たちには倒せなかった竜を、たった1人で退けたのだと。
「黙れ!」
俺は叫んだ。
「俺は何も聞いていない! こんなの、何かの間違いだ!」
立ち上がろうとした。だが、足に力が入らず、再び地面へ崩れ落ちた。
情けない。あまりにも情けない姿だった。
俺はSランク冒険者だ。誰よりも強く、誰よりも優れた剣士だ。そう信じていた。そう周囲に認めさせてきた。
なのに、今の俺はどうだ。剣を握ることすらできず、地面に這いつくばっている。その俺を助けたのは、俺が無能と切り捨てた男だった。
「俺たちはSランクなんだぞ……!」
声がかすれた。
「俺たちが、こんな……!」
ノーランが、俺に手を差し伸べた。
「立てますか?」
差し出された手を見つめた。
荷物を運び、野営の準備をし、食料を分け、傷薬を用意していた手だ。俺たちが剣を振るっている間、面倒な仕事を全部引き受けていた手だ。
俺は、その手を必要ないと切り捨てた。
こつがいなくなれば、俺たちはもっと自由になれる。もっと上手くやれる。そう信じていた。
実際はどうだった?
準備を怠り、道を間違え、竜の巣を刺激した。食料も薬も足りず、敵の前では何もできなかった。
俺たちがSランクでいられたのは、ノーランが陰で支えていたから……。そんなこと、認めたくなかった。認められるはずがなかった。
「……ふざけるな」
俺はノーランをにらみつけた。
「……?」
「ふざけるなと言っているんだ!」
喉が痛くなるほど叫んだ。
「なんでお前がそんな力を持っている! なんでお前が!」
ノーランは黙って俺を見つめていた。その目には、怒りも憎しみもなかった。それが、何よりも許せなかった。
「お前は無能だっただろうが! 俺たちの足を引っ張るだけの役立たずだっただろうが!」
叫んだ瞬間、周囲がざわめいた。
「おい、今の話……」
「あいつ、助けてくれた人に何を言っているんだ?」
「まさか、あの白翼の御方を罵っているのか……?」
周囲の視線が俺に突き刺さる。
やめろ。そんな目で俺を見るな。俺は間違っていない。俺はSランク冒険者なんだ。
「お前がいなくなって、俺たちは自由になったはずなんだ!」
止まらなかった。
「お前さえいなければ、もっと上手くいくはずだった! お前みたいな無能がいなくなれば、俺たちはもっと上に行けるはずだったんだ!」
声が裏返る。
「それなのに、どうして……! どうしてお前なんだよ!」
ノーランは、少しだけ目を伏せた。
「……僕は、あなたたちを助けたかっただけなんですけど。なんか、すみません」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが砕けた。
助けたかっただけ。
俺を?
俺たちを?
俺が追い出した男が、俺の命を救いたかっただけだと?
「……なんでだよ」
声が震えた。
「なんで、お前は……」
視界がにじんだ。涙だった。気づいたときには、頬を伝っていた。
悔しかった。悔しくて、悔しくて、たまらなかった。
俺が捨てた男が、俺の手の届かない場所にいる。俺が無能と笑った男が、俺には決してできないことを成し遂げている。
俺がSランク冒険者として積み上げてきた誇りも、名声も、実力も、目の前のノーランと比べれば、何の意味もないように思えた。
しかも、こいつは俺を責めない。怒鳴り返しもしない。ただ、俺を助けようとしている。そんな優しささえ、今の俺には耐えられなかった。
「やめろ……。そんな目で俺を見るな……!」
ノーランは何も言わなかった。
「俺を哀れむな! 俺はお前なんかに助けられなくても……」
言葉が続かなかった。
助けられなくても、何だ?
俺は何を言おうとしている?
現実には、助けられなければ死んでいた。ノーランが来なければ、俺は竜の炎に焼かれていた。その事実だけは、どうやっても覆せなかった。
「くそっ……! くそおおおおおっ!」
俺は地面を殴った。拳が痛んだ。それでも殴るのをやめられなかった。
「なんでだよ! なんでお前なんだ! なんで俺じゃないんだよおおおおっ!」
涙が止まらなかった。
周囲の冒険者たちは、誰も俺を助け起こそうとしなかった。ヴォルクスも、オラクルも、メルシーも、黙って俺を見ていた。
街の人々は、ノーランを称賛していた。
「神様、ありがとうございます!」
「あなたのおかげで助かりました!」
「白い翼の御方、どうかお名前を教えてください!」
歓声が、俺の耳に突き刺さる。
その言葉は、すべてノーランに向けられていた。
俺ではない。
俺はSランク冒険者なのに。剣士として、誰よりも優れているはずなのに。誰も俺を見ていなかった。誰も俺を称賛していなかった。
俺が命乞いをしている間に、ノーランは街を救っていた。
俺が竜に怯えて這いつくばっている間に、ノーランは人々の希望になっていた。
俺が捨てた男が、俺の欲しかったものをすべて手に入れていた。
「……違う」
俺は震える唇でつぶやいた。
「違う、違う、違う……!」
そんなはずがない。俺のほうが優れている。俺のほうが強い。俺のほうが、価値のある人間なんだ。
「俺は……、俺はSランク冒険者なんだぞおおおおおっ!」
叫びは、街の歓声にかき消された。
誰も振り向かなかった。
誰も俺の名前を呼ばなかった。
俺は泣いた。人目もはばからず、地面に這いつくばって、子どものように泣き叫んでいた。
俺が追い出した男に命を救われた。
俺が無能と罵った男に、手を差し伸べられた。
俺は、いったい何をしていたんだ。その答えは見つからなかった。




