第14話 神様と呼ばれた僕
ブレンダをお姫様抱っこしたまま、僕は大きく翼を広げた。
「ノーラン、本当に飛ぶのか?」
「はい。街の様子が心配ですから、急ぎましょう」
ブレンダは僕の首に腕を回し、頬を赤く染めていた。普段はどんな強敵にも臆さない彼女が、こんなことで照れている。その姿を可愛いと思ってしまったけれど、今はそれどころではない。
「落としたりしませんから、安心してください」
「……ああ。お前を信じている」
僕は彼女をしっかりと抱き直し、純白の翼を羽ばたかせた。
次の瞬間、身体がふわりと浮き上がった。地面が遠ざかる。山の向こうには、黒煙が立ち上る街が見えた。耳を澄ませば、遠くから竜の咆哮と人々の悲鳴が聞こえてくる。
「……そんな」
ブレンダの表情が変わった。
「急ぎましょう」
僕は翼を大きく広げ、さらに速度を上げた。
風が頬を打つ。眼下の森を抜け、街を囲む城壁が見えてきた。その向こうでは、巨大な竜たちが建物を踏み砕き、炎を吐き出していた。
逃げ惑う人々を守るように冒険者たちが戦っているけれど、わずかに竜の動きを止めるのが精いっぱいだった。
「ノーラン、あれだけの数を相手にするつもりなのか?」
「はい。放っておくわけにはいきませんから」
「しかし……!」
ブレンダが僕の服を握りしめる。
「お前は、もう十分に戦った。無茶をする必要はないんだぞ」
「大丈夫です。今の僕ならみなさんを守れます」
そう答えると、ブレンダは何かを言いかけて口を閉じた。
「……分かった。お前を信じる。だが、絶対に無茶はするなよ」
「はい。約束します」
街の上空へ到達した僕は、竜たちの動きを見渡した。建物の陰に逃げ込もうとしている人々。倒れた仲間を助けようとする冒険者。必死に子どもを抱えて走る母親。その誰もが、今にも命を失いそうになっていた。
ブレンダを抱いたまま地上へ降り、竜の攻撃が届かない広場にそっと下ろした。
「……ノーラン」
「はい?」
「行くんだな……」
ブレンダの声には、心配と不安がにじんでいた。彼女は僕を見上げたまま、なかなか腕を解こうとしなかった。
「……本当は、行かせたくない」
「ブレンダ……」
「お前がどれほど強くなったのか、さっきの戦いで分かっている。それでも、怖いんだ。またお前が傷つくんじゃないかと考えるだけで、胸が張り裂けそうになる」
彼女は僕の首に回した腕に、少しだけ力を込めた。
「私は、もうお前を失いたくないんだ。お前がいない世界なんて、考えたくもない……」
かすかに震える声を聞いて、僕は彼女を抱く腕に力を込めた。ブレンダも、きっと怖いのだ。かつて仲間を失い、自分だけが生き残ったことを責められた彼女にとって、大切な人を失うことは何よりも恐ろしいのだろう。
「大丈夫ですよ、ブレンダ。僕は帰ってきます。あなたのところへ、必ず」
「……本当だな?」
「はい。約束します」
それでもブレンダは、すぐには僕から離れなかった。しばらく僕の顔を見つめていた彼女は、やがて何かを決意したように背伸びをした。
「……少し、顔を近づけてくれ」
「えっ?」
「いいから。今だけは、私のわがままを聞いてほしい」
言われるままに顔を近づけると、ブレンダは僕の頬にそっと手を添えた。そして、潤んだ瞳で僕を見つめながら、ゆっくりと顔を寄せてきた。
唇が、重なった。
柔らかな感触とともに、ブレンダの温もりが伝わってくる。いつもなら恥ずかしくて何も考えられなくなってしまうのに、今は彼女の気持ちが痛いほど伝わってきて、僕はそっと目を閉じた。
やがて唇が離れると、ブレンダは僕の額に自分の額をこつんと合わせた。
「……約束だ」
「約束、ですか?」
「ああ。必ず帰ってくるという約束だ。もし破ったら……、私は絶対に許さないからな」
そう言いながらも、彼女の目には涙が浮かんでいた。
「……大好きだ、ノーラン。誰よりも、何よりも、お前が大切なんだ。だから、どうか無事でいてくれ」
胸が熱くなった。
僕を必要としてくれる人がいる。僕の帰りを待ってくれる人がいる。そのことが、どれほど嬉しいのか、今の僕にはよく分かる。
「……僕も大好きです、ブレンダ。あなたのところへ、必ず帰ります」
ブレンダは安心したように微笑んだ。
ようやく彼女の腕が緩んだ。
名残惜しさを感じながらも、僕は再び空へ舞い上がった。背中から広がる純白の翼が、陽光を受けて輝く。
「な、なんだ、あれは……?」
「人が空を飛んでいるぞ!」
「背中に、翼が……!」
驚きの声が広がる中、1体のアーマードドラゴンが僕に気づいた。巨大な口を開き、街を焼き尽くした炎を吐き出してくる。
僕は翼を広げた。
金色の光が盾となって炎を受け止め、人々へ届く前にすべてを消し去る。竜が動きを止めた。僕はそのまま竜の目の前まで飛び、静かに告げる。
「もう、誰も傷つけさせません」
金色の光が竜の全身を包み込んだ。
次の瞬間、巨大な身体が宙へ浮かび、街から遠ざかるように吹き飛んでいく。地面に叩きつけることなく、建物にもぶつけないよう、森の奥へと送り返した。
1体目を退けると、残りの竜たちが一斉にこちらを向いた。咆哮が響き渡る。竜たちは獲物を見つけたかのように翼を広げ、次々と空へ舞い上がってきた。
けれど、僕は逃げなかった。
襲いかかってくる竜を光の盾で受け止め、動きを封じ、街から遠ざけていく。炎も爪も、僕には届かない。どれほど数が多くても、僕の翼が生み出す光を突破することはできなかった。
やがて、最後の1体が森の奥へと飛ばされていった。
街を襲っていた竜は、すべていなくなった。
静寂が訪れる。
誰もが、何が起きたのか理解できない様子で空を見上げていた。
「……終わった、のか?」
「竜が……全部、いなくなった……?」
やがて、誰かが震える声で叫んだ。
「神だ……!」
その声をきっかけに、街中から歓声が沸き上がった。
「神様だ! 神様が助けてくださったんだ!」
「白い翼の御方が、竜を退けてくださった!」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
人々が膝をつき、涙を流しながら僕を見上げている。
「か、神様だなんて、そんな……!」
僕は慌てて否定したけれど、誰も聞いてくれなかった。
そのときだった。
「だ、誰か……! 助けてくれぇっ!」
聞き覚えのある声が、崩れた建物の向こうから響いた。
視線を向けると、そこには3人の冒険者が倒れていた。大剣を持ったヴォルクスは腕を負傷し、オラクルは魔力を使い果たした様子で地面に座り込んでいる。メルシーも仲間の傷を治そうとしていたが、疲労のためか、立ち上がることさえ難しそうだった。
そして、その3人の前で、金髪の青年が腰を抜かしていた。
レックス。
僕を追放した、あのレックスだった。
彼の目の前には、まだアーマードドラゴンが1体、倒れた冒険者たちを見下ろしていた。どうやら、あれが本当に最後の個体らしい。
「く、来るな……! 来るなぁっ!」




