第12話 私が守りたかった人
●ブレンダ視点
アーマードドラゴンの爪が、私の剣を弾き飛ばした。
「ぐっ……!」
手のひらが裂け、剣が地面を滑っていく。拾いに行く余裕などなかった。目の前の竜が巨大な口を開き、私を丸ごと飲み込もうと迫ってくる。私は地面を蹴って横へ飛び、間一髪でかわした。直後、竜の顎が地面に食い込み、岩を砕く轟音が響いた。
まともに食らえば、体など簡単に砕かれる。
分かっている。そんなことは、最初から分かっていた。それでも私は立ち止まるわけにはいかなかった。背後には、ノーランが倒れているのだから。
急いで剣を拾う。
「はあっ!」
竜の懐へ潜り込み、鱗の隙間を狙って剣を振るう。刃がわずかに食い込んだものの、致命傷にはほど遠い。竜は不快そうに体を揺らし、私を振り払った。
地面を転がり、全身に激痛が走る。それでも歯を食いしばって立ち上がった。
まだだ。まだ、終わっていない。
「……負けない」
声が震えていた。恐怖のせいか、それとも怒りのせいか、自分でも分からなかった。私は剣を握り直し、竜をにらみつける。
3体のアーマードドラゴン。一対一ならなんとかなるが、三体同時を私1人で相手にできるような魔物ではない。かつて王国騎士団の副団長を務めていた私でさえ、1体を倒すだけで命を懸けなければならない相手だ。それが3体もいる。勝ち目など、どこにもなかった。
それでも、私は剣を振るった。
ノーランを守るために。
ただ、それだけのために。
私は、かつて多くの騎士たちを率いていた。戦場では常に冷静であれと教えられ、仲間を守るために最善の判断を下すことを求められてきた。だから、あのときも命令に従った。これ以上犠牲者を出さないために撤退を選び、生き残った者たちを連れて戦場を離れた。
それなのに、待っていたのは罵倒と裏切りだった。
仲間を見捨てた卑怯者。自分だけ生き残った臆病者。そんな言葉を浴びせられ、私は居場所を失った。
誰も、私の苦しみを分かってくれなかった。
だから、もう二度と誰かを失いたくなかった。次こそは守り抜くと、そう決めたはずだった。
なのに……。
「……くそっ!」
竜の尾が迫り、私は剣を盾にして受け止めた。衝撃で腕がしびれ、骨がきしむ。耐えきれずに吹き飛ばされ、背中から木に激突した。
「かはっ……!」
肺の中の空気が押し出され、息ができなくなる。視界が白く染まった。剣を握る手が震えている。もう、限界が近いことは分かっていた。
私は顔を上げた。ノーランが倒れている。私を守って右半身を失った。
私のせいで、ノーランは……。
彼はいつもそうだった。自分には何もできないと言いながら、私が苦しんでいると放っておけない。怖がりなくせに、傷つくことが分かっていても助けに来る。私が泣いていると、困った顔をしながらそばにいてくれる。
私がどれほど救われたか。彼は知らないだろう。
「……なあ、ノーラン。起きてくれ」
竜が咆哮を上げた。
私は震える足で立ち上がり、再び剣を構える。
「まだ……私は、戦える……!」
腕は上がらず、足はふらつき、息をするだけで胸が痛い。今にも倒れそうだった。それでも、ここで諦めるわけにはいかなかった。
ノーランがいなくなったら、私はどうすればいい?
彼と出会う前の私は、1人で生きていくことに慣れていた。誰にも頼らず、弱さを見せず、どれだけ傷ついても自分の力だけで立ち上がる。そうやって生きていくしかないと思っていた。
けれど、ノーランと出会ってしまった。
頭をなでてもらうことが、こんなにも嬉しいなんて知らなかった。誰かの隣で眠ることが、こんなにも安心できるなんて知らなかった。自分の弱さを受け止めてくれる人がいるだけで、世界がこんなにも温かくなるなんて、知らなかった。
私は彼に甘えるようになった。
そばにいてほしいと願うようになった。
好きだと伝えて、抱きしめて、これからもずっと一緒にいたいと思うようになった。
そして今日、初めての冒険をした。また明日も一緒にいられると信じていた。
それなのに……。
「……嫌だ」
唇が震えた。
「嫌だ……。嫌だ、嫌だ……!」
竜が迫ってくる。私は最後の力を振り絞って剣を振った。しかし刃は鱗に弾かれ、手から滑り落ちた。
直後、竜の爪が私の体を襲った。避けきれなかった。
「がっ……!」
体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。激痛が全身を貫いた。口の中に血の味が広がる。立ち上がろうとしても、腕が動かなかった。
もう、剣を握ることすらできない。
竜の足音が近づいてくる。
「……ノーラン」
動かない彼の姿を見つめていると、胸の奥から何かがこみ上げてきた。
もう、守れないのだ。どれだけ願っても、私には彼を救う力がなかった。心から想う大切な人を守れず失う。今度こそ、自分のすべてを懸けて守りたいと思った人を。
「……ごめん」
涙が頬を伝った。
「お前を守るって、誓ったのに……」
彼はもう、私の声が届かない場所へ行ってしまった。
竜が大きく口を開いた。鋭い牙が並び、喉の奥が暗く見える。私を食らうつもりなのだろう。
逃げなければ。いや、逃げる必要はない。だってもうノーランはいない。せめてノーランの遺体を連れて帰ろうと思ったが、どうせならノーランと同じ場所で死にたい。そうしたら、死んだあとまた会えるかもしれない。
ノーランと、もっと一緒にいたかった。
明日も、明後日も、その先も。彼が私の名前を呼ぶ声を聞いていたかった。彼の手を握って、温かい食事を分け合って、いつか2人で小さな家に住むことだって夢見ていた。
けれど、その未来はもう来ない。
ノーランのいない世界で、私は笑うことさえできないのだから。
「……ノーラン」
最後に、もう一度だけ名前を呼んだ。
「大好きだ」
目を閉じる。
せめて最後は、彼の笑顔を思い出していたかった。
ドゴォォォォォンッ!!
耳をつんざく轟音が響き、凄まじい風が吹き抜けた。私は反射的に目を開けた。目の前にあったはずの竜が、消えていた。
頭も、胴体も、鋭い爪も、硬い鱗も、何も残っていない。最初から存在しなかったかのように、その巨体は跡形もなく消し飛んでいた。
「……え?」
何が起きたのか分からず、呆然とする。
1人の少年が立っていた。純白の翼を背中に広げ、金色の光をまとった少年。風に揺れる白い羽根が、ゆっくりと地面へ舞い落ちる。
その顔を見た瞬間、息が止まった。
「……ノーラン?」
彼は私を見つめ、優しく微笑んだ。
「ブレンダ。大丈夫?」
涙が、あふれた。
「ノーラン……! どうして?」
彼が生きている。私の大好きな人が、目の前にいる。純白の翼を広げた彼は、私に向かってゆっくりと手を伸ばした。
「僕の固有スキル【心の居場所】が覚醒したみたい」
「え?」
思わず聞き返してしまった。固有スキルが覚醒した?
それで、あれほどの傷を負った彼が生き返ったというのか。私には何が起きたのか、まだ理解できなかった。
「大切な人を守りたいって強く願ったとき、その想いが僕自身の力にもなるんだって。傷も全部治ったみたい」
「……本当に、生きてるんだな?」
「うん。ちゃんと生きてるよ、ブレンダ」
彼の優しい声を聞いた瞬間、張り詰めていた心が崩れそうになった。何度も聞きたかった声。もう二度と聞けないと思っていた声。私は彼の名前を呼ぶことさえ、うまくできなかった。
「もう大丈夫。今度は僕が守る番だよ」
彼は穏やかに微笑んだ。
私は震える手を伸ばした。そして、彼の手をつかんだ。




