②
徹を轢いたのは、運転中に突然の病で亡くなった初老の男性だ。封筒からはみ出ていた髪の毛は、まさか、その人のものだというのか。誰が、なぜ、そんなことを。
轢かれて亡くなったなら分かるが、徹は生きている。
パタパタパタパタ、パタパタと足音は迫ってきては遠ざかる。何かの気配も遠ざかっては近づいてくる。音と気配が一致しないので頭がおかしくなりそうだ。
「ふふっ。信じぬからだ。今からは言う通り動け」
この声は聞いたことがない。背中を毛のようなものが撫で、甘い香りがした。これは、彼女の香水の匂いとは違う。同じだと思い込んだけど、明らかに異なる。
ぐるりと周りを見渡したが誰もいない。
「まずは真っ直ぐ。彼岸寺へお行き」
その声は、あまりにも優しく響いた。
彼岸寺。そうだ、今の和尚は霊を祓える人だった。転びそうになりながら走り出す。
「神の手を借りるには徳が足りぬ。残念ねぇ〜。ほうら、あんよあんよ。急いでお行き」
神とはなんだ、自称神で偽物なのかと考えかけるも、それどころではない。
——あんよあんよ
あの夜とは違う、さっきした女性の声が歌うように告げる。軽快に手を叩く音が前でするし、後ろからはパタパタという足音が追いかけてくる。
——じょうずよあんよ
パタパタパタパタ
——ほらほら、頑張りなさい
パタパタパタパタパタ
足音が消えて、刃物の音に変化した。シャキンと噛み付くように迫ってくる。背後で金属が何度も擦れる。
ひやりとした何かが腕に触れたので、思いっきり払った。もう女性の声はしない。
紙袋の紐が切れた。中身が地面に落ち、つい見たら、誰もいないのに箱が潰れた。
「ひっ!」
こんなのもう、勘違いではない。あの夜と同じで、霊がいる。封筒を拾っただけなのに、何か誤解されて怒られている。
女の声は本当に神なのか。なぜ助けてくれない。
彼岸寺の境内に続く参拝道に足を踏み入れると、空気がかなり重たくなった。足まで重い。
境内まであと少しというところで、階段の手前で、何かに足首を掴まれた。氷のような冷たさに悲鳴を上げたが、それはつもりで、声は出なくてえずいた。
ぐっと足を引っ張られたせいで、体が前に倒れた。このままでは顔面が地面に突っ込む。急なことで体は上手く動かない。
すると、ふわふわしたものが顔に触れた。なんだと思ったら、顔が地面にそっとついた。倒れて殴打になるところだったのに、軟着陸というように。
足首は、まだ何かに掴まれている。慌てて体を起こす。すると、目の前を地蔵が横切った。彼岸寺の地蔵墓は、どれも一つ一つが大きめで立派なのに、割れるはずがないのに、足元部分が折れるようにして倒れてきた。
「ぎゃあああああ!」
大絶叫が闇夜を切り裂いた。内側を針で刺されたように耳が痛む。
足首を掴む何かの力が緩まった。幸司は耳を塞ぎながらハイハイのように進んだ。震える体で立ち上がり、階段を駆け上がった。
数段だけの階段を這うように進み、門を抜ける。
すると、門は勝手に閉まった。もう、足音はしないし、刃物の音も。掴まれた左足首にはまだ冷たさが残っていて、汗だくの体の中で、そこだけが自分の体ではないみたいな感覚がする。
「ふふっ」
頭を柔らかで毛のようなものが撫で、甘い香りが漂う。グシャッと何かが後ろに落ちたので、体を竦めながら見ると、紐から離れた引き出物の袋だった。
コロコロと転がってきた飴入りの瓶が靴にぶつかった。
コンッと。




