FOGS(4)
「お腹すいたぁああああああ。」
「ハイハイ、姫様。お疲れ様です。」
ガランとした別邸居住区の食堂に響く小百合の声に、柔らかく答えるジジの声。
「もう今日は、大学の課題も終わったのでしょう?」
「うん。今日のチューターは、定時ちょい過ぎで上がれたし、道も混んでなかったから。課題の来週分を無事、往き帰りの車の中で全部仕上げられたんだ。デジタル提出OKなものは、もう出したし。」
うーんと腕をギュッと突き出して背伸びを思いっきりした小百合は、最近でいうところの「空港系」とか「練習着」の服装。ドア付近で警備の一環として見守る年上のシロから見れば、もはやパジャマ寸前のリラックス着だ。
「よかったですね。今日は、後輩さんの初の補助だったのでしょう?放課後はしなくてもよかったのですか?」
気遣わしげにジジが訪ねる。
「昨日まとめてやったってことで。。。そう連日、放課後ってのもちょっと息苦しいでしょう?後輩二人して今日はさっさと定時で上がって、ご飯行くんだって元気にって去ってったよ。」
腕を回してコキっと肩を鳴らし、小百合が答えた。
「そうですか。ならいいのです。そこの筋肉バカから先に一応聞いてはいたので、こちらでお食事の後、ラウンジに移動してゆっくりしつつ、例のドラマの第一回放送を見れる様に手配をしてますからね。」
「あー、あれかぁ。。。」
件の、恋愛ものの予備校リメイク版である。リメイク版というか、小百合たちには、現代迷惑版でしかない。
「すでにこちらでも内容は確認済みなので、姫様が事細かに見る必要はありません。流しておくので、気になったところが出たらって感じですかね。」
「わかったー。そっか、だから今日、お風呂が先だったんだ?もうシャワー途中で、飢えて飢えてどうしようかと思った。」
「お待たせして、申し訳ないです。」
「いーの。いーの。これでもう、眠くなったらそのままベッドにダイブ可能ってことでしょう?」
「そのままダイブしたら、太りますけどね。」
「言わないでよ!」
イチイチ筋肉筋肉とうるさいなとシロはジジに思いつつも、笑いながらいそいそとお夕飯のテーブルにつく小百合に憂えた様子が見られずほっとする。昨日からそれはもうみっちり濃い出来事が小百合のチューター先で続いていたので、シロ含め別邸の人間はかなり心配していたのだ。
「玉の輿」、「イイトコのお嬢様」。そんな風に嫉妬混じりで昨日呼ばれていたけれど。小百合の日常を羨む人たちの存在をとことん不思議を思う。確かにこの景色だけを見れば、不自由なく使用人に世話をされ高級家具に囲まれた重厚感ある古くからの旧家のお嬢様そのものだ。贅沢に見えるのかもしれない。
けれど、小百合は一人。日常生活で何があっても、小百合の家族が小百合の側にいることは決してない。小さな頃から、ずっと。そもそも、最後に小百合が家族と言葉を交わしたのはいつなのだろうか。かろうじて父親が業務連絡を出しているくらいだろうか。公に知られてはいないが、母親に至っては小百合の存在を実際に「覚えていない」。当然、親に抱きしめられた記憶なんて小百合にはないだろう。受験時は、通帳に受験料やら入学金やらに使うようにと、まとまった金額が生活費に上乗せされて振りこまれて終わり。合格したら、まさかの祝電と、お祝い金が振り込まれて終わり。他人行儀と表現するだけでは足りない、斜め上の他人の対応だった。それが小百合の「保護者」との関係であり、血の繋がった家族関係だなんて、日頃のチューターぶりから、誰が想像できるだろうか。
それでも小百合がグレたり性格がねじ曲がったりすることなく担当する生徒たちに愛情たっぷりに接せるほど真っ直ぐに育ったのは、ひとえに中学生の時に偶然知り合ったケイトたちと、チューターで担当する生徒たちの直向きな視線による奇跡のおかげでしかない。チューター1年時に色々と揉めて荒れた際に、チューターを辞めさせる家庭内圧力に屈せず別邸のスタッフが一丸となって争ってよかったとしみじみ思う。そして、小百合に拾われた恩を返せればと、せめて自分たちが小百合の家族でありたいともシロたちは思う。
「ジジ!!今日はなんか、結構、お夕飯軽め??お腹すいてるって言ったのに!!」
運ばれてきたお皿が精進料理の様にあっさりとしており、且つ小さいポーションなのが気に入らないのか、横で食事をともにしてるジジへ小百合が口を尖らせた。
「今日は種類で勝負の日です。最後はもう要らないってくらい、いろんな味が楽しめますよ。姫様は昨日のお夕飯からロクにお食事を口にしていないでしょう?あれほど飲んでも食べなさいと言っているのに、お酒多めになっちゃって。なので、今夜は重いものは避けてあるんです。」
「あ、はい、すみません。でも、あの場にいたシロは別にいつもみたいに横槍のオーダー入れなかったじゃん。」
ジジの軽いお説教に小百合が珍しくモゴモゴと口答えしている。ジジのお叱りのトバッチリを避けるため、シロは先に口を出した。
「え、姫さん。俺かよ?あの場で俺が甲斐甲斐しくオーダーを裏で入れたら、変だろうが。」
「そうかなぁ。」
「元アイドル講師が、お財布気にしつつ誰がどのオーダーか、結構きっちり見てたぞ。ほら、昨日のことはもういいから、食った食った。ラウンジでまったりすんだろ?とっておきの秘蔵酒、ジジが気前よく開けてくれるかもよ?」
「ちょっと!!そこの真っ黒ワンコは余計なこと言わないでください。」
そんなこんなでささやかなお夕飯は、ジジの予想通り、「もう、、、無理。。。これ以上、胃に入らない。。。」とお腹をさすって小百合が降参。調理スタッフが勝利の宣言をして終了した。
そのまま3人はラウンジ室へと移動する。赤々と燃える大きなスマート暖炉に、真っ白なエコファーの敷物が置かれやゆったりとしたカウチ。敢えて裸足になりたくなるほど、絨毯もフッカフカだ。低い紫檀のテーブルには小百合の大好きなチーズの盛り合わせにデザートワインのペアがしっかり用意されていた。調理部も、相当に今日は小百合を甘やかしたいらしい。寝そべることができるカウチで、もはや小百合は身内しかいないことをいいことに、「別腹!」の意味不明な歓喜の舞を踊りだす。
さすがにジジに注意され、落ち着きを取り戻してカウチに座り直し、ジジと小百合で軽く乾杯。早速、飲むペースが早いのを咎められ、「飲むだけじゃなくて、チーズもお腹に入れなさい」とジジに嗜められている様子は、もはや母娘のようでもある。ジジは歴とした成人男性だけど。シロはもちろん、素面で待機。なお、録画されていた件のドラマが倍速で勝手に流されているが、店内BGMくらいのレベルで小百合は気にしていない。
「あれ?その冊子、わざわざ持って帰ったのですか?」
シロがポンっとテーブルに投げ出していた冊子をジジが指差し、小百合に問うた。
「あ、冬期講習の冊子?今日から持ち出し解禁だからさ、今日やっと貰えたんだ。ほら、いつものヤツ、、、生徒向けの参考プラン作んなきゃだし。」
「そんなの、PDFで見ればいいでしょうに。相変わらず、毎回、こんなに紙媒体ばかりで・・・。」
不思議そうにジジが首を傾げる。
「そうなんだけど。ESGってなんだっけっていつも思うんだけど。うちさ、全部PC機器類が米国キーボード設定じゃん?」
「はい。」
「必要ないのに、全部勝手に英語に翻訳されちゃうの。」
「あー。」
あれは面倒ですよね、と納得した様子でジジが頷く。小百合は、本当に面倒なのよ、と言葉を続けた。
「Show Original(原文を表示)とかしても、頑固に微妙な英語のままじゃん。正しい講座名もわかんないし、講座内容も何が言いたいのかわかんないしで、かなりカオスで。受験用語って、結構、一般用語じゃないんだなってあの英訳を読むと思う。参考プラン作成が面倒だってことで割り切ってAIに頑張って貰うなら、気にせず敢えてのPDFをAIに丸ごと打ち込むって手もあるんだろうけれど。多分、スケジュールと講師名とか複雑怪奇でAIが混乱して無理だと思うし。AIに出す正しい指示方法を考える時間あったら、プラン作っちゃった方が早い。」
「正直、素人にあの冊子は混みいってる気がします、特に情報が。よくあれで、みなさん難なく申し込まれている。このAI時代に昔からの図表のままなのは、改善する気がないからなのか、どうにもこれがベストだからなのかは、気になるところです。あ、だから、姫様は高卒クラス在籍時、あんなに講習会の冊子を読み込んでいたんですか?」
「え。。。」
小百合が、いたずらを見つかった悪ガキのようにたじろいた。
「え?違うんですか?」
「もう時効だし、いいかなぁ。。」
うーんと唸った後、バツが悪そうに小百合が白状した。
「いやぁ。。。高卒クラスって、ゴシップに飢えてるわけじゃない?」
前後のつながりがない話始めに、ジジにもシロにもこの後の会話の流れが読めない。
「このスケジュール表がさ、、、その、、、格好の妄想ネタになるの。」
どうやって?という顔で二人が小百合を見る。
「例えば。。。。私たちが生徒の時に一番盛り上がってたのが、、、ほら、この先生、講習が午前だけじゃない?どの講座も、どの校舎でも全部午前の部だけ出講してる。」
「そうですね。」
冊子の校舎スケジュール表の中から瞬時に目当てのものを探しだす小百合は、さすがと言うべきなのか否か。
「で、、、これが妄想1つ目で、、、この先生はパートナーを大事にしたい派で、奥さんとか彼女にゆっくり朝は寝て休んでもらって、お昼からは後はずっと一緒にくっついてイチャイチャ熱く過ごしたい説。」
「え、うぜェ。」
シロが小百合がいい終わるのを待たず、かぶせるように呟いた。
「ちょっと、私に言わないでよ。クラスの女子はそれ聞いて軒並みドン引きだったんだから。男子が勝手に講師の先生を羨んで異常に盛り上がってたわ。夜がきっと激しく大変なんだねとか言って。」
「姫様、さすがにちょっと下品では。」
ジジが非難轟々の目で小百合を見た。
「ジジまで!!だから、言い出したのは私じゃないってば。文句あるなら当時18、9歳だったクラスの男子たちに言ってよ。まぁ、彼らなんて、頭の中、そんなもんでしょう。特に冬期講習は、人類の発情期を挟むんだから。」
「だから下品だと言ったでしょう。。。」
咎めるジジに、お酒で舌が滑らかになってるせいでもないからね!と小百合が舌を出してベェっと抗議した。
「妄想2つ目。この先生はきっといいパパで、冬休み期間、できるだけお家でお子さんの面倒を見るんだね説。この説は女子の憧れのパートナー像もあって支持は高かったんだけど。」
「ほぉ?」
真っ当なことも考えられんだ?というシロに、小百合は包み隠さず披露した。
「これは、、、実はすでにウチの紅一点にこっそり聞いてみて、当時がっつり否定されちゃったんだ。いいパパならいっそ家にいないでくれご飯の用意が面倒とか、子供が昼寝する時間に仕事してこいとか、朝晩が戦場なんだから朝早くと夜遅くに仕事とかマジありえん、とか。」
「姐さんの意見、わりかし現実路線だな。で、結局、真相は?」
「知らない。誰か猛者が今年こそはこの先生に聞いてくれないかなって期待してる。今持って私も知りたい。」
誰か聞いてくれたらいいのに、とこればかりは皆で他力本願なのだ。だって、うっかり聞いて講師の先生に気分を害された日には、目も当てられないではないか。受験の味方であるはずの講師を敵に回して、良いことなんて1つもない。
他には?とシロが面白そうに小百合を促す。
「で、、、あ、、、あったあった。この先生。いつも夜の部だけを受け持っているの。夜の部って授業終わるのが毎回、21時近くよ?質問に答えたりしていたら、大体21時半。そもそも夜遅いと、講座数も職員も少ないの。そう、めちゃめちゃ悪い言い方すると、ガードが緩くなる。」
ジジがじっと講師名を注視している。恐らく、警戒用ブラックリスト入りだ。
「で、授業終わりに、大学生の子たちが結構、遊びに来る。うん、そう。めっちゃ手癖が悪くて女子チューターと女子職員の中では悪名高い。けど、この業界、まだ男性講師や男性職員の方が圧倒的に人数多くて、ぶっちゃけボーイズクラブの色があるじゃん?だから、女子のこの声は抹殺されて問題になったことはない。イヤなヤツ。」
いろんな意味でね、、と吐き捨てるように小百合が言った。
「後は、、、、恐らくまだ、、この先生は、、、うんやっぱり。ほら、異常なほどランダム。幅広く、どの校舎でもどの講座でも。見て見て、地方でも出てる。比較的、ハイレベル系クラスで。当時はお仕事好きなんだなと思ってたんだけど、、、チューターになって知ったわ。ただ、若手でこき使われてるだけ。」
冊子から顔をあげないまま、小百合が続ける。もはや呆れ気味のシロの視線には全く気付いていない。
「後はこの先生とこの先生が夫婦で、、、ほら。絶対に校舎で鉢合わせしない、とか。この先生、元カノがここにいたらしくて、、、、この校舎に出講しなくなっちゃったとか。この先生、子供命で絶対にクリスマスは仕事しないはずで、、、ほら、やっぱり今年も、出ないね。」
「よくもまぁ、このスケジュール表1つでそこまで話が膨らみますね?」
ジジが呆れたように感想を述べた。
「お兄さんお姉さんが在籍してましたって人からネタって継承するし。職員と仲良くなってどうでもいいゴシップ聞きつけてくる男子とかいるし。後はやっぱり、実際に見ちゃったってのもあるらしいし。で、まぁ、こんなくだらないネタで、日頃の鬱憤晴らすわけ。口頭ベースの内輪ネタで、誰に迷惑かけるわけでもないしね。さすがにSNSに書いたりしないから。昔は、掲示板とかにバーンと出たこともあるらしいけど、掲示板ごと潰れたじゃん。まぁ、ちょっとした娯楽ってヤツかなぁ。遠くの誰かのネタより、身近だから格段に盛り上がっちゃうんだよね。でも、生徒だってちゃんと立場、弁えてるからね?だって、水島先生のゴシップとか絶対に誰も話そうとも思わないわけじゃん。畏れ多い神様級の絶対的に評価の高い先生には、ネタを考えもしないもの。相対的になんとなく名前が知れた先生が一番ターゲットになりやすいかも。講師の先生方もネタにされないためには、適度に自分のプライベートな情報を公開するか、めっちゃ生徒から尊敬されたらいいんだよ。」
それって責任転嫁では?と思わなくもないが、ジジはあえて口にしなかった。
「あ。ニシタチさん、今年、クリスマス周辺は一切出講なしなんだね。そういえば、女子職員さんが、ガッカリしてたっけ。」
「ただの偶然らしいですけど。助かったって言ってましたよ。」
「まぁ、このドラマで煽られて夢を持たれても困るしね。今のところ、ドラマに気になる展開はないかなぁ。恐らくどこかの専門学校でロケの一部やってるなー、カフェが綺麗でいいなーとか。教室の雰囲気的には、山葉塾っぽいかな?くらいだよ。」
ん、と小百合が画面に食いついた。
「あー。これ、うざい。校舎の裏口で講師の出待ちとか、本当、煽るのやめて。」
シロが画面に目を向ける。件のドラマの聖女役が講師に話しかけるため、裏口で健気に待つシーンが放映されていた。
「裏口使う先生、意外と多いんだよね。何のための裏口なんだか。やーだなぁ。出待ちとか、増えるのかなぁ。」
小百合が毒づいた。




