FOGS(2)
「りっちゃん、今日は何についてトークタイムするの?」
ガヤガヤと土曜特有のツッコミ満載な打ち合わせが終わり、一息ついたところで律が尋ねた。その視線の先には、小さいけれど分厚い冊子の山がある。
「ちゃんと、生徒対応の姿勢を僕とりっちゃんとで合わせたいです。」
無造作に積まれた冊子の山が大きく主張するのは、「冬」の文字。
「おー。律は真面目だなぁ。ありがとう、実はそう言う気持ちが本当に助かるの。そうね、今日はしょうがないから、、、、、冬期講習についてかなぁ。。。あーあ。」
至極残念そうに答えた小百合に、チューターのデスクからは少し離れた職員のデスクに戻っていた夏観が、そのまま席を離れずに声をかけた。
「おい、こら。しょうがないとか言わないの。冬期講習、担当の生徒たちにはしっかり受講してもらってくれないと。受講プッシュ、きちんと頼むよ。」
返事の代わりにニコっと笑った小百合の顔には「イヤですよー」とガッツリ書いてあった。
「あのさ、、、りっちゃんのクラス、ただでさえ講習会の一人当たりの生徒が取る授業の数、結構低いんだから。」
夏観の嫌味にも、小百合はニコっと笑って終わり。気にもしていない。講習会の受講率云々を拒否してしまえるのは、受講率に査定とががないアルバイトの特権なことをわかっていての、敢えての対応だ。本当に困るんだよ、とぐちぐち続ける夏観をスルーして、律が小百合に向き直る。
「そういえば、りっちゃん。僕らにも、あんまり講習会を推しませんでしたね。」
「あんまり?」
「いえ。おそらく、チューターでイチバン、夏も冬も講習会で数を取ることを勧めていないと思います。」
良くできましたとばかりに、小百合が柔らかく笑った。
「今年ももちろん、同じスタンスで行くからね。私が昨年、律たちに話していたこと、うっすらでもいいから覚えてるよね?」
「はい。ちゃんときっちり覚えてます。」
力強く頷く律を、歩夢が羨ましそうに眺めている。
「ヨシ。じゃぁ、頑張ってこの冊子の山、1限前に全生徒の数、持っていこうか。トークタイムはフルに使いたいから、こんなのはちゃっちゃと配っちゃおう。もう、座席に勝手に全部配っちゃうのでいいよ。」
「はい。ありがとうございます。それにしても、、、やっぱり早いですよね。9月のこの今の時点で、冬期講習とか。」
必要な冊子の数を数えながら、律が生徒時代からの感想をこぼす。
「ほーんと。毎回、私も思う。一般より1ヶ月弱早い案内と申込みっていう特典だったとしても、やっぱりびびるよね。ただ、、、まぁねぇ、特に冬期は人気講座で早々に締め切りが出ちゃうから、早い対応が大事っちゃ大事なんだけど。」
苦笑いしつつ小百合がタブレットとパンフレットの1山を持ち、律が3山くらい持って小百合に続いた。
細かな指示がなくてもお互いに意思疎通を図って教室に向けて教務室を出発した2人に、歩夢が複雑な視線を向けていることに目ざとく気づいた暁史が小声で尋ねる。
「羨ましい?」
「はい。」
二人の背中から視線を外さないまま、歩夢が頷く。
「どこが?」
「小百合さんが全てを言わなくても、きちんと律が理解しているところです。」
「あ、そっち?」
「え?」
「いや、小百合からチューターのアドバイス貰える点が羨ましいのかなって思って。」
何言ってんですか、心外ですと歩夢の顔が不満げに歪む。
「小百合さんのチューターのアドバイスなんて真面目に受け取ったら、自分のできなさだけが浮き彫りになって、悔しさと恥ずかしさで速攻で自分の存在を消滅させてしまいます。そんな自分の手に余る『取り扱い危険物』、望みません。」
「否定はしないな。」
「羨ましいなと思ったのは、、、チューターの言ったことをきちんと覚えている生徒、の構図も。生徒がチューターの言うことを覚えていると信じて疑わない構図も。小百合さんの補助チューターが、元生徒にしか務まらない理由がわかっちゃうところも。」
「そうな。担当クラスの元生徒じゃないと、補助チューターなんて要らんから給料その分を私によこせって小百合が教務に主張して終わりだろうな。」
「はい。入る隙間は、全くないんです。。。」
暁史がぽんっと優しく歩夢の方を叩いた。
「毎年、あの位置を巡って熾烈な争いがあるぞ?今年も元生徒たちの相当数が採用試験で落ちているし、2年生でもう一回チャンスが欲しいって採用試験を受けにきた元生徒もいたって聞いた。それに、今の2年にも今年の1年にも何人か小百合のところの元生徒がいるけど、今のところ律しかあの位置にはいない。あそこにたどり着くまでに、律がどれほど生徒の時から努力して、チューターになってからは必死で小百合と一緒に仕事したと思う?」
「あ。。。」
歩夢の中で、グッと合点が入った。
「来年の争いはもっと大変になると思う。律もあのままじゃ今年であの位置は終わり。小百合は何度も同じ人間に情でチャンスを与えるほど、優しくはない。今の1、2年で努力してるチューターたちだって諦めていないし、今年度は高卒クラス含めかなり熱狂な生徒が増えてるから。」
ふと、昨日の騒動を歩夢は思い出す。全てを見聞きしたわけではないけれど、何となく佳哉とケイトの会話から、何が起きたのか察せることはできた。小百合が珍しく放課後で酔いを見せるほど飲んでいたのも、きっとそのせいだろう。ただ、そんなことがあっても、今日もごく自然に小百合は今年の高卒クラスの生徒にも分け隔てなく接していた。生徒たちが嬉しそうにキラキラとした目で、小百合に必死に話しかける姿が何故か眩しかったほど。
「歩夢は歩夢。律は律。小百合のクラスの元生徒じゃないから見える景色がある。自分にないものを嘆いて囚われることで、本来自分がすべき努力の方向を間違えない方がいい。」
「はい。」
もう一度、暁史は歩夢の肩をポンポンっと叩く。しっかり暁史の目を見つめ返した歩夢から、迷いや嫉妬は消えていた。
「じゃぁ。俺らも教室に上がろう。この冊子の山は、今日から配布だから。他曜日ではまだ誰も配ってないからね。生徒の誰が既に持っているかとか気にせず、小百合のところみたいに、もう全員に先に配っちゃえばいいから、楽といえば楽なはず。」
「はい。」
では、と教室に上がろうとした歩夢に、、、あ、と思い出したように、暁史が声をワントーン下げて付け加えた。
「ちなみに、なんだけど。小百合のあの『講習は別に受けなくてもいいよ』って公言しちゃう方針は、絶っ対に真似すんな。あいつは超ド級に異常な『顧客満足度』をこの校舎にもたらしているから、一部から苦々しく思われながらも見逃されているけど、他のチューターが同じことしたらやっぱり評価は下がる。すぐにクビになったりはしないけど、来年、余剰人員が出るなら契約を更新しないチューターの候補になるくらいには。」
「え?」
チューターの業務でもそう言うことに特に興味がなさそうな暁史からの、意外な一言で歩夢が固まる。
「だから、夏観さんも、ああやって大声で注意して見せただろう?ある意味、俺たちを守るためのパフォーマンスだよな。その、、、あんまり大きな声で言いたくないけれど、、、他の校舎では実際、俺たちチューターにいい思いを抱いていない校舎長も結構いるらしいんだ。一部の校舎では実際に一時期、チューターの大量解雇とか起きてる。」
「なんで。。。」
唖然とした歩夢に、そうだよなと頷きながら暁史が続ける。
「生徒の経験があれば、高卒クラスの担当職員と全く違う高校生クラスのチューターの存在の有無の重要性って、分かるんだけど。多分、ないだろうし。そうするとさ、他業種では、情報漏洩だけじゃなくてアホな学生によるバイトテロのニュースも多い昨今、いろんなリスクを考えたらチューターはただのコストでいない方がマシとかいう発想になるんじゃないの。小百合みたいに生徒にかなりの影響力があるチューターや、講習会取得推進とかの予備校としての営業活動に熱心でないチューターとかは、いわゆるウエの立場の人間が自分の影響力を誇示したい場合はただの目障りになるだろうし。まぁ、職員よりかはチューターの方が皆ずっと学歴も上だし、学歴をつける戦いを挑ませる場では、扱い難い存在なのは否定できないしね。」
辛辣な暁史の物言いに、歩夢が呆気にとられる。
「歩夢は、線引きを見誤るなよ。」
それは、歩夢に対しての言葉のようで、それでいてどこか、もっと別の意味を含んでいるようで。
「はい。」
先に教室に上がるために歩き出した暁史の背中に歩夢は返事をしながらも、得体の知れない何かが這い上がってくる感覚に包まれた。先輩たちは、一体、何と対峙しているんだろう。先ほどケイトがさらっと放った「いつか必要になる」の意味が、突然、歩夢の頭を過ぎる。
「おーい。歩夢はまだ教室に上がらないの?」
「あ、今行きます!」
夏観に急かされ、歩夢は考えを一旦忘れ、自分のチューター業務に専念することにした。
だって、この場所で沸いた不安を一人で抱える必要はないはずだ。聞けばいい。それを教えてくれたのは、チューターの先輩方だったから。自分で考えるべきならば、そう言われるだろう。その甘えを許してくれる限られた時間が、この場所なのだから。
今やるべきことは、自分の目の前の生徒の、その導き役になることだ。パンっと頬を軽く両手で挟んで気合を入れ直すと、冬期講習の案内冊子の重い山を生徒の人数分抱えて、歩夢は今度こそ迷うことなく自分の担当生徒が待つ教室へと足を進めた。




