FOGS(1)
「あれ?小百合はもう教室に上がってんの?」
土曜日の昼。いつもように就業時間ギリギリで脱兎の如く教務室にスライディングで駆け込んだ暁史は、教務室のチューターの待機するデスクに既にあれこれ資料が広がった様子を見て、呟く。
「はい。生徒対応したいとかで。律も一緒に上がっています。打ち合わせ時間には、こちらに戻るそうです。」
息も絶え絶えな暁史に、打ち合わせの事前準備に勤しんでいた歩夢が応えた。
「そっか。今日から、律もか。」
「はい。」
「賑やかになるね。」
「はい。」
それだけを言うと、ふいっとロッカーへ荷物を預けに行ってしまった暁史へ、歩夢がそっとため息を落としたことに、暁史は気づかない。
「先輩、結局昨日は、放課後にいらっしゃいませんでしたね。。。」
誰も聞くことのなかったであろうはずの呟き。
「んー?元から付き合いがいい方じゃないからねぇ?アキフミは。」
背後から突然、するはずのない声がして飛び退く。
「ケイトさん?!」
「ごめんごめん。驚かせた?何って、、、忘れ物したでしょ、キミが。」
「あ、すみません。」
昨日の放課後の帰り際、歩夢はお喋りに夢中になってうっかりお店のエントランスのカウチにジャケットを忘れてしまい、ケイトから連絡をもらっていたのだ。
「いいの、いいの。気にしないで。ある意味、このためのサブ・リーダーみたいなもんだから。それに、楽しかったって証拠でしょ?」
「はい。楽しかったです。」
ケイトのさりげない気遣いを見習いたいなと歩夢は素直に思う。
「あとね、アキ様は結局は王子様なの。滅多に放課後とかに出てこないから。」
「そうなんですか?」
「今年の頭から、3年のリーダーの年だしってことでだいぶ顔を出してくれてはいたけどね。ある意味、出席がレアだったの。ここ最近はちょっと、事前に来る来ないの正確な連絡くらいしろとは思わないでもないけどね。」
教務室で肩を竦めるケイトに、校舎エントランス付近で雑談していた高卒クラスの生徒の視線がいつの間にか集まっている。暁史を王子様と揶揄するけれど、ケイトの美貌はその上をいく。容姿で注目を集めてしまう大変さについて、西橘とケイトが昨夜何やら話し混んでいたが、いつだって視線が鬱陶しいだろうに、慣れているのか歯牙にも掛けないのがすごい。
歩夢がチラッとロッカーを見やれば、暁史がまだ、出てくる気配がない。もう少し大丈夫かなと判断し、歩夢は聞きたかった話を聞いてみようと言葉を続けた。
「あの、、、昨日の後半、結構、皆打ち解けてたように思うんですけど。なんで、その、、、。」
「新しい参加者を拒むかって?」
遠慮がちに言い淀んだ律に、ケイトがさくっと直球で返す。
「はい。」
「あー・・・・。」
ケイトがどう答えようかなと思案したのは一瞬。ストンと開いた席に自然に腰を下ろすと、口を開いた。
「あれねぇ。。。私たちがまだチューターの1年生の時、色々あったの。1つ目、アキ様に熱をあげたチューターの先輩が、彼に無許可で複数枚写真取って所持。それを見て、物珍しさでいろんなお友達枠のお姉様が放課後に参加。もちろん、チューターにも予備校にも全く関係な人たちね。」
「気持ちわる。。。」
うえっとした表情の歩夢に、ケイトも頷く。
「うん、気持ち悪い話よね。2つ目、小百合の逆玉の輿を目指して、チューターの先輩の大学のお友達やら、先輩のさらに先輩方が事前の連絡なく放課後に参加。なぜか後輩たちは接待状態。結構、参加者が毎回カオスな状況に。」
「え。。。最低。。。」。
今度は、歩夢が心から軽蔑した顔をする
「そうね、最低だったわ。3つ目、私のこの顔目当てで、チューターの先輩のお友達が誰かしら毎回参加。大変うざく絡んだ上に、集合写真とやらを強制的に撮って、加工してややグレーな使い方。ネット上に晒されなかっただけ、マシだけど。晒されてたら、リベンジ・ポルノみたいな使い方されたと思うから。」
「そんな。。。もうそれは犯罪じゃ、、、?」
淡々と他人事のように語るケイトから、逆に底知れない怒りを歩夢は感じた。
「この顔でいろんな面倒が起きるとか、慣れちゃってて、麻痺しちゃってた私も悪かったんだけどね。誰にも相談できずに時間経っちゃって、もう私個人にはどうにも出来なくて、後は警察にするしかないかなってとこで。放課後の場でね、それを知った佳哉が盗撮を仕掛けた先輩のオトモダチに文字通り、掴みかかったの。」
「あの佳哉さんが?」
「そう。掴みかかった佳哉も悪い。けど、、、先輩方は先輩方でお互いに庇いあってなぁなぁにしようとするだけだった。で、突き飛ばされ返した佳哉が逆に空気読めない生意気な1年、みたいな雰囲気になっちゃって。挙句、先輩のその男友達集団が『その顔は、男を悦ばすためにあるもんだろ』って。」
「は。。。????」
歩夢は驚きの余りに、二の句が継げなくなった。このご時世に、しかも自分に近しい世代で、まだそんなことを言う人間がいるなんて信じられない。
「その場で、小百合が静かーに私と佳哉を連れて強引に帰宅。以降、3人は出勤も退勤も時間きっかり、小百合の家から常に護衛が待機。もちろん、放課後参加なし。」
「。。。」
「ちなみに数週間後、私に絡んだ先輩の件のお友達集団は暴行罪で捕まって、メディアで実名報道されてるからね。」
「え?」
「もともと、グレーなことを平気でできる経験が充分にあったってことね。まぁ、色々と手慣れてたもんね。」
遠い目をしたケイトに、歩夢はふと湧いた疑問を口にした。
「しかし、ずいぶんタイミングよく捕まったんですね、その人たち。」
「そうね、けど、細かいことは気にしないでいいのよ。知らない方がいいこともあるから。」
「はい。」
ケイトの優しい微笑みに含まれる何かを感じとり、なぜか歩夢の背筋に冷たいものが通った。
「結局、逮捕されるような友達を参加させていた事実を知った保護者が問題視しちゃって。次の代のリーダーになるまで、少なくとも私たちの代は誰も放課後に参加できなくなったのよね。そもそも放課後ごと潰そうって流れも出ちゃって。そのせいでか、佳哉が放課後の雰囲気を壊すのを企んだとかで『権謀』、小百合が実行した『狂気』、私はそんな二人をこの顔で従えている『支配』、全てきっのかけになった女心を弄んだとかで暁史が『(黒)魔術』って呼ばれ出して。『四天王』の大元はここだから、佳哉が嫌がるの。最近はやっと、大元のこっちも口に出すようにはなったけど。だって、ただの先輩方の責任転嫁の話でしょ。」
フウとため息をついて、ケイトが再びロッカーを見る。暁史がまだ、出てこない。
「本来は、放課後は楽しい場だし、年齢や所属に関係なく交流して色んな話ができる場なのにね。こんな風に交流できるのも、今だけの貴重な場だから。どうしても守りたくて、安心して参加してほしくて、佳哉の今年の代は、ガチガチにルールで固めてあるの。参加希望者が講師とか社会人とか学生とか全く関係なく、この校舎でのチューターの職にある人以外は基本的にお断り。」
さて、とケイトが立ち上がる。
「後輩たちは恐らく誰も聞いてない話だけど、小百合と働くなら恐らくいつか必要になるから、話しておいたわ。なので、この話は他のコたちには黙っていること。いいわね?さ、もうすぐ打ち合わせの時間でしょ。小百合が戻ってきたら、よろしく言っておいて。」
「あ、はい。」
「それと、ちゃんと小百合に口頭でもお礼すんのよ。だいぶ小百合の好意に甘えて、おんぶに抱っこさせて貰ったんだから、昨日のお会計。」
「はい。」
しっかり頷いた歩夢に、ケイトが付け加えた。
「あ、土曜は、補講で出勤が重なる可能性もあるのか。先生方には、佳哉からちゃんとお礼のご連絡してるから、強引に言わなくても大丈夫。もしどこかで自然と会話できそうな機会があったら、どんなに時間が経過していても、『先日は』って言ってお礼しなさいね。じゃ、また。」
ケイトは歩夢に必要なアドバイスだけすると、さっと姿を消してしまった。同時に、まるでタイミングを見計ったかのように、暁史がデスクに座る。その様子を眺めながら、歩夢は少しだけ思いにふける。
「四天王」と2年生の先輩方は、3年生の4人のチューターのことを騒ぐけれど。正直、歩夢には「四天王」と言う感じがしっくりこなかったのだ。何かが違うけれど、何が違うのかわからない、ちょっとしたモヤモヤが気持ち悪い感じ。今日のケイトの話で何かが掴めそうだったけれど、まだ何か足りない気がする。
「あら?歩夢が眉間にシワを寄せてるわ?」
いつの間にか戻ってきていた小百合のふざけた一言に、渦巻いていた何かが全部持っていかれた。
「あ、小百合さん。昨日はありがとうございました。」
「いぃえぇ、どういたしまして?また、一緒に遊ぼうね。」
ぴったりと小百合の後ろに当然のような顔をしてくっ付いていた律をなんとなく疎ましく思ってしまった歩夢も、屈託なく「次」の可能性を約束してくれる小百合に、ほわっと心が温かくなる。
「さ、打ち合わせしよう!夏観さん、忙しそうだし。昨日、打ち合わせしっかり聞いてチートしてるから、今日の打ち合わせはりっちゃんが全部できちゃうぞ!」
「おーい。りっちゃん、流石にそれはダメ。おし、始めるか。今日から律も土曜チューターだしな。自己紹介するか?」
「いらなぁい!律のことは知ってるもーん。」
「りっちゃんはね、自分の担当生徒だっただろうけど。他はそうでもないだろ?え?要らない??」
場を明るくする小百合の一言に、笑いながら夏観がダメ出しし、改めて打ち合わせが始まる。変わらない土曜日のチューター昼シフト。けれど、少しずつ何かが変わっていく。変わるのは、人なのか、環境なのか。そして変わらないものもまた、人なのか、環境なのか。




