相対性理論(9)
みゅうの呼びかけに応えず、テーブルに突っ伏したままクルクルとワイングラスを回して人の話を聞いていないような素振りを見せている小百合を見て、仁が空気を少しでも明るくするように言葉を重ねる。
「まぁ、そこのりっちゃんの頭がややオカシイのは今に始まったことではないですけど?」
小百合が顔だけをパッとあげて仁を見据えると、グラスを持っている方とは別の腕に顎を乗せたまま首をわずかに左へかしげる。大変にお行儀が悪いので普段なら監督係のケイトが注意しそうだが、小百合の今日の軽い装いと合わせるとなんとも言えない可愛い雰囲気に仕上がっていて、ケイトも特段、何も言わずにいた。
「えー?オカシクないよー?微積は数式も綺麗だし、図式化された回答結果もすごく綺麗だし。使われ方も美しいと言うか、身近で納得性高いと思うんだけどなぁ?」
「使われ方、ですか?」
横に並んでいた律が、小百合の気が変わらないうちにと話題を続けさせる。
「うん、ジェットコースターのあの曲芸みたいな角度とかさ。ツイのトレンド観測とか、ゲームのラケット型のコントローラーの指示とか。建築学科の律なら、建物の材料比率とかになるんじゃないのかなぁ?」
ところが、あまりにざっとした小百合の回答に、しまった、、、次の会話が続かない、、、とその律が唸ってしまう。
ニコニコと会話の行方を見守っていた西橘が、ここは数学担当が出るかなとばかりにフォローに入った。
「普通は、悲しいけど、、、数式が美しいとか言い出す人がいたら『うーん?』な反応になると思う。小百合ちゃんは大学での数学専攻とかじゃないだろ?高校までの数学の範囲で、その数学がその後の毎日に『どう使われるか』、その様子が『美しい』、そんな発想になるのは確かにレアだと思う。その教科を教えている身としては、正直、嬉しいけど。」
「あれぇ?ニシタチさんの授業では『どうやって使われているのか』とか、授業の雑談でしないの?私は、まさにここの予備校で、、どの先生か忘れちゃったんだけど、、雑談の端で話してくれて。。。確か、微積がGPSの位置のズレの調整の計算の応用だとかだったかなぁ。。。面白いなぁと思って、その後、自分に可能な範囲で調べたりしたんだ。」
小百合の言葉から西橘への敬語が抜けてしまっていることに気づいたケイトが、果たして注意すべきか迷いながら、会話の行方を追う。
「授業の内容とかレベルによるかなー。後は、正直、授業時間内の生徒の反応次第。自分で調べるとこまで行けば、もう、立派な大学生範囲になってくる気もするけど。」
講師の顔のまま、西橘が特に気にせずにスルッと答えた。
「えぇ。。。雑談じゃなくても、、、普通に微積の問題を解く過程で、こう、ささっとフリーハンドで書かれたグラフとかも、すごい綺麗だったんだけど。」
「それこそ、授業でそんな風に思ってくれる生徒がいれば本望だけど。やっぱり希少だと思う。普通は公式が先だし。結果的に微積分の公式を高校の教科書で読んで挫折しがちな生徒も多いしね。」
「もったいない。。。」
「うん、もったいないよね。」
「じゃぁさ、微積を避けるような心理状態の子が多いと仮定して。どうやって高校の物理の問題って解くの?さっきも教務室で話題にしたんだけど誰も答えてくれなくて。あ、微積が無理な子は、もう物理ごと勉強しない方向?けど、物理やんないと、それこそAIも金融も発展が不可能じゃない?え、もしや、そのせいで日本からそれ系のグローバルな新興企業が出ないの?」
西橘が「話題が物理に向かい出したぞ、俺に答えさせんな」と視線で佳哉に訴えた。
「相変わらず、小百合は発想が飛ぶよな。最新の先端科学技術系が、数学と物理メインの宇宙工学を避けて通れないって話を先にチューターにしてから話題を飛ばせっての。あのね、一応、皆に伝えようとめちゃくちゃ乱暴にざっくりいえば、世界の宇宙工学系に本来進むはずだった数学や物理系の超絶エリートたちが有り余る能力をこぞってぶっ込んだ開発先の1つにAIと金融があって発展したって諸説の1つね。」
ため息をつきながら、佳哉が話を引き取り、内容を噛み砕いで話を展開する。
「で、さっきの物理の話に戻すと、物理の問題を微積を使わないで解くの。」
「え?無理じゃない?」
至極真っ当な疑問ですという顔で、小百合が上半身を起こして佳哉を見た。
「高校の教科書が、そうなの。」
「そうなの?」
「あのさ、、、お願いだから今ここで物理学科在籍とはいえただの学生の俺に、物理科講師の中でも有名な先生がいらっしゃる前で、物理の問題を解くに当たって微積の活用が必要か否かについて語らせないでくれる?」
「なんで?ダメなの?」
佳哉はグラスを煽って、あーあと肩を竦めた。
「俺のクビが飛ぶって言ってんの!」
「そんなことじゃ別に、クビにしたりしないよ。」
黙って会話の成り行きを見守っていた鷹館橋が、口を開いた。
「物理の問題を解くに当たって、微積の必要性に関してどう考えるかは、それぞれの先生次第だからね。」
「先生は、お使いになられていらっしゃるでしょう?使われない場合も拝見していますが。」
担当チューターの顔をした佳哉が、講師の顔の鷹館橋と会話を続ける。
「問題によるかな。使わないで解ける問題は、使わないでいいかなと思うし、ってよく知ってるね?僕の授業、受けたことあるんだっけ?」
「いえ。生徒との会話に、先生の授業の板書を生かさせて貰っていますから。」
「あぁ、それが『頭沸いてる物理問題の解説』?」
「恐らくそうかと。『頭沸いている』が修飾しているのは、『物理問題』じゃなくて『解説』の方です。正確には、物理問題の解説の『解説』かと。」
歩夢が再び、テーブルの端で首がもげそうなほど何度も何度も頷いた。そういえば、そんな風に動く人形があったような気がするな、と思ったのは誰だろう。
「水島先生の子は、物理に関して、どう思ってるの?」
サラッと鷹館橋が小百合に話しかけた。
水島先生の御子、、、なんて素敵な響き、、、!!と明後日な発想で色めきだつ小百合に、律が微笑ましい視線を送る。元生徒から既にこの見られた方なのに、「りっちゃんはかっこいい姿でなければ」とずっと思い込んでいる小百合が不思議だとチューターでは誰もが思っていても、口にはしない。
「うーん?実は生活基盤にすごく密接で、毎日の便利を支えている不思議担当分野、かなぁと思ってます。」
「不思議担当分野?」
「はい。別に宇宙開発戦争とか最先端技術まで話を拡大させなくてもいいんです。例えば、、、街の中の例だと、、、モノレールってどうやって進んでる?とか。そもそもぶら下がって重力に負けず前に進むとか異常でしょう?レールに乗っかったほうが効率がいいのかとかも気になりますし。リニアはなんであそこまで高速になれるの?とか。速度感、おかしいじゃないですか。モノレールもリニアも地中とか空中の比較的周りに何もないところに路線があるのは、磁力が発生するせいなのかな?とか。家の中だと、、、現代の三種の神器の1つの電磁調理器なんて、磁力とか状態変化とか、熱力学とか諸々の結晶と伺いました。そもそも、大元の昔の炊飯器なんて磁力を最大限活用した日本での生活の必需品だし。今でこそ半導体センサーでのスイッチのオンオフのコントロールですけど。100度超えたら水なくなって炊飯スイッチオフとか、どんな発想したんだ、とか。ま、そもそも、原始的な機械の1つの時計だってモロに振り子で物理じゃーんとか。」
大半がポカーンとした表情を見せる中、鷹館橋が微笑んだ。
「面白いと思う?」
「正直、入試問題をはじめとする難しい問題は私には解けません。専門的な解説も、難しいです。私には平易な言葉で語ってもらえたことを読み解くのが精一杯ですが、それでも十分に面白いなぁと思います。」
やっぱりりっちゃんは頭がどこかオカシイ、、、と仁が呟き、何人かが同調した。
「別に、、、物理だけじゃなくて、、、いろんな学問の基本的なことちょっと知るだけでも、世の中の『わからないからなんとなく怖い』の大半が、『なんか面白い』に化けると思うんです。その醍醐味を教えてくれるのが英語の水島先生の授業で、だから、水島先生の子とかおっしゃっていただけるのはこの上ない名誉です!!」
あ、これは酔ってるな、会話になってない。と感じたのは一人ではなかったはず。小百合はそんな周囲に気づかず、話を続ける。
「物理だと今、すっごい疑問なのは。浦島太郎は海中で過ごしたんですよね?海底の水圧って、、ほら、、、深海探査観光船の痛ましい事件に代表されるように、相当な圧力かかるじゃないですか。スカイツリーの上での実験で証明された時間の進む速さの話を思うと、なんで水圧が強い場所で、300年だか先に時間が進んだんだろう?とか。地底ではどうなるの?とか。。。。」
そっとお店のスタッフが小百合のグラスをお水に差し替えたのを見て、何人かが安堵する。が、このまま数学や物理の話だけでこの放課後が終わるのはちょっとイヤだなという雰囲気も出かけたところ、救世主が登場した。
「そうだね、小百合はそういう話題、大好きよね。けど、ここは放課後だからさ。そろそろ会話のバトンタッチたちしよう?」
ケイトが、律を自分が座っていた歩夢の前の席へと押し除けて、甲斐甲斐しく小百合の世話をし始めたのだ。ほっとした空気に釣られてか、一斉にメニューのオーダーや別の会話が始まる。その様子を見た鷹館橋が、佳哉に尋ねた。
「結構、驚くんだけど。君たち、いつもこんな感じの会話なの?」
「そうですね。ニシタチさんも、初めて参加された時に、かなり驚かれてましたよね?」
「そうね。びっくりするほど仕事に関連する話しかしてなくて、この子たちが学生のアルバイトかどうか真剣に疑ったよ。正直、正規の職員との質の違いに驚く。言って申し訳ないけど。」
熊守が苦笑いで首を竦めた先、そんな西橘の答えに仁がいつもの調子で乗っかった。
「そりゃ、四天王のうち3人が揃ってるんですよ?いろいろ仕事の話をしなくちゃもったいないじゃないですか。」
「何その、四天王って?」
鷹館橋が当然、訊き返す。
「だーかーらー!その話をすんなっていつも言ってんだろ。」
もちろん、佳哉がギャァギャァと仁をどやす。
こうやって新規参加者もいつの間にか優しく包み込み、いつもどおりの騒がしく、楽しい放課後の時間が過ぎていく。
ただ、少しだけいつもと違う視線をこの空気が孕んでいたことに、この時の何人が神経を尖らせたのかは、今はまだ誰も知ることのない話。そう、だから『浦島太郎』の悔いは、誰にでも共感されるのだろう。
やっと相対性理論までたどり着けました。スカイツリーと浦島太郎の時間経過問題について、誰かに聞いてみたいとは思うものの、現実的に結局相談相手はチャッピーしかいないのかなというのが残念なところです。




