相対性理論(1)
高卒生たちの肩の力が抜けたお喋りに、高校生たちの気負わない朗らかな笑い声。高卒生クラスの授業が終わり、高校生クラスの授業が始まる前のこの境の時間が、予備校校舎にとって一番平和な明るさのある時間帯ではないだろうか。
佳哉はぐるっとチューターの座席を見渡す。修行開始前15分のため、まだまだ出勤率はまばらだ。と、出勤時から気になってはいたものの、予定外の人間3人を改めて見つけ、はぁっとため息をつく。
「で、何やってんの、こんなところで。」
平日金曜日。本来なら、今日は放課後のためだけに終業後に合流するはずの小百合と律に歩夢までもが、教務室でくつろいでいた。
「え。え、、えへへ?」
ふにゃんと笑って小百合が誤魔化すのは、単に説明が面倒だから、だけだろう。
「あ、今日の金曜放課後に参加するって言ったら、時間あるならバイトして行けってことで、講習会のフィードバックやら、アンケート結果やら、殴り書きの面談記録やらをひたすら画面に打ち込むバイトを夏観さんに斡旋されまして。」
「何してくれてんだ、夏観さん。」
真面目に回答してくれた歩夢は悪くはないのだが、佳哉は不機嫌さを隠せず、眉間にグッと力が入る。うっかり口から飛び出した暴言は、多めに見て欲しい。
「その格好で?バイト時は、チューター業務じゃなくてもスーツか準スーツだって、4月の開校前の説明会でちゃんと説明したと思うけど?」
佳哉がイラっとするのも仕方ない。まず、3人の服装が非常の教務室にそぐわない。律と歩夢は、初々しい大学生の私服、、、あるいは背伸びをした高校生っぽい仕上がり。実直さのある律とヤンチャさのある歩夢の雰囲気はしっかり生かされているが、日頃の二人からは大きくかけ離れて、やたらに二人とも自分の容姿を熟知してるなという完璧なコーディネート。髪型も、やけに気合が入っている。洋服にはこだわりがある佳哉ではなくても、明らかにプロの手が入っているな、と佳哉は思う。横でわざとらしいほどにしれっと知らんふりをしている小百合を見れば、誰が犯人かは一目瞭然だ。
「勉強第一でもなく、やや大学生さのある、今時っぽい感じには仕上がっていると思うのですが。」
歩夢の言い訳が、絶望的に破綻している。
「そうじゃなくてさ。。。」
佳哉は、あーあと天を仰ぐ。
「え、、、え??」
小百合の目が泳いでいる。こちらもこちらで、いつもダンスレッスン帰りみたいなゆるい服装をしてるクセに。今日に限って、ズドンとした茶色のウェスタンブーツに、タイトなミニスカ。へそ出しのハイネックの黒Tシャツの上に、ネルシャツ着て襟と裾だけダボっとしたフーディからこんにちは、さらにオーバーシャツを合わせ、留めが白いフワッフワのニット帽。基本が茶色の同系色なので、明るい髪色に似合っている。レギンスを履かせて意地でも素肌を見せない執念に、これはもう、あの3人組の仕業に違いないと確信。
「あ、おそらく言うと夏観さんに怒られるから黙ってたんだけど。まだ何も注意事項言われてないから、いっか。さっきまで競合の山葉塾で、皆で入校試験受けてたんだ。大学生になったけど、もう一回やっぱりって雰囲気、出てるでしょ?」
佳哉の不機嫌さを取り違えた小百合が、職務内容を素直に報告する。
「。。。。」
「ジジのコーディネートだよ?似合ってない?」
違ぇよ。似合っている、似合ってはいるから問題なのだ。よりに寄って、なんでジジに頼むんだよ。普段、こう言った格好をしない小百合のせいで、嬉々として今回の用意をしたであろうことが容易に伺えて、もはや、佳哉は言葉がでない。「突然、小百合さんに服を渡されて着替えてって言われて、びっくりしました。全部もらっていいなんてラッキーです。」という律と歩夢の声が、佳哉にはどこか遠く聞こえる。
「それにしても、疲れた。。。律は私立医系コース受験だったからまだいいけど。歩夢が最難関国立文系、私は国立理系。死んだわ。数学と物理が、もうゼロ回答状況よ、何あれ。ただ、山葉塾の物理は本来は微積を使わないんじゃないの?使わないのは、アイロン・グリーンだけだっけ?微積での回答は、こっちの予備校の十八番だとばかり思ってた。お陰で微積の計算部分だけは回答っぽいものをしたわ。」
佳哉の諦念の表情なぞお構いなく、小百合たちはしゃべり続けている。
「りっちゃん、よく微積で解けましたね?ってか、そもそも物理って、高校で勉強したんですか?普通、生物か化学に逃げません?」
物理に失礼な話ではあるが、律が首を傾げる。
「あ、趣味で物理を高校で1年だけ選択したの。成績はまさかの進級がかかるほど散々だったけど、習った内容は楽しかったよ。トークタイムで話さなかったっけ?」
「聞いてません。初聞きです。それにしても趣味で物理って。うっわぁ。りっちゃんてやっぱり、変。」
「変、じゃないと思うよ?!今日、佳哉って言う、高3物理S担当のチューターが居るんだよ。変って言ったら、佳哉にも担当講師の先生にも失礼だよ?」
「物理の話じゃなくて、、楽しそうと言う理由で授業選択をする強者な小百合さんが十分に変って話です。ただ、、、あれ?高校の物理で微積って使わなくないですか?ってか、文系の数学で微積ってそこまで学習範囲ですっけ?」
「うーん、どうだろ。ある程度、私の場合は米国の学校で済ませてた背景もあるかもだけど。。いや、それでもまぁ数学も非常にお粗末な出来なんだけどね。うーん。実はさ、高校2年時の夏季講習かなんかの体験授業に、友達に付き合ってこの予備校に来てさ。微積を教えて貰って、それがなんか綺麗で。」
「は?綺麗?」
歩夢が、理解不可能な物を目の前にしたらこうなるんだろうな、と言う顔をした。
「うん。数式そのものも説いていく過程も綺麗だし、図式化された回答結果も、すごく綺麗じゃない?異様にハマって、数学の微積だけはできるの。だから、大学でも数学の授業で初級のクラスを取ったんだ。」
「小百合さん、変を超えてぶっとんでた人でしたね。ちなみに、、僕は今日、世界史で撃沈しました。3つしか欄がまともに埋められなかった。試験時間が暇すぎて暇すぎて、久しぶりにあんな思いをして、受験勉強の偉大さをしみじみ痛感しました。次のトークタイムに活かせそうです。」
歩夢がしんみりと言うと、律も続けた。
「医系コースの試験問題も、なかなかでしたよ。数学、化学、生物は、昨年の今頃に頑張ってた自分を褒め称えたくなりました。英語は、、、、あれ、なんですか。あんな英文、ほぼ初お目見えです。特殊じゃありません?あ、りっちゃんは、英語は楽勝だったでしょ?」
「全然、ダメだったわ。。。」
しょんぼりする小百合に、あんなに英語を普通に話しているのに?と律と歩夢がこれまた不思議そうな顔をする。
なんとか気持ちを立て直した佳哉が、小百合に代わって答えた。
「小百合はね、口頭での会話の通訳はできるし、英語を英語で理解することもできるけど。受験英単語を含む真面目な複雑構文の場合、英語を日本語に、あるいは日本語を英語になぜか紙ベースでブリッジできないからね。国立理系の和訳とか英訳オンパレードの問題なら無理だろうなぁ。回答はきっと、いつも通り壊滅的に意味不明になったんだろ。」
「なんで、回答できないんだろうね?いつも通り、多分20−30%の出来よ。和訳後の自分の日本語見て、こんな日本語ってあったっけ?って、自分でびっくりしたわ。かと言って、それ以上は何もできないから、そのまま出してきたんだけど。」
他人事のように小百合が頷いている。
「よかったな。目指す大学院の英語の試験問題は、同一言語での回答を求める形式で。」
「本当、それ。。。」
話がそれ出したところへ、夏観の声が響いた。
「おーい、試験お疲れさん。試験問題、ありがとう。3人とも、そこらへんにして、今日の試験バイトの件は、外で言うなよ。」
「はぁい。」
試験を受けてきた3人の声が、綺麗に揃う。
「まぁ、うちにも明らかに試験問題狙いでクラス分け試験を受けに来ている人もいるから、お互い様っちゃ、お互い様なんだがな。」
「試験問題、回収しちゃえばいいんじゃないんですか?」
歩夢の疑問も、もっともだけど。
「そうも思うんだけどねぇ。どんな試験問題が出せるかも、競合同士での勝負の1つだし。この試験問題を基にした『お試し授業』をうけて貰って、通うきっかけにしてもらうイベントもあるから。さっきも、りっちゃんが微積云々で言ってただろう?試験問題の取り扱いって、難しいんだよね。って、ほら、チューターが続々出勤してきたから。3人は、、、あちら側の席で端末持ってって、さっき指示した通りに記載事項を埋められるだけ埋めてくれ。」
3人がはいと首肯した先に、出勤したばかりで唖然とした顔をしたケイトが見えた。
そう言う顔になるよな、と佳哉は思う。一波乱くらい、ありそうか。佳哉はなんとなくした悪寒に気を引き締めると、チューターの本業務へ向かった。




