ただしい愛し方なんて、あるの?(4)改
誤植訂正しました。
「りっちゃーん、またね!」
授業を終え、教務室の前で今のクラスの生徒や今年もう一回頑張る昨年の担当生徒に捕まって話の輪を広げ、なんとなく雑談をしまくること、30分。手を振って自習室へ吸い込まれていく生徒を見送ると、時計を確認して小百合はヤバいという顔を隠せなくなった。ごめん、今日、後期開講日初日なのに放課後を歩夢のために開催してあげられないや。これはもう正直に謝ってどこか別日で開催しなきゃと算段をつけつつ、そのままの足取りで講師室へ向かう。講師の先生から今日の授業での配布プリントの残りを受け取って、保管しておく必要があるからだ。
「水島先生、お疲れ様です。」
生徒や元生徒にいい意味でいつも囲まれていらっしゃる先生に、小百合は遠慮がちに声かける。
「今日もありがとうございました。配布されたプリントの残りを受け取りに伺いました。」
どこかの誰かさんが講師室で囲まれていた図とは全く異なり、この集団がかなりアカデミックな雰囲気になるのは、先生がこの場でお話されていらっしゃる内容が実際にアカデミックな内容だからだろう。卒業生であるどこかの院生とは学会の話、社会人の方とは希少な地域への海外出張の話、、、、それを将来の自分に重ねてキラキラした目で崇めて奮起する受験生の図。変わらない知的な好奇心の塊。数年前、自分がこの講師室で先生を囲み、必死で食いついて行こうとしていたのが遥か昔のように感じて、ギュッと切なくなる。
どうぞと先生から渡されたプリントを受け取ると、そっと先生を見遣る。この輪の中に加わりたい願望と、先生のクラスを受け持てる喜び。天秤にかけるものではないだろうけれど、つい、どちらも欲しくなる。同時に、実験だ学会だなんだと口にする人たちの前で、小百合は何を専門的に勉強を大学でしているか言えるのだろうかという、悔しさに満ちた劣等感がチクチクと心を刺激する。周りを囲む先輩方のような才が、自分にあるのか。無い物ねだり、でしかないのに。無い物ばかり目についてしまうこんな自分の言葉を、生徒に伝えていていいのだろうか。どんどんと思考が、ネガティブになっていく。
「後期も、教室が良い雰囲気で。」
そっと先生から添えられた一言をこれ以上にないほど何度も噛み締め、安堵し、お礼を伝える。
「ありがとうございます。」
プリントを手に講師室を去り、教務室に入ると、改めて焦燥感がこみ上げてきてしまった。
あんな風に先生の前に立てば、小百合は一瞬にして「ただの生徒」に戻ってしまう。どんな鎧も一瞬で吹き飛んで、柔らかい心の部分が剥き出しになる。その度に、不安が目の前を覆う。生徒たちに、自分の経験を踏まえていろんな話をしているけれど。結局は昔とった杵柄だけではないのか、果たして自分はあの頃から成長しているのだろうか、と。担当した生徒たちが「担当がりっちゃんだった」ことを後に恥じないような自分でいようと必死になるほどに、水島先生の周りの先輩たちが眩しく見えて、苦しくなる。
今日も、さも当然のように玲奈の母親に、「間違っていたかどうかわかりかねる」だなんて聞き分けのいい話をしたけれど。「違う」と叫びたがった自分が、自分の中にいて。生徒たちに「安心して、今の頑張りを続けていい。これまで決めて進んできた道を、迷わなくていい。」だなんて言ったけれど。本当はそう言ってほしかったと叫びたがった、受験の前に右往左往していたあの日の自分と、本当はそう言って欲しいとリアルタイムで叫びたがる今の自分さえもが、ここにいて。
「小百合さん、どうしました?」
心配そうな歩夢の声に、小百合はハッとした。いつの間にかチューターの座席に戻っていたものの、報告書を作成していたはずの手は止まっていた。
「珍しいので、小百合さんの手が止まっているの、なんか。」
「あ、ごめん。ちょっとボーッとしてた。大丈夫、ありがとう。」
何事もなかったと装う小百合に対して、歩夢はふうんと横目で講師室を見ると真面目に向き合った。
「律が言ってました。小百合さん、水島先生の前だとすっごく表情が幼くなるって。『りっちゃん』が小百合さんの一番柔らかい部分へと一気に振り切る瞬間を見られるのは、生徒だけの特権なんだって。」
「え?」
思わぬ話に、先ほどから劣等感と焦燥感を抱えたままのせいで、小百合はすくみそうになる。
「それで、生徒たち皆が思うらしいです。ああ、りっちゃんも受験生だったんだな。生徒だったんだな。自分の過去や今と葛藤しながら、偽りのない言葉を目一杯の優しさで僕らにくれているんだなって。言葉の重みが増して、スルッと素直に心に入るそうです。」
小百合の心拍数は、異様に上がったまま下がらない。
「生徒じゃなかった僕には、律からの惚気話に悔しさしかないのですが。小百合さんが思う以上に、律たちは『りっちゃん』じゃない小百合さんのこともよく見ていて、癪に障るほど小百合さんのことに詳しいです。」
「それって、チューターとしてダメじゃない?」
恐る恐るという様子の小百合に、歩夢は心底呆れた顔をした。
「何を言ってるんですか。ひとの話、ちゃんと聞いてました?小百合さんって、時にバカですよね。。。小百合さんは、常日頃から担当生徒たちに伝わるように『皆が大事で大切で大好きだ』って僕らが呆れるほど言いまくってますけど。同じくらいかそれ以上に、担当生徒たちから、めちゃくちゃに愛されてるってことですよ。」
「そう、、、なの?」
「はい。だから、宗教なんです。」
歩夢が突然、片目をつぶってウインクをすると、片眉を上げておちゃらけた表情になる。
「は?ちょっと待て。歩夢、、、それは、、、ひどくない?」
「今日の放課後がなさそうなので、そのくらいは言わせてください。」
「。。。。。」
「来週金曜日、ケイトさんが土曜昼チーム含めた放課後にするからごめんねって先に連絡くれました。どうせ、初日の小百合さんは生徒に囲まれて放課後開催は到底無理だからって。」
「え。ケイトから私には、一言もなかったんだけど?!」
「ということで、小百合さんも来週金曜日の放課後に強制参加です。拒否権ないです。」
「はい???」
「参加了承しましたね。じゃ、さっさと終えて、帰宅しましょうよ。」
「え???」
やってやったぜと、ガッツポーズでやたら充実感にあふれた歩夢の様子に、小百合はついに笑い出した。正直、歩夢に救われてしまった。あーあ。先輩の威厳、皆無じゃん。
報告書作成に改めて没頭し始めた小百合に、歩夢はポツンと呟く。聞こえていないことをいいことに。
「生徒たちの面倒を見るのに一生懸命になっている割に、柔柔で、謎なところで大事な何かが抜けてて、よくわかんない手がかかるから、、、生徒に愛されてんだろうなぁ、この人。」




