ただしい愛し方なんて、あるの?(3)
マイクで拡張された先生の講義の声が、廊下にポツリポツリと落ちてくる。今日は遅刻してくる生徒がいないという奇跡のお陰で、この時間の廊下での生徒対応がない。そのため、トークタイムの準備に時間を費やせることへ小百合はややほっとしながら、教室の前のドアの横に黒板消しのセットを置く。外部の聴衆の存在は自分で言い出したこととは言え、いつもよりトークタイムでの言葉遣いに気を使う羽目になったことに苦笑いは隠せない。
先ほど咄嗟に、玲奈の母親に大して「お互いに認め合うのは、『合格』という結果だけではない」なんて言ってしまったけれど。小百合が「お互い」という言葉に込めたのは、生徒と保護者の関係だけではなかったりする。生徒と学校、生徒と予備校など、生徒たちに関わる誰をも含めての、「お互い」だ。
だって、ズルイじゃないか、と思ったのだ。保護者が所属する「社会人」のカテゴリでは、数字などの文字で出てくる「結果」だけを見る方法で為される仕事への評価は公平ではないと、当然のように語られている。例えば、営業成績の数字だとか、プロジェクトの数だとか。そう言ったものは「たまたま電話を受けた」、あるいは「偶然、担当を任されたのが大企業だった」などの数多の「ラッキー」も実際に含まれてしまう。だからこそ、取り組んでいる仕事の一連の関係性含めた過程や努力も評価してくれ、とどれだけの人が声高に叫んでいることだろう。
それなのに、だ。なぜ受験生だけが、『合格』か否かだけで、受験に挑む前から毎日全てを評価され続けなければいけないのだ。確かに、受験生は自分の来年4月以降の人生がそのまま文字に出る結果で左右されてしまうから、毎年毎年が繰り返しやってくる社会人とは違って、『合格』することがより重要性を持つと言えなくもないけれど。
小百合は、はぁっと軽く息を吐き出すと、湧き上がる苛立ちを頭の隅へと追いやった。大人の日常に当てはめたら「なぜ?」と思うようなことが、理想論の顔をして受験生へ押しつけられる不条理さは、今に始まったことではない。であれば、小百合は自分が受験生として感じていた苛立ちを隠さないことで大人側にならず、せめて生徒には誠実でありたいと思う。チューターの業務のおかげで改めて受験と向き合うことで、自分がした嫌な思いをなかったことにできないがために、不条理さを忘れられずにいることは、自分の未来へのヒントもあるんだろう。
頭を左右へ傾け首筋を伸ばし雑念の払うと、今度こそ、いつものルーティーンを小百合は始めた。念のためにスーツのシワになっていそうな箇所を手で撫で、高い靴のヒールが裾を踏まないように膝を屈伸させて確認。首を左右に振って軽くストレッチ、肩をぐるっと回してリラックス。最後にぎゅっとジャケットのボタンを締め、軽く腕をまくる。目を瞑って一度息を深く吸い込み、目蓋を開けてふっと吐き出せば。そこにいるのは小百合という一個人ではなく、皆の「りっちゃん」。
先生の講義の声が途切れた。これは、授業終了の合図。小百合は背筋に力を入れてをピンと伸ばし、先生の手がドアにかかる音で頭を下げる。
「ありがとうございました。」
ドアが開いたと同時に声を出し、先生の靴先が見えたら、頭をそっと上げて先生のお顔を確認。講師が過ぎ去るまでずっと頭を下げるチューターもいるし、顔を見てから頭を下げるチューターもいる。特に指定はなく、人それぞれ。小百合は、授業前後の先生方とのアイコンタクトを大事にしたいから、この形を取っているが、正解はない。正解がないから、いいんだとも思う。先生の穏やかな笑顔から推察するに、今日の授業に挑んだ生徒たちの雰囲気はどうやら先生にとっても好ましい様子のようで、胸を撫で下ろす。
「はぁい、1時間目の授業、おつかれさまでしたぁああああ!。」
声を精一杯張り上げながら、小百合は教室へ足を踏み入れた。マイクはまだ、使いたくないから、喉には少し無理をさせるけれど。さて、ここからの時間は、りっちゃんの頑張りどころ。
「では、いつもの通り、今日は初めの5分だけ、りっちゃんにくださいね。連絡事項とかは次の休みにするので、一気にトークタイムにしちゃいます。あ、トイレとかはもちろん、優先させてね。受験生の前に、人間は体が資本だしね!」
時間が惜しいので、喋りながら教卓の前へ移動する。小百合は、教卓がある教壇の上へは上がらない。黒板を清掃する作業の時だけは仕方なく上がるけれど、教団は自分の場所ではないと思うから。それに、生徒と目線を近しくしていたいから。
「今日のテーマ。自己紹介とかはもういらないかなと思うので飛ばして、りっちゃんのフリーテーマなんですけども、、、『推薦入試と一般入試』です。いい?」
生徒たちの真剣な目が、自分を捉えた。後ろの方で、玲奈の母親も、じっとこちらを見つめている。
「もう少ししたら、もしかしたら既に、かもだけど。推薦入試の状況が、時には結果も、ついに皆の目に見えるようになってきます。今からソワソワしている子が学校の教室にいるだろうから、皆もなんとなく、感じるところがあるよね?もちろん、こうやって通っている予備校だとか塾とかでも、推薦入試に挑んでいる子はいると思うよ。その中でも特に学校の指定校推薦の場合は早めにほぼ『合格』と同義の『指定校推薦枠内定』の結果を貰う子が出てきます。そもそも、そういう制度だからね、結果は出るよ、そりゃぁね。」
ぐるっと教室を見渡す。視線が揺れる子がチラホラ。さすがにこの時期であれば、この段階で泣き出す子はいないことに、安堵しつつ。
「同時に、推薦枠から外れてしまうらしいと学校で囁かれて、指定校推薦に応募しなかったという結果になる子も、出てきます。まぁ、アレは最後は出来レースみたいなもんだし、めっちゃ悪口言えば。どんな結果もありうるのは入試なんだから、当然のこと。そこはさ、冷静にいこう。」
パッと視線を下げた子が目に入った。すぐに名前を頭の片隅で確認する。後でフォローがいる。
「で、なぜ、りっちゃんが今日このテーマで話をと思ったかというと。そんな学校周りの結果がある程度出た頃に、一般入試に挑むと決意したほぼ全員が経験するからです。お家で、悪意の有無は別に、『○×さんは推薦が決まったって。偉いわねえ。というのに、どうしてあなたは、、、、以下略』というどこかからの不毛な一言を。」
数人が食い入るように小百合を見つめた。これも、顔をしっかり確認する。
「受験にあたってこれ以上に毒になるセリフを本当に知らない、ってくらい、最っ低な発言だと私は思ってる。予備校の授業料出しているから、受験料払うから、学校行かせているから、、、で??だから、ナニ?なんでも言って許されるって?そんなわけないでしょ。いーい?もし、皆がどこかで誰かにそう言われても、無視しなさい。無駄なエネルギー消耗するだけで、意味ないから。言い合いに付き合う暇がもったいないから。」
生徒たちの真剣な目が、小百合をぎゅっと見つめる。
「推薦入試は、推薦入試目的でその子はずっと高校生活を頑張ってきた。生徒会だとか部活だとかボランティアだとか、定期テストだとか、確かに、頑張った、えらいよ、うん。その頑張りを否定する意図は、りっちゃんには全くない。だけどさ、それで?だから?って私は思うの。皆は、一般入試で頑張るって当初から決めて、こうやって予備校に通って学校の授業に追加で勉強して、時には部活や生徒会とか学校行事に勤しんでいる人を横目で見ながらひたすら自習室で勉強とか、休日に模試受けまくって結果に傷つきながら毎日足掻くとか。そしてこれから、ひたすら色んな学校の過去問にも向き合って、さらにもがいていくとか。つまり、推薦入試に挑戦している人とは全く違う頑張りをしているわけで。その頑張りが偉くない?ンな訳ない、充分に尊いに決まってるでしょ!推薦入試も、一般入試も、がんばる場所と結果が出る時期が違うだけの話。どちらがより優れているなんてのは、どちらがエライなんてのは、絶対に、ない!!!」
だんだんと熱を帯びていくのは、話している小百合ではなく、生徒たちが身にまとう心意気。
「推薦は早く結果が出てすごいなんてのは、早く結果を得ることで受験での合格実績の数を詰んで安心したいとか宣伝にしたい学校の思惑、先の見えないトンネルのような受験期間が続くことから逃げたい保護者の逃げ、でしかない。一般入試に、これから挑むみんなに失礼でしかない。」
祈るような思いで紡ぐのは、小百合の心からの言葉。
「だから、そんな言葉には気を取られずに、無視していい。惑わされないでいい。」
しっかりと言葉を受け取って、頷く生徒たち。
「4月から今日までのわずかな間で、皆の顔つきが出会った頃のただのぽわんとした高校3年生から、徐々に引き締まった受験生へ変わってきているのを、私は見てる。どうやって変わってきたのか、何が変えたのか、見てるから知ってる。安心して、今の頑張りを続けていい。これまで決めて進んできた道を、迷わなくていい。これから皆がさらにどう変わっていくのか、ずっと一緒にいる。だから顔を上げて。胸を張って。それでも下を向きそうになったら、りっちゃんに話かけにおいで。そのために、私はここにいる。」
受験生の横顔がどれほど美しいのか。知ることができるようになった今に、それを教えてくれたこれまでの、そして今の生徒たちに、小百合は感謝しかない。
「あ、そうそう。もし、推薦入試で合格したとして。あるいは、試験がやたらと早い時期にある一般入試で受かったとして。一応、共通テストの結果がいるからなんとなくな感じでとか?あとは、、うーん、ずっとA判定だし、とかで?ここの席にフワフワした気持ちで緩んで座っていたら。入試に向かって突き進んでいる大事なりっちゃんの生徒の邪魔になるので、まったく申し訳なくないことに退学勧告も辞さないから。しっかり覚えておいてね。」




