ただしい愛し方なんて、あるの?(2)
「おっはよー!元気だった??席わかる??」
賑やかな高校生たちのざわめきが、廊下まで響いている。
小百合は教室の教壇の前あたりに立ち、教室を照らす眩しいくらいの蛍光灯に負けじとできるだけ明るい声を出して、入ってくる生徒にひたすら声がけを続けていた。
「りっちゃん、なんでオハヨー?なの?」
「うん?なんとなく?」
「え?なんとなく?」
生徒一人一人の表情や身振り手振り、持ち物や服装までをしっかり確認しながら、笑顔が強張って無いか、俯く子がいないか、これまでと変わった様子が見られ無いか、詳細に可能な限りの情報を、短いやりとりから拾っていく。
4月に始まった前期講義の開始日とは打って変わって、小百合を無視する気配がゼロなのが何より嬉しい。誰もが「りっちゃんってば、元気だね!」と笑いながら応えていく。どこかで「ああ、帰ってきたなぁ。」と感じるのが不思議だが、何故だか実際に帰ってきたなぁと小百合が思ってしまうのだから仕方ない。
「りっちゃん、無事に来れたぁ!今日から、りっちゃんの子になるよ!!」
明るい声で返事をくれたのは、あの玲奈だ。まだまだ細いけれど、あの日のような今にも消え入りそうな細さでは無い。頬に赤みも充分にさしているので、以前よりずっと健康的にも見える。
「お?玲奈も遂にこのクラスの生徒になるのね!今日から、また、よろしくね!って、ちょっと待って、『りっちゃんの子』って何??」
笑って返すと、前期から在籍している女子生徒が、屈託なく会話に入ってきた。
「りっちゃん、おはよー。このクラスの子は、皆、『りっちゃんの子』だよ。みんな、言ってるよね。あ、初めまして?今日から?」
「そう、今日から。初めまして!!」
「よろしくね!席どこ?」
「よろしくね!!席は、あそこ。ほら、あの、、、。あ、私のことは玲奈って呼んで!!」
「うん!!私のことはさ、。。。。」
え、だからちょっと待って、みんなってダレ、りっちゃんの子ってナニ、、、と小百合が疑問を口にする間も無く、あっという間に玲奈がクラスに溶け込んでいった。彼女の元来の明るさが、しっかり見え始めたところにも小百合はほっと安心。そして、なんでもないことのように、今日からの子たちと絡んでいく生徒たちの姿をあちこちに見て、こちらも一安心。これなら授業開始直後からからきっと、誰もが同じ雰囲気で先生の話に挑んでいけそうだ。
時計に目をやれば、小百合が教室に上がってから、すでにかなりの時間が経過していた。
「おーい。そろそろ、授業が始まる5分前。神聖な時間になるよ!席に座って。席大丈夫だよねー?で、テキスト出して。教材プリントは初日は2限前にあるだけになるから、1限目はナシでーす。今日が提出期限の厄介なものはないからね!りっちゃんがこの人数でいっぱいいっぱいになってるから、そういうのは全部授業が終わってからでいいです!はい、笑っちゃダメだって。あ、授業に必要な忘れ物してたら、重大事件だから今すぐ教えて!!」
クラスの喧騒に負けないように精一杯に声を張り上げて、ちょっと笑いを誘いつつ、ゆっくり授業へとクラスを促していく。席の前後左右で挨拶をしあったり、自己紹介しあったり、教材を確認しあったりとざわついていた教室が、だんだんと静かになっていく。シンとした心地よい静寂が、緊張感を孕んで廊下に落ちた。
1限目担当の初野先生の足音に、小百合は頭を下げる。見慣れた靴先が視界の端に見えたのを確認して一言。
「よろしくお願いします。」
顔を上げて、先生の顔を見る。
「はい。よろしくね。」
しっかり顔を合わせ、先生の背中が教室に吸い込まれたのを確認し、そっとドアを閉める。
出だしは、好調。ただ、今年は、クラスの生徒同士が男女関係なくそれぞれ仲良くなりすぎて、逆に空気が緩んでしまい士気が下がらないようにしないといけないかな。小百合は嬉しいのか悲しいのかわからない注意点をなんとなく感じた。
さて、と。静かな廊下で小百合は気合を入れ直す。これから教務室に戻れば、やるべきことは山のようにあるけれど。ひとまずは、おいておいて。名簿でも確認していたけれど、玲奈がこのクラスのこの時間にいるということは、避けて通れない通過儀礼が恐らくあるわけで。。。
案の定、教務室の前まで戻ると、どうやっても目立つ色のスーツが、エントランス付近の応対コーナーでPCを走らせているのがガッツリと目に飛び込んできた。玲奈の母親である。もちろん、アポ無し。初日はそういえばこうだったなと、1年前の高2スーパー英語クラス開始日の嫌な緊張感を思い出して、苦笑いが浮かびかけた。面談のための準備をこちらにさせない意地悪さと捉えるべきか、取り繕わない日頃の姿を見にきただけだ好意的に考えるべきか。毎回思うのは、玲奈のお母様は仕事三昧で決して暇を持て余しているわけじゃない。それでいて、このフットワークの軽さ。単純にすごい。
「お疲れ様です。」
小百合が自分を見つけたことに気づいたのだろう。小百合が声を掛ける前に、玲奈の母親はそう言い放つと、さっさとPCを畳んでこちらに歩いてきた。
「お疲れ様です。」
小百合にも覚悟はできている。保護者対応は、昨年よりはずっと慣れてもいる。なんとなく、悔しいので笑顔で対応を続ける。
「お世話になっております。瀬野原 玲奈の母です。本日は、担任さんではなく、チューターの、、、その、久条、、、。」
「真里谷 小百合です。」
なんでこう、大人たちはそちらの名字で呼びたがるのかね。。。
「あ、、失礼しました。再びチューターをご担当いただくということで、真里谷さんとお話をさせて頂きたくてお邪魔しました。先日は、、、。」
「えぇ。そういえば、昨年以来ですね。では、ここでは人の目もありますから、相談ルームへどうぞ。」
用意していた面談スペースへ促せば、案の定の先日のお礼に始まり、、、母親が語り続けるのは、高校3年生になってからのこれまでの様子。学習状況。模試の結果の状況。玲奈も素直な子だから、家ではきっと、なんでも聞かれたままに母親に話はするのだろう。だとしても実に詳細にわたり、進捗状況をよく見ているな、と小百合でも関心するレベルだ。あらかた用意していた話を終え、人心地が着いたのだろうか。
「あの子が、初めて、自分でどうしたいかを、言い出したんです。」
母親がポツンとつぶやいた。
そんなガチガチに生徒の状況を親が固めてたら、何をしたいのかを生徒が言い出すのに相当な勇気が要っただろうに、と小百合は思わざるを得無い。
「正直、わざわざクラスのレベルを落とさなくてもと思ったのですが。」
あぁ、それね。。。
「お母様。確かに、スーパーレベルとハイレベルという言葉の響きはあります。実際に教材の難易度にも確かに違いがあります。しかし、大事なことは、本人が『何を、どう学ぶか』です。スーパーの冠にすがって授業内容を頭の中で素通りさせるよりは、ハイレベルのクラスでじっくり基礎を固めて、『理解する』という体験を着実に重ねるのも、1つの立派な戦術です。毎日通う学校のような高卒クラスとなるとまた教材のレベルをどう捉えるのかは異なるのでしょうけれど。少なくとも、高校3年生で、基礎を固めるのと同時進行で応用問題に手を伸ばす必要がある場合は、本人がしっかり学ぶのであれば、決して悪手にはならないかと。」
当初小百合は母親の話を聞くだけに留めて、何かを言うつもりはなかったのだが。つい、言葉に力が入った。
「生徒には、常々、受験に必要な知識や経験は、ピラミッド型だと私は申しております。」
「ピラミッド?」
なんのことかと促す母親へ、小百合は、空にピラミッドを人差し指で描いた後に、親指と人差し指を使って三角形を作り出して見せた。
「はい。圧倒的に必要なのは基礎、ピラミッドの底部分の下側です。そしていわゆる難解な問題を解くための必要なものは、上のこの、尖った部分。上ばかり増やせば、あっという間にバランスを失って、ピラミッドは崩れる。」
指で作った三角形を逆さまにし、コロンと倒して見せる。
「ハイレベルのクラスで、下側部分を鍛えることは、応用問題ばかり目の前にかざして勉強したつもりになってしまうよりはずっといいと、ハイレベルのクラスの生徒に伝えていますし。スーパーの名がついたクラスでこの上側ばかりに目を向けるのは、誰にとっても自尊心がくすぐられるかも知れませんが、別に誇るようなことでもないので慢心するな、とスーパーのクラスの生徒に伝えています。」
母親がじっと、先ほど小百合がピラミッドを描いた虚空を見つめる。と、顔をストンと下げてしまった。
「笑顔が、戻ったんです。」
「はい。」
「自分で、学習計画を立てて、自分で進めるようになったんです。」
「はい。」
「ご飯も、少しづつですが食べるようになって。。。」
「はい。」
「私は、これまでずっと、間違っていたということでしょうか。」
そうか。仕事とは違って、子供の努力の成果は親にはなかなか見えない。今見えたとしても、それがちゃんと受験時に発揮されるかは、誰にも見えない。そもそも、合格の文字を得るまでには、まだ先が時間的にも長い。誰だって、不安になる。生徒だけでもないのだ。当たり前だけど。
「間違っているか、どうかは、私にはわかりかねますが。」
一呼吸を置いて、小百合は自分の話をした。
「これは生徒に向き合うにあたって、生徒皆に伝えていることでもあります。私は自分が生徒だった時に、自分の親が何を考えているかは、全くわかりませんでした。我が家にやや特殊な事情があったとしても、受験に関する会話は結局、高卒生クラスになった後でも、模試の結果を見たあとの『それで受かるのか』という無意味にエネルギーだけを消耗する言い合い以外には、ありませんでした。きっと今でも、親は私がこの予備校で何をどう学んでどう過ごしていたのか、全く知らないと思います。私は私で、授業料や受験料を負担してもらっていることへの感謝が、お恥ずかしいことに私から親にはありませんでした。そのお金が親の稼ぎから出されているという意味を、きちんと理解していなかったから。」
意外だと言わんばかりの母親に、小百合は苦笑する。振り返ることが多いばかりの受験だったから、きっと小百合はここにいる。もし、後悔も何も無い、あるいは全く思い出す必要のカケラも無い無価値な日々だったら、きっと小百合はここで、チューターのアルバイトに励んでいない。百万が一ここにいたとしても、恐らく、生徒に向き合うこともなく、ただのお金稼ぎの手段として業務を一通りやって終了だ。
「一介のチューターが保護者の方にお伝えするのは、出過ぎたマネかもしれませんが。何がただしくて、何が間違っているとかでは無いように思います。どこまで何をしたか。何ができたか。という目に見える勉強の一時的な結果や進捗状況だけでなく、どうか、お子様と色んな会話をされてください。それこそ、お仕事の話や、お給料の仕組み、受験料や授業料、受験というイベントに関連するものは基本的に全てです。会話のきっかけになる糸口は、毎週、プリントの形で私から生徒さんにお渡ししています。生徒さんは、彼らなりの精一杯で、そのプリントをどうにか保護者の方の目に止まる場所を探して置かれています。」
生徒があれだけ必死なのを、保護者が知れないでいるという、どうしてこんな悲しい事態にいつもなるのだろう。
「お互いに認め合うのは、『合格』という結果だけではありません。ということだけ、どうぞ今は、ご認識頂ければと思います。」
俯いていた母親が、そっと顔をあげた。
「あと。その、非常に言いにくいのですが。最近、ニュースが。」
「ええ。本当にご不安なのは、そこ、ですよね。学校のお友達の初カレが、中学時の塾の先生、という周りが多かったと玲奈さんから聞かされていますでしょうし。教務も基本、男性職員ですからね。女子生徒のそういったところは、なかなか、お互いに聞きにくいでしょうしね。」
同級生の彼氏ができましたなら、気にしないんだろう。青春だよねと微笑ましく思いつつ、受験に落ちるぞ!と念押しするだけ。こんなに頻度高く母親が来校するのは、監視の意味もあるんだろうなと、小百合は勝手に推測している。ご自身が、広告代理店の営業で、昔ながらの悪習と戦っていらっしゃった世代だろうから、余計に。
加えて、あの不穏なリメイクもののドラマの番宣が大きく始まり、あちこちで目にできる状況がついに始まってしまった。第一話も、近々放送予定。予備校講師と生徒の恋愛ドラマって、どうやって放送局のコンプラを通過したのか、本当に疑問しかない。大声では予備校内では言えないけれど。ここ数年、大手予備校のいわゆる著名だとか人気だとか目される講師が、多岐にわたる教科で、ありとあらゆる地域で、どんな高齢でも「元女子生徒」に対して男女の関係に持ち込んで非道な行いをしていたというニュースが世間を賑わせている、揺るぎない悲しい事実もあるからこそ。
そんな中、疑心暗鬼の保護者がその気になって少しでも検索すれば、公的な報道機関からいやというほどの数の記事が出てくる。裏垢的なSNSや昔からある掲示板的なサイトへ行けば、どの講師がどの元生徒に手を出しているのかが見る人が見ればわかる形ではっきり出ているし、あるいはどうやったら簡単に元生徒と男女関係に持ち込めるかという手口やクソみたいな話が、ゴマンと出てくる。チューターの仲間内で監視の目的も含めパトロールし、うっかり見つける度に、科学的な対応でそういった行為が今後一切できなくなる施術を、ネットで名前が上がっている対象全員に試みたくなる。昔から、きっとゼロではなかったのだろう。けれど、SNSやトークアプリで昔よりかなり気軽に連絡先の交換もコミュニケーションもできるようになってしまったからこそ。あるいは、コミュニケーションの記録が残りやすくなったからこそ。今の方がずっと、非道な行いの数が多いように見える。悲しいかな、全ての「スクール」や「レッスン」を謳う機関に言えることで、予備校に限ったことではないのだけれど。
「何を以て、大丈夫と言えるわけでもないのですが。私は敢えて、現実を口に出して『年齢マジック』を使ってお金の代わりに『若さ』と『体』を搾取されるだけの『パパ活』だと注意しています。これがどういった話なのか、玲奈さんに聞いてみてください。ちゃんと答えられると思いますよ。それに誰もが不自然に口をつぐむ、こちらの予備校での不祥事についても生徒に聞かれたら答えますし、手癖が悪いと囁かれる講師に近づいた場合は、かなり厳重に『想像される悲惨な未来』をお伝えしています。」
事実から遠ざけるだけでは、意味がない。事実を知って、考えて、何かある前に庇ってもらえるうちに自分の頭で判断できれば、将来、自分の力で判断できるようになる。
「そこは、玲奈さんをしっかり信じてあげていいと思いますし。それこそ、不安の片鱗があれば、どうぞ私までご一報ください。確実に、仕留めます。」
私刑はダメなんですけどね、嬉々として行わせて頂きます、と小百合は心で思いつつ。面談当初よりは顔色が良くなった母親の様子に、余計なお節介だとは思いつつ、少しだけ提案を加えた。
「まだ少しお時間があるようであれば、今日の私のトークタイムを、よかったらご覧になりますか?」




