緑黄色野菜(3)
誤字訂正しました。
前日と変わらない、講習終わりの高卒生で騒ついた予備校の校舎のエントランス。金魚鉢の金魚だろうが、水槽のメダカだろうが、チューターの仕事中は特に気にならないはずなのだが。教務室から眺める景色の色づきっぷりに対して「ここは予備校でしょう?」と一喝したくなるほどに嫌に目につくのは、間違いなくこちらの気分の問題ではあるのだろう。
「夏観さん、保護者との面談から戻ってきませんねぇ。。」
どこか予想通りではあるけれど、今日の業務の報告はどうしたらいいんだろう?という律の呟きに、小百合も頷くしかない。
「かれこれ、面接開始してから2時間経ってるよね。でも、律には申し訳ないけど、あの面談の場に割って入る勇気、私にだってないからね。たっちゃんが休憩から戻ってきたら、報告の方は頼もうか。」
二人のまぶたに浮かぶのは、面談希望として校舎に現れた、目立つ明るい色のスーツに身を包んだ神経質そうな母親の姿。
「それにしても、毎回、見事な色ですよね。あの方のスーツ。」
律がおどけて言う。1年次の律が『毎回』と言えてしまうのが、決して過言ではない。面談予定表に記載された名前を見て、「またか」と思うほど、件の母親の教務室への登場回数は多いのだ。
「去年はまだ、あそこまでじゃぁ、なかったんだけどねぇ。それにしてもさ、今日はいつに増しても、パプリカみたいだよね。」
教務室のチューター席に流れる雰囲気を変えようとした小百合が、肩を竦めていたずらっ子のように笑った。
「ちょっと、、え?パ、、、パプリカって。パプリカ!!だめですよ、教務室で!!」
律が慌てて咎める。
「え?だって、あの色、パプリカじゃない?で、前回は確か、ピーマン。」
「っっっっ。笑わせないでください、もう。そういう類の発言は控えるようにって言われてますよね?。。。本当にもう。その辺、りっちゃんは緩いと言うか。大野さんが聞いてたら叱られますよ。ちなみに、生徒さん、りっちゃんの担当生徒ではないですよね?」
「えー。恵叶のことを名字で呼んでる希有な後輩がいるとは聞いたけど、それってもしかして律だったの?ちなみに、今年は担当してないよ。去年、高2のスーパー英語で担当してたの。その縁で保護者の方とも面識はあったりするから、呼び出されたもしもの時のために、今日は一応スーツで出社ってわけ。」
「保護者にわざわざ呼び出されたりするんですか?チューターが?」
「うん。ほとんどないけど、ないわけではないかな。ちなみにあの方、装いの色合いの奇抜さはアレだけど、お話ししてみたら意外と真っ当な方よ。ただ、、、。」
「ただ?」
「非常に細やかな点をご指摘されるから、面談中に神経使うんだけど。」
「うわぁ。」
どっちにしろ、やだ。と律の顔に書いてある。だよね、と小百合も同意せざるを得ない。
突然、後ろから小さな声がした。
「チューターのお二人さん。そろそろ声のトーン落としなさいな。ちなみに、唐辛子も同じって知ってた?」
まさかの、熊守の参戦である。最近、割とチューターの雑談に混ざってくるようになってきている。やっぱり、小さい声だけど。
「え?たっちゃん?ナニナニ、唐辛子?」
「そう。唐辛子もパプリカやピーマンと同じ、緑黄色野菜。カロテンバッチリ、お野菜いっぱい取ろうね、のお仲間。。」
「え。全然、体に悪そうでしかないんですけど。」
唐辛子の味を思い出したのか、律は顔をしかめる。
「そもそも、緑黄色野菜って、日本の分類だけだと思う。英語にないよ、該当する単語。カロテンとか言い出したら、日本だとわりかし普通だけど、あっちじゃアタマおかしいんじゃないってなりそうだし。」
「え?りっちゃん、そうなんですか?」
「うん。」
会話がカオスになりかけたところで、熊守がぼそっと呟く。丁寧な口調の熊守に、なんとなくザワっとすることが小百合にあるのは、ちょっと内緒の話。
「何事も、過ぎたるは及ばざるかごとし。生徒の方、今日、倒れそうだったから、真里谷さんが声かけてあげたほうがいいかもしれないと思って。ほら、あそこ。」
パッと振り向けば、一人の生徒が自習室のカードを返却し帰宅準備をするところだった。面談を終えるはずの母親と一緒に帰宅する約束でもあったのだろうか。
懐かしい顔を見つけ、小百合の顔が、パッと笑顔に、、、ならなかった。
「どうしたの。。。。」
ここ最近、その生徒を見かけることはなかったが。いや、見かけていたかもしれないが、それが該当の生徒だと認識できなかっただけかもしれない。小百合が担当していた当時に健康的に笑っていた姿とは大きくかけ離れ、痛々しいほどまでに痩せすぎた一人の女子高校生が、そこにいた。じっくり見ない限りわからないほどまでに、変わり果てた姿だった。
「あ、、、りっちゃん。。。りっちゃん!!!」
小百合の顔見るなり、じわっと彼女の涙腺が崩壊する。どう見ても、心身の限界だろう。
アイコンタクトを熊守と律に送ると、さっと教務室のドアを開け、生徒の側に努めて冷静な声で駆け寄った。
「おお。お久しぶり。なかなか顔を見れないから、どうしたかなーって思ってた。うん、ちょっとあっちで、話そうか?」
「はい。。。はい。。。」
小百合は、人目のつかない救護室の方へそっと行き先を促す。
不安の大きさと比例するように講習や高校の教科書やノートでパンパンに膨れた彼女の鞄が、歩くたびに頼りなくヒョコヒョコと左右に傾く。
「うん、ここなら大丈夫だから。」
間違っても生徒と誰かが二人きりにならないよう、救護室へは原則、職員含む3人以上での入室が必須だが、おそらく熊守が状況を察して許可を出してくれているだろう。
小百合の言葉を待たず、彼女からどっと涙が溢れた。
「大丈夫だから。」
しゃくりあげて言葉にならない彼女が落ち着くまで、トントンと彼女の背中を軽く叩きながらじっと待つ。
「りっちゃん。。。。」
「なぁに?」
「あのね。。。。。」
「どうしたの??」
「あのね。。。。生理が来ないの。どうしよう。」
もしかしたら本件は男性の読者には興味のない、あるいは読む気の失せる話題かもしれません。ただ、女性にとって、ましてや受験期の不安定な女子生徒にとって、その状況がどれほどの恐怖になるのか、どうか知って頂く機会となったら嬉しいです。




