緑黄色野菜(2)
「あれ?今日って、姫様にMOSSAのレッスンなんて入れてありましたっけ?」
小百合のスケジュール管理表を眺めたまま秘書兼務の白色トーンのスーツに身を包んだ彼が、自身で調整した覚えのないスケジュールを見つけて首を傾げ、壁際で熱心に筋トレに励む黒づくめの男に声をかけた。通常のスケジュールでは本館の居住区に小百合を迎えに行くはずだったのだが、この予定変更の所為で社屋ビルの執務室に来る羽目になってしまった。
「ちょっと、シロ??壁でガッツリ筋トレの続きをしていないで、人の話、聞いてます??」
「いや、さっきちょっとトレーニングで負荷が足りなかったのか、体がしっくりこないんだよ。じゃなくて、、姫さんが、なんだかやけに荒れててな。しょうがないから、警備部のグループのレッスンチームにお願いして急遽、交えてもらった。」
ちなみにMOSSAとは、ボクシングなどの格闘技の動きを取り入れたフィットネス・プログラム。小百合が好んで行う、楽しいダンス系のレッスンとは趣がかなり異なる。確かにストレス発散にはなるだろうけれど。
「っつーかな、シロって呼ぶな、おい。俺はワンコじゃないんだぞ。」
「姫様の忠実な黒い番犬でしょうに。」
何がなんでも筋トレを諦めないシロと呼ばれた全身黒づくめに対して、白づくめの彼は改めてため息をつく。
「うるせー。」
「はいはい。では、そのアナタの貴重なお名前をお呼び遊ばせましょう。ね?御代真白サマ?」
「うっわぁ。それはそれで、うっざいな。」
フルネームを呼ばれた途端、シロが思いっきりイヤそうに眉をしかめた。実際、イヤなのだが。
「全身黒づくめのあなたの名前が、よりによって真白というのは、本当に何の冗談なんでしょうね。黒の君?」
「うるせー。腹黒白づくめ。」
「私は、銀色に近い色だと姫様はおっしゃってくださいましたが?」
「どっちでも似たようなもんだろ。」
いつも通り、二人の軽口の応酬が始まると思いきや。
「うギャァあああああああああああああああ。すっきりしなぁああああいいいい。」
なんとも言えない雄叫びと共に、執務室のドアがあいた。
小百合がキリッとスーツで武装しているのを台無しにしながら、ズカズカと執務室に入ってきたのだ。執務室までの警護のために側に控えている警備部の担当者は、始終苦笑いである。何せ、レッスン後からずっと、身支度を整えている間も飽きずに叫び続けてきたらしい。
「シロ。遅刻したくないから、今日はもう出る。」
むくれたままでも、小百合はなんとか笑顔で言葉を発する。
「はいよ。姫さん。あ、そっちもお疲れさん。配置に戻っていいから。」
シロは警護の人間をねぎらい、警護の責務がこの瞬間に自分へ移ったことを知らせた。業務の報・連・相は小さなところからみっちりやるのがここでの主義だ。
「ほら、シロと呼ばれて嬉々として尻尾を振ってるじゃないですか。」
小百合の外出時には高確率でお留守番になることを面白く思わない苛立ちも込めて、白の人から黒づくめのシロへの軽口はとまらない。
「はいはい、ジジもシロに絡まないの。」
シロからカバンを受け取り、執務室を後にしつつ、小百合がやんわりとたしなめる。
「姫さん、ヤツはフルネームで呼んで欲しい気分らしいっスよ。」
「そうなの、リク・ジァジェヌ?」
珍しいよね?いつもフルネームは嫌がるよね?と不思議そうな表情で小百合が振り返ると。
「勘弁してって。。。。ほら、もう、さっさと出かけてください。」
真っ赤な顔を手で隠したジジが、今度はあっち行けとばかりに二人へシッシと手を振った。
「え?なんで?」
小百合には、とんだとばっちりである。
「なんでぇええ。ってか、うギャァああああああ。ああああああーーーー。」
引き続き意味不明な雄叫びをあげつつ、小百合は執務室のドアの向こうに消えた。
小百合がもつ英語を喋る帰国子女独特の柔らかい母音の発音のせいで、ジジの耳にはジジ自身の名前がものすごく甘く囁くように呼ばれているように聞こえることなど、無論、小百合には知る由もない。せっかくの役得。ジジも、知らせるつもりもない。
「で、姫さんは、何をさっっから叫びまくってんの?MOSSAだけじゃ、ある程度の発散も解消もできなかった?」
車に乗り込んで運転席へ指示を出し、シロはドカッと小百合の隣の席に腰を下ろした。
「んー。。。今日もまた、アレが来るのかなぁと思うとさ。こうモヤっとガァっとするものがあって。。」
「アレ??とは??」
そのまま下を向いてしまった小百合が話したくなるよう、決して先は急かさず、小百合の言葉をそのまま繰り返して、シロがゆっくり言葉を待つ。
「うーん。。。強烈な、保護者さま?」
「保護者さま?」
滑らかに走る車の外を、いつもの景色が飛んでいく。
「そう、保護者さま。過干渉なのか、子離れできてない、のか。。。」
小百合が紡ぐのは、途切れ途切れの言葉だけ。
「今は子供の就活や入社式にさえ、一部じゃ保護者同伴の時代だぜ?」
「そうなんだよねぇ。。。」
シロが返すのは、少し視点を変えた言葉だけ。
「姫さんが、珍しくガチガチにスーツ着込んでいるのも、そのせい?」
「うん。ああ言う保護者には、見える形から入る情報も大事だと思うし。」
ふぅんとわかったような顔をしてうなずくと、シロはカラッとした声で一言。
「ま、なんとかなんだろ。」
「まぁた、シロは、そうやっていつも、適当に。。。」
小百合は、苦笑いしかできない。
「全然適当じゃねーよ。事実だろよ。なんだかんだ、なんとかする。それが姫さんだろ。」
シロから放たれる、「小百合には出来る」と何1つ疑わない真っ直ぐな心からの言葉。これに、小百合はどれだけ救われたことだろう。この居心地の良さも心強さも知っているからこそ、小百合は生徒にとって同じような存在になりたいといつも強く思う。
「うん。そうだね。なんとかする。」
いつの間にか、予備校の校舎付近で車が止まった。喋っていたせいか体感ではほんの数分だったのだが、だいぶ時間が経っていたようだ。
シロのエスコートでポンと車を降りると、小百合のピンヒールがキンッと音を立てる。
「行ってきます。」
小百合もシロも、ちゃんと前を向いた。
「はい、行ってらっしゃい。」
小百合の日々のちょっとした弱さを、おそらくジジは知らない。そこになんとなく優越感を感じつつ、シロはヒラヒラっと手を振った。
「終わったら、ここで待ってるからな。」
「うん。」
「近くにいる。なんかあったら、呼べ。」
「うん。」
視線をしっかり合わせ、返事をもらって頷いてから小百合を送り出す。
今日は時間に余裕があるにもかかわらず、それでもいつも通りに走り出した小百合の背中に、そういえばこう言ったコミュニケーションは戦場の外国人傭兵部隊で部下を送り出してきた習慣だったなとシロはふと思いつつ。ここでは幸いなことに残酷な命の応酬はないけれど、小百合が何かと闘っているのであれば、しっかり安心感を与えて送り出してやりたいなと、遠ざかる背中へ柔らかい視線を向けながら考えた。
と、珍しくシロの携帯が振動した。自分に直に電話があると言うのは、大概ロクな事態でない。
「なんだぁ?」
やや苛立った声で、シロが電話を受ける。人がせっかく、穏やかな時間を堪能してると言うのに。
「○×□>`+_$。。。。」
「はぁ?おっせぇよ。。。それ。。。」
一連の報告を早口で受けると、シロの視線が一気に険しくなった。
「おい。この電話を終えたら、ジジのヤツにも直ぐに電話入れろ。それと、警備の方にあの胡散臭いダンス講師と弟子の身柄を確保するよう言っとけ。ジジから赤い花(姐さん)のとこには連絡行くだろうから、いい。あと、姫さんの耳には入れるな。俺から言うから。いいな?」
一刻も早く、ジジにも情報共有をさせたいと、シロは強引に電話を置く。
「ふざけんな。。。」
あの水曜チューターの勝間が派手に遊んだ姿をSNS上で晒していた場であるクラブが、シュンの率いる夜のお店の経営グループに借金した上で、買収されただと?そっちの業界の情報なんて、関係者でもなければ易々と手に入るわけがない。きちんと線引きをして、お互いが世界を棲み分けているのだ。
そしてあのクソ記事を出した雑誌の副編集長が、ニシタチの例のゴシップをリークした記者だったと?名前が公に出てこねぇよ、副編集長とか。
シロに小百合を守り切る自負はあっても、そんな勝敗を着ける場所に状況を持ち込まれた時点で、公的な会社組織として負ける。
「どこが、、、どこで繋がってやがる!」




