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高3H英語  作者: 鞠矢百合


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緑黄色野菜(1)

 「うっわぁ。増えたねぇ。。。今年も見事に。」

教務室から予備校の校舎エントランス付近をチラッと見遣って、小百合が呑気に笑った。

夏期講習も過渡期。昼から夕方にかけてが、各校舎共通で最も講習の数が多い。そんな午後の講習の終了後は、校舎のどこを見ても思い思いに話に花を咲かせる学生たちの集団で大変賑やかだ。おそらく予備校という世間一般が思い描く雰囲気とも、職員総出で心配する4月の悲壮感が漂っていた重苦しい雰囲気とも、もはや全く異なる空間である。

「りっちゃーん。水槽のメダカの観察じゃないんですから。もうちょっと、何か別の言い方ってないんですか?」

間髪を入れず、律が言葉を返した。やっと小百合とチューターとしての仕事が一緒にできたと、律は仕事中にもかかわらずテンションがずっと高めのままだ。普段と違い、教務室の人数が少ないことも寄与しているかもしれない。講習期間はクラス担任といった校舎での常駐が必要になる業務がないため、高卒クラスの担当職員たちが研修だなんだで出勤がまばらになるからなのだが、それだけでガクッと教務室の人口密度が下がる。結果、大きな声では言えないが、チューターたちはいつもより息がしやすかったりする。やはり現実として、社会人として仕事をする人たちとアルバイトでは、職場に持ち寄る雰囲気に隔たりがないわけではないのだ。

 そんな中、なぜ、職員の数の状況に反するように夏期講習期間にチューターが置かれているかと言えば。高校生クラスの講習会を受講した普段は予備校に通っていない生徒たちにチューターの魅力を感じてもらおうと言う趣旨で、チューターがお世話をするクラスが夏期講習にいくつかあるからである。小百合も律も、今日はその臨時的なチューター業務で出勤していた。

 実のところ、小百合は自習室に通ったり講習会に参加したりする自分の担当クラスの生徒たちの様子が合法的に見たくて。律は、小百合と一緒にチューターの業務をしたくて。二人とも働く動機がやや不純だが、「お金が稼ぎたくて」よりはサマになる大義名分じゃん!と言うのが小百合の主張だ。本来、アルバイトはお金が稼ぎたくてするものでは?と言う視点が、ここの校舎のチューターからはすっぱり抜けている。だからこそ、チューターとして真摯に生徒に対応できているのかもしれないし、生徒からも「(講習会を勧めてくる事とかは)どうせ給料のためだろう」と荒んだ見方をされないのかもしれないと言えばそれまでである。各チューターが恵まれている環境にいるからこそではあるのだが、本人たちが自分たちが与えてもらっている環境の良さをどこまで自覚しているかは未知数である。

「え、だって、似たようなもんじゃない?毎年、夏のこの時期と、あとは12月だよね?講習期間で担任の職員の監視が緩む所為もあるのか、ドッと増えるんだよねぇ。メダカがいつ繁殖期なのかは知らないけど。あ、ヤバイ、ツボる。水槽のメダカって。。。。メダカ!あっはは。」

 小百合が、遂にお腹を抱えて笑い出した。手元の画面を操作し、今日なんとか会って話せた担当生徒の名前で学生カルテを検索しては、面談欄に会話内容で気になった箇所などをコメントとして地味に必死で書き込み続けていたはずだったのだが。

「水槽のメダカって言い方も充分にキツイと思うけど。高卒生クラスのカップルなんてさ、確かにそのくらいの扱いでいいよね。どうせ、落ちた方が来年4月にさっさと捨てられてもう一回予備校って悲しい現実が主に男子に待っているのに。なんで次の3月まで我慢できないのかね?一体何をしに予備校通っているのよって思うわ。大体、待てない男子がコクって彼氏彼女が始まっちゃうんだよねぇ、あれ。」

「僕らにも、注意してくれていましたね、そう言えば。女子は恋愛で奮起して頑張って、むしろ当初の志望以上に合格したりもするけど、男子は落ちて捨てられるだけだからやめなさいって。」

懐かしそうに律が思い出す。

「そうそう。なぜ落ちたかわからないってレベルの悲しいミラクルで高卒クラスに在籍している成績優秀な男子以外は、本当に恋愛はやめたほうがいいと思う。あ、お願い、その手元の資料、シュレッダーかけてくれる?」

「念のため、このプリントの束であってますか?はい。では、かけておきますね。」

一応、喋りつつも仕事はきちんと同時進行、時間は有限だ。小百合も律も、業務を終わらせる作業に着々と入った。

「花火大会も、夏祭りも、クリスマスも。大人になって持つものを持った後の方がずっと楽しめると思うんだけど。なんで刹那的に、よりによって受験生の今、なのかねぇ。夜に空とか街がキラキラすると、一部の人間は発情でもするようにできているのかしらね?」

上品な口調な割に、あまりにも明け透けな小百合の物言いに、教務室では常に存在感を消しているはずの熊守が流石に注意した。小さい声ではあったけれど。

「真里谷さん、、、、さすがにちょっと、言葉が直接的すぎませんか。。。」

「えー。」

不本意そうに小百合が顔をしかめる。

「だって今日、お掃除さんたちから、『今年は、既に数が多いから心配』って教えてもらったんだもん。」

小百合は、校舎のお掃除担当の人たちと良好な関係を構築している。彼らは校舎の隅々まで物理的に手を伸ばしているだけあって、何かといろんな情報を持っていらっしゃるのだ。彼らにとって何気ないかもしれないけれど、生徒を抱える立場からは貴重な情報が、お陰様で小百合はちゃんと把握できる。そんな情報が実は役に立つのだと小百合が彼らにフィードバックを返すから、もっと小百合にいろんな情報が集まる。お礼が「旅行先のお土産」をお渡しするくらいしか出来ないのが悔しいほど、小百合は彼らの情報網に助けられている。

「なにを、、、?」

小さい小さい声で熊守が訪ねる。あの不遜な「TATSU様」の態度を見慣れている小百合には、この気配消しバージョンの熊守が喜劇にしか見えないが、この演技に付き合っている小百合も喜劇の立派な立役者なのかと思うとなんか癪に障るので考えないことにしていた。すごい化け方だなと、単純に今日も感心して見るに留める。

「え?使用済みの妊娠検査薬が、校舎の女子トイレのゴミ箱に捨てられている数。」

あっけらかんと通る声で話す小百合に、少ないながらも教務室に出勤する職員全体が流石にざわついた。妊娠検査薬がゴミとして出ることがあると言うのは、職員もなんとなく知ってはいるのだろう。ただ、そう言うことがあるらしいという他人事も、すぐ隣で生々しい温度感を持って語られてしまえば、すぐ近くの自分ごとになって、見て見ぬ振りが難しくなってしまう。先手必勝、逃げたい大人の退路を防ぐには、動かぬ事実を突きつけてしまえばいい。

「りっちゃんのクラスの子たちじゃないからそこは安心ですね。だって、りっちゃんは、ちゃんと、、、」

「あ、そこ、律。今すぐクチ閉じて(私が怒られるから。)」

何かを察した小百合が、のんびりと口を開きかけた律を制した。

 実は小百合は、自分のクラスの生徒たちに注意を促してきた。言葉をごまかさずに、遠回しにせず、ストレートに真剣に。

 「できれば恋愛は避けよう、でもどうしてもってなったら、せめて体の関係は避けようね。もしもの場合、傷つくのは皆だから、特に受験生になるなら余計に。あ、大学生になったからって自分の体を適当にしていいってわけではないよ、絶対に。

 受験生の今の話として、ね。もしも恋愛にハマっちゃったとしても、体の関係になったとしても、それが皆の考えた末での自分の意思なら、しょうがない。けど、本気で受験生になる気があるのか、りっちゃんは皆を疑ってしまうかもしれない。だって、皆が欲しい未来が何なのか、大学生になることなのか、彼氏彼女になることなのか、りっちゃんにはわからなくなっちゃうから。ただ、もしも体の関係が自分の意に沿うことじゃなかったら、しかも妊娠したかもって怖くなってしまったら。男女どちらでも関係なく、躊躇いも恥じらいも捨てて、悩まずに直ぐにりっちゃんに言いなさい。守るから。」

 ただの予備校のクラス担当チューターとして踏み込みすぎている自覚は、小百合に充分にある。生徒の人生丸ごと抱えられるのかと突きつけられたらと、怖くならないでもない。けれど、放置して最悪の結果を招くくらいなら、そもそもそう言った事態にならないような防波堤になろうかと思ったのだ。生徒たちのために、場合によってはりっちゃんがりっちゃんで居れなくなる覚悟がある。それが生徒に伝わった時点で、担当の生徒たちはアホなことはしない。生徒との信頼関係があってからこそ成り立つずるい会話でもあるのだけど。

 人の心は難しい。だからこそ、受験生の心の隙間を全く作らせないようなズルイ事くらいは、容赦無く実行してしまおうと小百合は思っている。絶対に、生徒に心の隙間を作らせない。りっちゃんで埋めてしまうから、隙間なんてできない。

「生徒を守るために、多少の賭けには出ようかしらね。」

業務もここで終わったことだし、と言う小百合の囁きを、熊守と律が拾って目を丸くする。

 西橘だって、お酒の席で言ってたではないか。どうしようもないおっさんに、経験値ゼロの女子が赤子の手をひねるように簡単にコロッと掌で転がされてしまうのを見て憤慨して、封印していた過去であるニシタチをわざわざ連想させる方向に奮起したんだ、と。少しでも、それで多方面に免疫のない女子たちを守れたら、と思ったと。その話を聞いたとき、小百合はうっかり感動さえしてしまった。昔から一部で結婚した人たち(実績)もいるからと、上げ膳据え膳ウェルカムむしろ積極的に隙間を見つけて狩りに出かけるようなメディア組チューターや講師が一定数いることを、知らないわけではないから。

「生徒同士だけなら、まだいいんですけどねぇ?」

意地悪く、小百合は笑った。

「まだ今年は、校舎のゴミ箱から、使用済みの避妊器具は出てないそうですよ?」

熊守の質問に答えているようで、違う。例のドラマの番宣が始まるまで、あと少し。ゴミの関係者が生徒同士だけに限らないと思いっきり匂わせることで、教務室に他人事にさせない意図だ。

「毎年、どなたかが来校されると、特に出るらしいですよ。そう言った類のゴミが。流石にそれが誰だかは教えてもらえませんでしたが。」

爆弾を投下して小百合が席を立った。さっさと帰り支度をし、タイムカードも切ってしまう。

 「下半身条項を、講師との契約にも予備校の校則にも盛り込んどけ、バーカ。もはや、コンプライアンス全盛時代なのに。そもそも、コンプラ以前に、法律違反か条例違反の可能性有りでしょ。」

 小百合が遠慮なく呟く状況を誰も咎める様子がないことこそ、まさに小さな波紋は「見なかったことにする」事なかれ主義の典型例だろう。物事が大きくなるまで露呈しないのは、小さなことは見なかったことにしてきたから。別に、今に始まったことではないし、そもそもこの職場だけの話でもないけれど。「もう、見て見ぬ振りしていい時代じゃない」と言い切れない弱さもまた、先のような過去を賛美するクソ記事を許す土壌なのかもしれない。

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