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『歌が見えた ―弱い光魔法しか使えない私ですが、歌うと感情を隠せない天才歌姫と世界初の魔法ライブを作ります―』  作者: あらたかたかじろう


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第三幕「星冠祭」 第60話 路地裏のアンコール

 大劇場で行う試験公演の正式発表を翌日に控え、リラたちは南区へ戻ってきた。


 星冠祭の礼を伝えるための、小さな公演だった。


 場所は、セラの歌を初めて聞いた路地。


 ただし、あの夜のような無断公演ではない。


 酒場の店主。


 隣接する店の主人。


 南区商店会。


 通行路を管理する警備所。


 すべてに事前の許可を取り、路地の片側には人一人が通れる幅を残してある。


 観客は四十人まで。


 火と雷は禁止。


 水は飲料と消火用のみ。


 幻影も、大きな構造物を出さない。


 避難路を示す豆明かりは、公演中も消さない。


「前より書類が多い」


 セラが許可札を見た。


「成長したからね」


 リラが答える。


「面倒が増えたとも言う」


「安全な面倒です」


「アルドみたい」


「そこは褒め言葉?」


「違う」


 路地の入口では、ノアが通行幅を測っていた。


 地面へ黒い糸を一本置き、観客が越えない境界を示している。


「あと半歩、下がって」


 ノアが酒樽へ言った。


「樽に話してる?」


 リラが尋ねる。


「動かす人に言ってる」


「俺か」


 酒場の店主が樽を抱え、壁際へ寄せる。


「ここでいいか?」


「もう少し」


「十二歳の指示が細かいな」


「事故は年齢を見ない」


 店主は何も言い返せず、さらに樽を動かした。


 木の底が石畳を擦る。


 人一人分だった通路が、肩へ荷物を担いでも通れる広さになった。


「これでいい」


 ノアが糸を結び直す。


「今日は仕事?」


 リラが尋ねる。


「午後から劇場の転換補助」


「公休じゃなかったの?」


「午前だけ」


「十二歳が半休を使いこなしてる」


「リラより立派な働き手」


「否定できないなあ」


     ◇


 出演するのは、セラ、リラ、ノアの三人だけだった。


 ラウルは花火工房。


 レティアは水務研究所。


 エヴレンは王立劇場の昼公演。


 マリエは音楽院で、新曲の伴奏を考える前に歌唱試験を受けている。


 セインは雷信隊で、星冠祭の技術報告を行う日だった。


 全員が、別の仕事を持っている。


 大劇場の契約へ仮署名したからといって、いつでも同じ場所に集まれるわけではない。


「戦力が減った」


 ノアが言った。


「三人もいるよ」


 リラが答える。


「星冠祭は八人と奏者と技師」


「最初は二人だった」


「私を数えて」


「今は三人」


「最初の日はいなかった」


「今日はいるでしょう」


 ノアはしばらく考えた。


「なら、前より一人増えた」


「前向きだね」


「事実」


 リラは豆明かりを一つ灯し、路地の幅を確かめる。


 大通りの日差しが入り込む昼間では、光はほとんど見えない。


 それでも壁際の暗い場所へ入れば、核の周囲からほどけた粒が細かく動いている。


「暗くする?」


 ノアが尋ねる。


「客席の顔は残して」


「どこまで」


「セラの後ろと、向かいの白い壁。洗濯物は?」


「店の人が、見えてもいいって言った」


「なら消さない」


「酒場の裏口は?」


「使うから残す」


 ノアは黒い糸の内側を指でなぞる。


「舞台だけに都合のいい路地にはしない?」


「ここで暮らしてる人の道だからね」


「前より学習してる」


「成長した演出家です」


「書類上は補佐」


「今日それ言う?」


     ◇


 フィンをはじめ、南区の子どもや住民が集まり始めた。


 星冠祭へ行けなかった者も多い。


 見た者は、見られなかった者へ何度も説明していた。


「空に水があったんだよ」


「火が鳥みたいになって」


「真っ暗になったら、みんなの光だけ残った」


「雷もすごかった!」


 話すたび、火の鳥は大きくなり、水の空は王都全体を覆うほど高くなっている。


 ラウルが聞けば喜びそうだった。


「今日は、あれは出ないよ」


 リラが先に伝えた。


 子どもたちが、一斉にこちらを見る。


「どうして?」


「この路地で大きな火を出したら、酒場が燃えるから」


「燃やさない火は?」


「ラウルに、次の相談で聞いておく」


「水の空は?」


「レティアがいない」


「雷は?」


「セインが仕事」


「幻の街は?」


「エヴレンも仕事」


 子どもたちの顔が、少しずつ曇っていく。


「じゃあ、今日は何が出るの?」


 フィンが尋ねた。


 リラは指先の豆明かりを見せる。


「これ」


「小さい」


「知ってる」


「歌は?」


 セラが答える。


「歌う」


 フィンは豆明かりとセラを交互に見た。


「なら、見えるかも」


「何が?」


「まだ分かんない」


 フィンは最初の日と同じ壁際へ座った。


 隣にいた母親が、石畳の冷たさを避けるため布を敷く。


「少し背が伸びた?」


 リラが尋ねる。


「三日で?」


 セラが言う。


「最初の日から」


「比べるものがない」


「帽子の位置とか」


「観客を測らない」


「身長は反応じゃないよ」


「今日は歌を見る」


 セラの言葉に、リラは口を閉じた。


「はい」


     ◇


 セラは星冠祭の衣装を着なかった。


 酒場で働くときの作業着。


 髪も、いつもの紐で結んでいる。


「衣装、嫌になった?」


 リラが尋ねる。


「違う」


「今日は着たくなかった?」


「ここで最初に歌った服がいいと思った」


「選んだんだ」


「うん」


 セラは自分の袖を一度整えた。


「リラは衣装なの」


 リラは藍色の短い外套を着ていた。


「舞台の端に立つって約束したから」


「舞台、ない」


「じゃあ、路地の端」


「端へ逃げないで」


「十五歩以内です」


「ここ、十五歩もない」


「安全だね」


 セラの口元が、少しだけ上がった。


     ◇


 ノアが両手を上げる。


 路地が、ゆっくり暗くなった。


 完全な夜にはしない。


 大通りから入る昼の光を弱め、酒場の裏口と避難通路は残す。


 子どもたちの顔も消さない。


 セラの背後にある壁と、リラの光が置かれる場所だけが、一段深くなる。


 洗濯物は、風に揺れたままだった。


 酒場からは、食器を片づける音が聞こえる。


 誰かの生活を消し、架空の街へ作り替えるのではない。


 いつもの路地の中に、歌を聞く場所だけを作った。


 リラが豆明かりを灯す。


 一つの核。


 そこから六つの粒をほどく。


 一粒は、セラの左肩から手のひら二つ分離れた位置。


 二粒は髪の後ろ。


 一粒は靴先。


 残りは、壁と石畳へ。


 星冠祭の最初と同じ配置だった。


 ただし、水の反射も、幻影の遠近もない。


 後ろにいる者には小さくしか見えない。


 その代わり、一番遠い観客でも、セラの顔を見分けられる距離だった。


「始める?」


 リラが尋ねる。


 セラは客席を見る。


「うん」


 マリエの基音はない。


 楽団もいない。


 セラは、自分の呼吸だけで最初の音を選んだ。


     ◇


 『帰れない灯』が始まる。


 星冠祭と同じ歌詞ではなかった。


 路地で初めて歌ったものとも違う。


 窓辺の小さな灯。


 古くなった扉。


 自分の名前を呼ぶ者がいない部屋。


 そこまでは、以前の歌に近かった。


 けれど、帰れない道を探す言葉は出てこない。


 セラは、扉の前へ立つ者を歌った。


 待っている人がいるとは限らない。


 灯が残っている保証もない。


 それでも、自分の手で錆びた取っ手を回す。


 帰ることと。


 迎えられることは。


 同じではない。


 そんな歌だった。


 リラは光を動かす。


 扉の形は作らない。


 帰る場所も描かない。


 石畳へ置いた光粒を一つだけ前へ進め、セラが次の言葉を歌うまで止める。


 セラの呼吸が長ければ、光も待つ。


 短ければ、追わない。


 ノアの闇は歌姫の輪郭だけを残し、背後の壁を深くする。


 火の鳥も。


 水の空も。


 雷もない。


 だから、声が息へ変わる瞬間も。


 目を伏せて次の言葉を探す顔も、近くから見えた。


     ◇


 フィンは、最初の日と同じ場所で聞いていた。


 あのときは、リラの光粒へ手を伸ばした。


 今日は両手を膝へ置き、光だけを追わない。


 途中で一度、母親を見上げる。


 母親もフィンを見る。


 何も言わず、また二人でセラへ顔を戻した。


 リラは、その仕草の意味を決めなかった。


 歌が終わる。


 最後の粒がセラの靴先へ戻る。


 リラが核を閉じると、路地に昼の明るさが少し戻った。


 一呼吸遅れて、拍手が起きた。


 四十人に満たない、小さな拍手だった。


 星冠祭のように床は揺れない。


 王城へ届くこともない。


 誰の手が鳴っているのか、一人ずつ分かる。


 リラは、大きさを比べなかった。


 今日の拍手には、今日の距離があった。


「帰ってきた?」


 拍手が落ち着いたあと、フィンが尋ねた。


「誰が?」


 セラが聞き返す。


「歌の人」


「分からない」


「扉、開けたでしょう」


「開けたところまで」


「中に入らなかったの?」


「まだ歌ってない」


 フィンは少し考える。


「じゃあ、次に分かる?」


「次が、その人の続きなら」


「違う人かもしれない?」


「うん」


「歌って難しい」


「そう」


 セラの返事に、フィンは満足したようにうなずいた。


     ◇


「もう一回!」


 今度は、後ろにいた子どもが叫んだ。


 フィンもすぐに続く。


「アンコール!」


「もう一回!」


 周囲の大人たちも手を叩き始めた。


 アンコールは、祝祭でも劇場でも行われる。


 珍しい習慣ではない。


 ただ、リラたちは用意していなかった。


「同じ歌は歌わない」


 セラが言った。


「違う歌でいい!」


 フィンが返す。


「新しいの!」


 別の子どもも叫んだ。


 セラがリラを見る。


「どうする?」


「歌手が決めることじゃない?」


「演出家は?」


「まだ聞いてない歌へ、できる範囲でついていく」


「失敗するかも」


「危なくなったら止める」


「危険な魔法はない」


「私が光を人の目に入れるかもしれない」


「それは止めて」


「了解」


 セラは路地の観客を見る。


「途中の歌でもいい?」


「いい!」


 子どもたちの返事は早い。


 大人たちは、少し不安そうに顔を見合わせた。


「完成していません」


 リラが補足する。


「記録と転載は禁止転載は禁止――」


「難しい」


 フィンが言う。


「勝手に書き写して売らないでね、ってこと」


「売らない」


「途中で終わるかもしれない」


 セラが続ける。


「終わったら拍手していい?」


「好きにして」


「もう一回って言っても?」


「今日は歌わない」


「分かった!」


 本当に分かったのかは怪しかった。


 それでも、条件は伝えた。


     ◇


 セラが、書きかけの新しい歌詞を取り出した。


 同じ道を、別々の速さで歩く二人の歌。


 まだ一番の途中までしか書かれていない。


「どこまで歌う?」


 リラが尋ねる。


「今あるところまで」


「光は?」


「まだ決めてない」


「最初に何が見える?」


「二本の道」


「色は?」


「分からない」


「速さは?」


「違う」


 リラは指先へ光を出しかけ、止めた。


 質問を重ねれば、セラが歌う前に形を決めてしまう。


「最初は、一粒だけでいい?」


「うん」


「位置は?」


 セラが自分の右側を指す。


「ここ」


「もう一人は?」


「まだ出さない」


「了解」


 ノアが二人を見る。


「闇は?」


「観客の顔を残して」


 セラが答えた。


「二人の後ろだけ、少し深く」


「どこまで?」


「歌ってから決める」


「曖昧」


「無理?」


「できる範囲でやる」


 ノアは黒いローブの袖を上げた。


     ◇


 アンコールの歌が始まる。


 伴奏はない。


 セラが最初の音を探し、低い声から入った。


 同じ道を歩く二人。


 先を歩く者は、何度も振り返る。


 けれど、遅い者のところまで戻らない。


 遅い者も、置いていかれたくないからと走らない。


 同じ速さになろうとすれば、どちらかが自分の歩き方を失う。


 そんな歌だった。


 リラは、セラの右側へ一粒を置く。


 金色にしようとして、やめた。


 色を決める言葉は、まだ歌われていない。


 白いまま、少し速く前へ進める。


 次に、セラが遅い足音を歌う。


 リラは二つ目の粒を出した。


 一つ目より暗い。


 けれど、青にはしない。


 半歩進んで止まり、また半歩だけ動く。


 二粒の距離が、少しずつ広がっていく。


「離れすぎ」


 ノアが小声で言う。


「歌では?」


「路地の端へ行く」


 リラは速い粒の進行を止めた。


 遅い粒だけが、少しずつ近づく。


「追いつかせるの?」


 ノアが尋ねる。


「まだ分からない」


「なら動かさないで」


「はい」


 遅い粒も止まる。


 歌の答えより先へ行きかけていた。


     ◇


 セラが、止まった二粒を見た。


 歌詞にはなかった言葉を、一つ加える。


 ――待たなくてもいい。


 速い粒は動かさない。


 ――置いていかなければ。


 リラの指が止まる。


 待つことと、置いていかないことは同じではない。


 どう光へ置けばいいか分からなかった。


 何かを足す代わりに、リラはセラを見る。


 セラが左手を開く。


 変更の予告。


 その手は、光へ向いていない。


 リラへ向けられていた。


 歌詞に合わせた身振りなのか。


 本当に近くへ来てほしいのか。


 以前なら、意味を決めて動いていただろう。


 リラはその場に残る。


 セラの目を見る。


「来て」


 次の旋律へ入る前の短い息で、セラが言った。


 リラは初めて路地の中央へ歩いた。


「ここ?」


「もう一歩」


「観客から近すぎない?」


「私から遠い」


 リラは一歩近づく。


 二人の手が届く距離になった。


 セラは掌を上へ向ける。


 リラも自分の手を開いた。


 触れてよいと確かめてから、セラが指を重ねた。


     ◇


 セラには光魔法が使えない。


 それでも、リラの手首を少し左へ動かす。


 最初の光粒が、その方向へ進む。


 次に、指先を下げる。


 二つ目の粒が、石畳の近くまで落ちる。


「何が見えてる?」


 リラが小声で尋ねる。


「道が曲がった」


「二人とも?」


「片方だけ」


「どっち?」


「まだ分からない」


「難しいなあ」


「演出家でしょう」


「歌手も手伝って」


「今、してる」


 セラの指に導かれ、光を一粒だけ路地の壁際へ置く。


 もう一粒は、中央に残す。


 同じ方向を向いていても、同じ道には立っていない。


 その距離が、今の歌には合っているように見えた。


 リラは正解かどうかを尋ねようとする。


 セラの横顔が近い。


 歌うときに少し細くなる目。


 次の言葉を探すために、一度だけ噛まれる下唇。


 セラも、リラの指先ではなく顔を見ていた。


 二人の間で、光が止まる。


     ◇


「二人とも」


 ノアの声がした。


 返事がない。


「客、いる」


 リラとセラが同時に振り返る。


 子どもたちは、声を押し殺しながら笑っていた。


 大人たちの中にも、口元を隠している者がいる。


 フィンだけは、真剣な顔だった。


「今、歌、止まってた?」


「少し」


 セラが答える。


「失敗?」


 リラがノアへ尋ねる。


「二人の稽古になってた」


「公演じゃなくなった?」


「途中まで」


「悪い?」


 ノアは少し考えた。


「客を忘れるのは悪い」


「はい」


「でも、戻れば続けられる」


 ノアは観客の顔が見えるよう、二人の周囲の闇を少しだけ開いた。


 子どもたちの目。


 酒場の店主。


 通りかかったまま、許可された場所で立ち止まる人。


 星冠祭の三千人とは違う。


 一人ずつの顔が見える距離だった。


 セラはリラの手を離さないまま、観客へ向き直る。


「続きを歌う」


「私も前にいる?」


「もう出たから」


「戻ってもいい?」


「逃げる?」


「今回は違う」


「なら、ここにいて」


 リラはセラの隣へ残った。


 中央ではない。


 歌姫より半歩後ろ。


 光の合図を出せて、セラの手も届く位置だった。


     ◇


 セラが、未完成の歌を再び始める。


 止まった場所の一つ前から。


 マリエの基音はない。


 間違えたときに戻る楽譜もない。


 それでも、セラ自身が選んだ音から続けた。


 ――違う速さで歩くなら。


 リラは二つの光粒を動かす。


 一粒は速く。


 もう一粒は遅く。


 今度は、どちらも相手へ近づけようとしない。


 同じ方向へ進み、曲がり角ごとに互いの位置を確かめる。


 セラが歌う。


 ――振り返るたび、まだいると分かればいい。


 リラは光を一瞬だけ明滅させる。


 片方が振り返る。


 少し遅れて、もう片方も応える。


 二人の手は、途中で離れた。


 それでも、光を動かす位置をセラが視線で示し、リラが置く。


 分からないときは動かさない。


 違うときはセラが首を横へ振る。


 ノアは二人だけを囲まず、観客の顔と光の道を同じ暗さの中へ残した。


 歌は、完成した結末へ着かなかった。


 最後の歌詞が、まだ書かれていないからだ。


 セラは二つの道が曲がったところで、声を止めた。


「ここまで」


 一瞬の静けさ。


 すぐに、拍手が起きた。


「続きは?」


 フィンが尋ねる。


「まだない」


「いつできる?」


「分からない」


「次の公演?」


「それも分からない」


「じゃあ、できたら歌って」


 セラは返事を急がなかった。


 リラを見る。


 ノアを見る。


 客席の一人ずつを見る。


「できたら」


 そう答えた。


     ◇


 公演が終わると、ノアが路地の闇を開いた。


 大通りから午後の光が戻ってくる。


 酒場の壁。


 洗濯物。


 樽。


 通行人のために空けた道。


 すべてが、最初からそこにあった形へ戻った。


 フィンがリラの前まで来る。


「今日も歌が見えた」


「何が見えた?」


 リラが尋ねかける。


 途中で止めた。


 何を見たかを聞くこと自体が悪いわけではない。


 ただ、答えを次の演出へ使うために聞くなら、先にそれを伝える必要がある。


「聞いてもいい?」


「うん」


「感想として。次の光を決めるためじゃなくて」


 フィンは少し首を傾げる。


「二人が歩いてた」


「光の二人?」


「セラとリラも」


 リラが目を瞬く。


「私は歌ってないよ」


「でも、途中からいた」


「演出家は前へ出ないものなんだけどなあ」


「出てたよ」


「見られてた」


 セラが言う。


「うれしい?」


「少し怖い」


「嫌?」


「嫌じゃない」


 フィンは二人を見比べる。


「速いのは、どっち?」


 リラとセラが同時に答えた。


「セラ」


「リラ」


 二人は顔を見合わせる。


「どう考えてもセラでしょう。先に歌を変えるし」


「リラ。勝手に次の仕事を増やす」


「最近は確認してるよ」


「確認する前に三つ考えてる」


「考えるだけなら自由です」


「顔に出る」


 ノアが横から加わった。


「両方、速い」


「ノアが一番正しい?」


 フィンが尋ねる。


「報酬に含まれてる」


     ◇


 観客が帰ったあと、三人は路地に残った。


 リラは避難用の光粒子を一つずつ回収する。


 ノアは黒い糸をほどき、工具袋へ入れた。


 セラは、新しい歌詞の紙を開いている。


「最後、書けそう?」


 リラが尋ねる。


「まだ」


「今日歌った部分は?」


「変わるかもしれない」


「記録しておく?」


「言葉だけ」


「光は?」


「同じにしない」


「うん」


 リラは最後の光粒子を核へ戻した。


 すぐに新しい演出表を開こうとはしない。


「今日、客を忘れた」


 セラが言う。


「二人ともね」


「次は忘れない?」


「忘れるかもしれない」


「駄目でしょう」


「だから、ノアに頼む」


 ノアが工具袋を肩へ掛ける。


「追加料金」


「いくら?」


「蜂蜜牛乳一本」


「安定してるなあ」


「重要な仕事だから」


 セラは歌詞の余白へ、小さく書き込んだ。


 ――客を忘れない。


 少し考え、その下へもう一行加える。


 ――でも、隣も見る。


 リラが横から読む。


「その歌詞、使う?」


「まだ分からない」


「演出を考えても?」


「まだ早い」


「はい」


     ◇


 路地を出る前、セラが振り返った。


 最初に歌った場所。


 フィンが座っていた壁際。


 豆明かりを置いた石畳。


 大舞台へつながるとは、あの夜には誰も知らなかった。


「リラ」


「何?」


「今日は、前より見えた?」


 以前なら、リラは観客の顔や拍手を思い出し、成功の理由を答えただろう。


 今は、途中で止まった二つの光粒を見る。


「まだ分からない」


「演出家なのに?」


「見えたものを、すぐ正解にしない演出家になったから」


「便利」


「セラに言われたくないなあ」


 セラの口元が上がる。


 ノアが先に大通りへ歩き出した。


「二人とも、置いていくよ」


「待って」


 リラが追う。


「待たなくていいって歌った」


 セラも続く。


「置いていかなければ、でしょう」


 三人は、それぞれ違う速さで路地を出た。


 ノアが先。


 リラがその後ろ。


 セラは歌詞を読みながら、少し遅れて歩く。


 誰も同じ歩幅ではなかった。


 それでも、曲がり角へ着くたび、前を行く者が一度だけ振り返った。


 大通りの午後の光の中では、リラの豆明かりはほとんど見えない。


 けれど、隣にいる二人へ次の道を示すには、それで足りていた。

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