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『歌が見えた ―弱い光魔法しか使えない私ですが、歌うと感情を隠せない天才歌姫と世界初の魔法ライブを作ります―』  作者: あらたかたかじろう


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第三幕「星冠祭」 第61話 次はいつ

 王都大劇場で行う試験公演まで、あと二十日。


 旧兵站庫は、再び騒がしくなっていた。


 長机の上を埋めているのは、劇場図面、安全基準、稽古日程、契約書の控え。


 その中央に、まだ名前のない新曲の歌詞が置かれている。


 ラウルは耐火溝の試験枠を組み、新しい炎の形を考えていた。


 レティアは大劇場の避難通路を塞がず、左右の歌唱位置へ水の音響導線を通す方法を図面へ書き込んでいる。


 エヴレンとセインは、舞台上空へ設置する幻影標と導雷経路について、互いに不可能だと言いながら同じ図面から離れなかった。


「この位置では、幻影の光が雷信標を隠します」


「雷信標が、私の空を横切っています」


「安全信号です」


「美観を損なわない位置へ移せませんか」


「美観を理由に避難信号は動かせません」


「では、美しく見える避難信号を作りましょう」


「規格を変えない範囲であれば検討します」


 言い争っているように聞こえるが、エヴレンはすでに信号の規定寸法を測っていた。


 セインも、幻影が重ならない角度を図面の端へ書き足している。


 マリエは小型鍵盤の前で、二つの異なる速さを同じ拍へそろえずに支える方法を探していた。


 オーリンは大劇場から借りた共鳴板を叩き、三つの歌唱位置へ音が届く時間差を記録している。


 ノアは床へ座り、全員が増やそうとするものの隣へ、闇の層と退避経路を書き足していた。


「人が増えすぎ」


 倉庫の入口で、セラが言った。


「にぎやかで楽しいね」


 リラは依頼書の束から顔を上げる。


「管理できるの」


「私一人では無理」


「演出家でしょう」


「だから、みんなに自分の仕事を管理してもらうの」


「リラは何をするの」


「それを一緒にできる場所を作る」


 セラは、机の上に積まれた紙を見る。


「紙を増やす仕事?」


「夢は無料。安全布と楽器運搬と人の時間は有料です」


 工具箱の上から、ノアが答えた。


「私の台詞を取られた」


「アルドの台詞」


「そこまで覚えてたの?」


「嫌なことほど残る」


 ノアは蜂蜜牛乳を一口飲み、図面へ視線を戻した。


     ◇


 セラが、書きかけの歌詞を長机へ広げた。


 路地裏で歌った部分から、少しだけ先へ進んでいる。


 同じ道を、違う速さで歩く二人。


 追いつこうとはしない。


 待つことも命じない。


 曲がり角に着くたび、相手がまだいるかを確かめる歌だった。


「今日は、どこまでできた?」


 リラが尋ねる。


「二番の途中」


「最後は?」


「ない」


「大劇場まで二十日だよ」


「知ってる」


「焦ってる?」


「かなり」


 セラは正直に答えた。


 歌詞の端を持つ指に、少し強く力が入っている。


「完成させるために、昨日書いたところを残す?」


「嫌なら消す」


「公演に間に合わなかったら?」


「延期を相談する」


「エドガーさん、泣くね」


「泣いても、未完成の歌は完成しない」


「強い」


「契約に書いたでしょう」


 セラは歌詞から手を離した。


「今日は、最初を試したい」


「演出も?」


「うん」


 リラはすぐに指示表を開かなかった。


「最初に、何が見える?」


「朝」


「明るい?」


「まだ暗い」


「夜明け前?」


「違う」


 セラは目を閉じる。


「目を閉じているから、暗い」


 倉庫の音が、少し遠く感じられた。


 槌を置く音。


 共鳴板の低い振動。


 紙の上を走っていた筆も止まる。


「目を開けるのは、いつ?」


 リラが尋ねる。


「まだ決めてない」


「歌詞に合わせて?」


「歌ってから決める」


「では、演出が先に開かない方がいいですね」


 マリエが鍵盤から手を離した。


「最初の音は?」


 セラが尋ねる。


「こちらから置くこともできます。ただ、目を閉じたまま自分の呼吸で始めたいなら、待ちます」


「待って」


「分かりました」


 マリエは最初の基音を書かず、譜面へ空白を残した。


     ◇


「ノアは、どう思う?」


 リラが尋ねた。


「目を開けるまで、何も見せない」


「完全な闇?」


「違う」


 ノアは図面へ黒い線を引く。


「舞台の後ろだけ。出口とセラの顔は残す」


「目を閉じてるのに、顔は見せる?」


「観客が、消えたと思わないため」


「歌が始まるまでは?」


「呼吸が見えるくらい」


 ノアはリラを見る。


「暗くすることと、見えなくすることは同じじゃない」


「了解」


「時間は?」


「まだ決めない」


「最大は決める」


「八秒?」


「最初は六秒。観客を入れてから増やすか考える」


 ノアは先に上限を書いた。


 歌が未完成でも、安全条件は曖昧にしない。


「俺は、目を開けた瞬間に火を出す」


 ラウルが言った。


「朝から空を燃やすのですか」


 レティアが図面から顔を上げる。


「夜が終わるなら火だろう」


「朝日は水面でも表現できます」


「火の方が明るい」


「屋内劇場です。熱量を忘れないでください」


「燃やさない!」


「あなたの『燃やさない』は、一般人の基準より熱いのです」


 ラウルは反論しかけ、耐火枠を見る。


「……小さい火から試す」


「試験枠の内側だけでお願いします」


「目を開けたら、必ず火が必要?」


 セラが尋ねた。


「朝だから」


「まだ、朝日が出るとは歌ってない」


 ラウルの口が閉じる。


「では、火は候補だ」


「使わない日もある?」


「歌が呼ばなければ」


 不満そうだったが、自分から待機条件を口にした。


     ◇


「私は、存在しない太陽を提案します」


 エヴレンが白い指を上げる。


「太陽は、まだ見えてない」


 セラが答える。


「目を開ける前に、瞼の裏へ赤い光が差すこともあります」


「それは少しある」


「では、輪郭を持たない赤を」


「幻影ではなく、リラの光でもできるでしょう」


 レティアが言う。


 エヴレンはリラの豆明かりを見る。


「色は作れますか」


「薄い赤なら」


「私が遠い席まで同じ色をつなぎます」


「同じ色にしすぎないで」


 セラが言う。


「なぜです?」


「目を閉じたときに見える色は、人によって違うから」


 エヴレンは一度考える。


「では、色を固定せず、明るさの変化だけを補います」


「それなら試したい」


「雷は、夜明け前の遠雷にできます」


 セインが続いた。


「必要?」


 リラが尋ねる。


「歌に、遠くの気配を置く場合は」


「今はない」


 セラが答える。


「では、使用しません」


「準備は?」


「発動しない前提で安全確認だけ行います」


「出番がなくても?」


「出番を作るために歌を変える方が不適切です」


 セインは導雷線を図面の端へ移した。


 ラウルが横からのぞき込む。


「寂しくないか」


「少し」


「正直だな」


「必要でない雷を出す理由にはなりません」


     ◇


 意見が、長机の上へ並んだ。


 闇。


 呼吸。


 小さな火。


 水面の反射。


 輪郭を持たない幻影。


 使わない雷。


 以前のリラなら、すぐに一つの完成形へまとめただろう。


 全員の得意な魔法を見せる場所を作り、客席の反応が最も大きくなる順番を選ぶ。


 そうすれば、誰も置いていかないように見える。


 実際には、全員へ出番を与えるため、歌の側を押し曲げることになる。


 リラは白紙を三つへ分けた。


 ――最初から必要。

 ――歌を聞いて判断。

 ――今日は使わない。


「何を書いてるの?」


 セラが尋ねる。


「決定表」


「もう決めた?」


「決めないための表」


 最初から必要なもの。


 セラの呼吸。


 ノアが作る、安全な暗さ。


 マリエと奏者が待てる空白。


 三つの歌唱位置へ届く音響。


 歌を聞いて判断するもの。


 光。


 火。


 水面。


 幻影。


 今日は使わないもの。


 雷。


「私の光も、最初からじゃないの?」


 リラが自分で書いた文字を見る。


 少しだけ胸が痛んだ。


「セラが目を閉じている間は、出さなくても始められると思う」


「嫌?」


「少し」


「出したい?」


「出したい」


「なら出せば」


「歌より先になるなら、出さない」


 リラは、光を二つ目の欄へ残した。


「目を開けたとき、セラが必要なら呼んで」


「どうやって?」


「左手を開く」


「前と同じ?」


「新しい合図を増やすと、みんなが間違えるから」


 セラはうなずいた。


「それでいい」


     ◇


「全部は試さないのか?」


 ラウルが尋ねる。


「今日は、最初の八小節だけ」


 リラが答えた。


「火まで来ないかもしれないぞ」


「来なかったら、今日は出さない」


「せっかく作ったのに」


「次の試験で使えるかもしれません」


 レティアが言う。


「使わない可能性もあります」


「お前まで二回刺すな」


「事実を二点述べました」


 ラウルが頭を抱える横で、ノアは試験時間を書き込んだ。


「一回目、八小節」


「二回目は?」


 リラが尋ねる。


「一回目のあと決める」


「正しいなあ」


「疲れたまま回数を増やすのは禁止」


 ノアは最後に、


 ――終了後、感想より先に安全確認。


 と書き足した。


「私の仕事、取られてない?」


「リラが忘れるから」


「頼もしい共同制作者です」


「追加料金」


     ◇


 セラが、中央の歌唱位置へ立った。


 濃紺の舞台衣装ではない。


 いつもの作業着に、稽古用の柔らかい靴。


 髪は簡単な紐でまとめている。


 リラは藍色の外套を着て、舞台の端へ移った。


 中央まで十四歩。


 約束した十五歩以内だった。


「遠くない?」


 セラが尋ねる。


「一歩余裕がある」


「何の」


「逃げたくなったときの」


「逃げる?」


「今は少し」


「なら十三歩にして」


 リラは一歩だけ近づいた。


「ここ?」


「うん」


 セラは目を閉じる。


 ノアが左右の避難標を確認し、舞台の後ろへ闇を落とした。


 暗くなる。


 ただし、セラの顔と手は見える。


 客席になる予定の床も、出口も消えていない。


 マリエは鍵盤へ手を置かない。


 オーリンも共鳴板を切り替えず、中央位置の振動だけを待った。


 ラウルは耐火枠の外へ手を出さない。


 レティアは水を流さず、導管の圧力だけを保つ。


 エヴレンは幻影を出さない。


 セインは導雷線から離れた場所に立った。


 何も起きていない。


 以前のリラなら、不安になって豆明かりを灯しただろう。


 空白が長い。


 観客がいれば、退屈するかもしれない。


 けれど今は、セラが最初の息を選ぶ時間だった。


     ◇


 セラが吸う。


 歌が始まる。


 低い声だった。


 朝の歌なのに、明るさはない。


 目を閉じたまま歩く者が、自分の足音で道の形を確かめている。


 一歩先に誰かがいる。


 けれど、その姿はまだ見えない。


 声だけが、暗い倉庫の中央へ伸びる。


 予定していた四小節を過ぎても、セラは目を開けなかった。


 リラの指が動きかける。


 左手の合図はない。


 光を出さない。


 ノアも闇を開かない。


 マリエは伴奏を入れない。


 全員が、歌へ予定の時刻を要求しなかった。


 セラが五小節目を歌う。


 ――朝は、目を開けた人から来るんじゃない。


 聞いたことのない言葉だった。


 リラの中で、光の配置が変わる。


 目を開けても、朝ではない。


 なら、光を出す瞬間も、目を開ける時刻とは限らない。


 指を閉じたまま、次を待つ。


 セラが六小節目へ入る。


 右足を半歩前へ出す。


 まだ目は閉じている。


 七小節目。


 左手が開いた。


 リラは豆明かりを一つだけ灯す。


 セラの正面ではない。


 半歩先へ置く。


 足を出した者が、次に踏むかもしれない場所。


 セラの瞼が、ゆっくり開く。


 最初に見たのは、朝日ではなかった。


 足元にある、小さな光だった。


     ◇


 歌が八小節目で止まる。


 ノアが闇を薄くする。


「終了」


 リラが言った。


「まだ続けられる」


 セラが答える。


「八小節の試験だから」


「歌は続いてた」


「続けたい?」


「少し」


「喉は?」


「平気」


「各担当は?」


 リラは自分で決めず、周囲を見る。


「闇、異常なし」


 ノアが答える。


「予定より二小節長かったけど、最大時間内」


「音響も問題ありません」


 オーリンが共鳴板へ触れる。


「中央位置のみ。移動試験は次です」


「伴奏は入れていません」


 マリエが続ける。


「次に進むなら、同じ無伴奏で聞きたいです」


「水、未使用です」


 レティアが圧力計を確認する。


「火も未使用」


 ラウルは不満そうに言った。


「雷も未使用です」


 セインが答える。


「幻影もありません」


 エヴレンは両手を見せる。


「美しかった?」


 リラが尋ねる。


「何も出していない私へ、その質問を?」


「歌を聞いて」


 エヴレンは少し考えた。


「まだ、景色を置かない方が美しいと思います」


 ラウルが驚いて振り向く。


「お前が出さない方を選ぶのか」


「私は、必要な美を選びます」


「火も?」


「今の八小節には不要です」


「裏切ったな!」


「次の歌詞を聞いてから判断してください」


 いつもの言い争いが戻り、倉庫の空気が少し緩んだ。


     ◇


 裏口の扉が、二度ノックされた。


 全員の動きが止まる。


「観客試聴の時刻です」


 入口担当の舞台係が声をかけた。


 扉が細く開く。


 青い帽子が隙間からのぞいた。


「入っていい?」


 フィンだった。


 隣には母親もいる。


 未完成の歌を一人の観客へ聞かせ、声の距離と光の見え方を確かめる。そのため、事前に招いていた。


「黄線の外なら」


 ノアが床の境界を指す。


「走らない。光に触らない。怖くなったら手を上げる」


「分かった」


「分からないときは?」


「お母さんに聞く」


「よし」


 フィンは母親と一緒に、黄線の外側へ座った。


 広い倉庫に、観客は二人だけ。


 三千人の前で歌ったあとでも、セラは少し緊張した顔をしている。


「続ける?」


 リラが尋ねる。


「うん」


「最初から?」


「今の続きを」


「フィンには途中からになるよ」


「分からないところから聞いてもらう」


 フィンは膝を抱え、舞台を見ていた。


「途中でもいいよ」


「まだ名前もない」


「名前はあとでつくでしょう」


「つかないかも」


「じゃあ、名前のない歌」


「それは前に使いかけた」


 リラが言うと、セラが横目で見た。


「今は歌わないの?」


「すぐ黙ります」


     ◇


 ノアが再び、舞台の後ろだけを暗くする。


 セラは目を閉じなかった。


 先ほど灯した豆明かりが、足元に一つ残っている。


 マリエは無伴奏のまま待つ。


 セラが、自分の呼吸から続きを歌った。


 同じ道を歩く二人。


 一人は、先に朝の気配へ気づく。


 もう一人は、まだ目を閉じている。


 前を行く者は、起こそうとはしない。


 立ち止まりもせず、角へ着くたび振り返る。


 リラは豆明かりの縁から、二粒だけほどいた。


 一粒は少し先へ。


 もう一粒は、セラの足元へ残す。


 速さは変える。


 けれど、距離を広げすぎない。


 ノアが客席側の闇を薄くし、フィンと母親の顔を残した。


 歌の途中で、セラが左の歌唱位置へ一歩動く。


 予告の手が開く。


 オーリンが共鳴板を切り替えず、水膜も使わない。


 中央から届く範囲を外れる前に、セラが止まったからだ。


 歌手が動いたからといって、設備を必ず動かす必要はない。


 声が届く距離の中で、歌だけが半歩進んだ。


     ◇


 短い試唱が終わる。


 セラは最後の音を伸ばさず、自分で切った。


 豆明かりも、その場に残る。


 フィンはすぐに拍手をしなかった。


 足元の二粒を見て、少し考えている。


「どうだった?」


 リラが尋ねかけ、言い直す。


「聞いてもいい?」


「うん」


「今の歌で、何か見えた?」


「朝」


「明るかった?」


「まだ暗かった」


 セラが、わずかに目を見開く。


「でも、光があったでしょう」


 リラが尋ねる。


「あれは朝じゃない」


「何に見えた?」


「先に行った人が、置いていった目印」


 フィンは舞台の二粒を指す。


「戻ってこなくても、ここを通ったって分かるやつ」


 リラの頭の中に、新しい演出が浮かぶ。


 道に残す光。


 距離をつなぐ光粒。


 すぐに手帳へ書こうとして、止めた。


「今の、次の演出に使っていい?」


 フィンへ尋ねる。


「いいよ」


「そのままじゃなく、考えるために」


「うん」


「ありがとう」


 リラはそこで初めて、短く記録した。


 ――朝ではなく、通った目印に見えた観客がいた。


 正解とは書かなかった。


     ◇


「次はいつ?」


 フィンが尋ねた。


「大劇場なら、二十日後」


 リラが答える。


「この歌が完成してなくても?」


「完成しなかったら、延期を相談する」


「じゃあ、二十日後じゃないかもしれない?」


「うん」


「次は、いつなの」


 リラは、長机の上を見る。


 まだ名前のない歌。


 安全基準。


 各担当者の予定。


 王宮光術団から届いた、公開検証の日程案。


 全員が正式に署名した、一公演分の契約。


 予定日はある。


 けれど、歌と舞台が始まる時刻は、予定表だけでは決まらない。


「歌ができて」


 リラが言う。


「みんなが、やるって決めて」


「安全にできると確認した日です」


 セインが加えた。


「長い」


 フィンが言う。


「役所の答えになったね」


 リラが笑う。


「セインが足したからです」


「正確です」


「もっと短く言うなら?」


 フィンに問われ、リラはセラを見る。


 セラも、まだ完成していない歌詞を見ていた。


「決まったら呼ぶ」


 セラが答える。


「忘れない?」


「忘れない」


「約束?」


 セラはすぐに答えず、リラを見る。


 次の公演には、二人だけで決められないことが増えている。


「知らせるって約束ならできる」


 リラが言った。


「公演ができるって約束は?」


「まだできない」


 フィンは少し不満そうに頬を膨らませた。


 それでも、うなずいた。


「じゃあ、待ってる」


「待たなくてもいいよ」


 セラが言う。


「どうして」


「フィンは、フィンのことをしてて」


「歌ができたら?」


「呼ぶ」


「なら、それまで遊んでる」


「うん」


     ◇


 フィンは、舞台に残った豆明かりを見る。


「今日も、歌が見える?」


 セラがリラへ顔を向けた。


 以前なら、見えるようにすると答えただろう。


 演出家なのだから。


 観客へ約束したのだから。


 成功させなければ、次の仕事がなくなるのだから。


 今は、光を一粒置く前に、歌手と仲間の呼吸を見る。


 ノアは闇の境界を保っている。


 マリエは、まだ最初の音を書かない。


 ラウルは火を出さず、次の歌詞を待っている。


 レティアも水を流さない。


 エヴレンは、存在しない朝日を作らずにいる。


 セインは雷の導線から手を離している。


 誰も、何かを見せるためだけに魔法を出してはいなかった。


「まだ分からない」


 リラは答えた。


 フィンの眉が少し上がる。


「演出家なのに?」


「演出家だから」


「分からないのに、どうするの?」


 リラは指先へ豆明かりを灯した。


 大劇場を照らすには弱い。


 夜空を割ることも。


 一人で火や水や雷の代わりになることもできない。


 それでも、核の縁から一粒をほどき、まだ何も描かれていない場所へ置くことはできる。


「一緒に見る」


 リラが言う。


 セラが、歌詞の紙を持ち上げる。


「最初から?」


「今の続きから」


「光は?」


「必要になったら呼んで」


「分かった」


 セラは歌う位置へ戻る。


 リラは舞台の端へ立つ。


 十三歩の距離。


 ノアが、セラの後ろへ薄い闇を置く。


 客席には、フィンと母親の顔を残した。


 まだ名前のない歌が、もう一度始まる。


 最初の一音は、少し前と違っていた。


 リラはすぐに光を動かさない。


 セラが左手を開くまで待つ。


 合図が来る。


 豆明かりから、一粒をほどく。


 どこへ続くのか、まだ分からない道の上へ置いた。


 大劇場の試験公演は、二十日後に予定されている。


 けれど次の舞台は、その日を待たず、もう始まっていた。

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